第45話 光と闇の邂逅

 アイリス学園――

 ここもまた、王城に並ぶ王都を代表する施設だ。王国が誇るエリート育成期間であり、子爵以上の子供は有無を言わさず入学することになる。そこで貴族たちは『王国の貴族の在り方とは』を学ぶのだ。

 貴族たちを相手にする国の機関だけあって、建物の造りはいずれも壮麗で、最高級の技術と予算が注ぎ込まれている。


 校門前から見える、校舎を見ると懐かしい気持ちになる。

 アイリス学園クロニクルのタイトル画面ではアイリス学園の校舎がドーンと描かれているし、そもそもゲームでは学園が舞台なので、背景で頻出の画像でもある。

 全く同じ風景――

 本当に、俺はアイリス学園クロニクルの世界に来たんだな、そんな確信が胸に広がる。

 そんな俺に、シリウスが鋭い視線を投げかけてくる。


「ふん、何をぼーっとしている?」


「私だけではなく、ルシア様もですよ?」


「え、あ、はい! す、すごいなって!」


 ごめんね、ルシア。質問をかわすために巻き込んじゃって……。


「はっ、山猿だな。どうせすぐに見慣れる。行くぞ」


 シリウスは門番にディンバート公爵家の紹介状を渡し、学院へと入っていく。

 さて、俺も入るか。

 なんとなく感傷的になる。校門を超えてしまったら、もう戻れないぞ――お前は、先に進むと決めるんだな?

 なんだかもっともらしいが、おかしな言葉だ。

 戻れない、なるほど、そうかもしれない。だが、進まなければどうなる? どこかに戻れるのか? そんなはずはない。戻る場所などない。前に進むしかない。

 傲然と胸を張って前を歩く、傲慢なる悪役貴族の後ろをついていくしかない。

 もちろん、ただの羊として進むつもりはない。

 暗躍し、教唆し、策謀し、己の命は己の行動で守る。

 俺は俺の覚悟を持って、この世界を生きるのだ。


 ――俺はためらいなく一歩を踏み出した。


 ……などとカッコよく言っているが、実はまだゲーム本編は始まってすらいないのだけど。あくまでも入学してからが本編で、試験編など存在しない。

 そんなわけで特段スペシャルなことは起こらないだろう――

 そんなふうに俺は考え、特に警戒していなかった。

 しかし、シナリオの暴力というものは予測を超えるもので。もう少し考慮するべきだったのだ。

 本来であれば、本編開始後だったペイトロン村の貸与が開始前に移動した事実を。

 俺たちは門番に教えられた通り、校舎へと入っていく。吹き抜けになっている広いエントランスの奥にある事務室――そこで入試の手続きを行う。

 授業中なのだろう、エントランスにはほとんど人がいない。

 逆方向から向かってくる、男女の二人組だけ――


(――――!?)


 その瞬間、心臓が止まるかと思った。

 その二人の顔には見覚えがある。


 ――勇者リヒトと聖女セリーナ・ベルトリ。


 アイリス学園クロニクルの主人公とヒロイン。

 まさか、その二人とここで顔を合わせることになるとは。たまたま入試の手続きに来た時間がかち合っただと? どんな偶然だ!?


 いや、違う――

 これはきっと偶然ではない。


 もしもシナリオに人格があるとすれば、その悪意であろう。シナリオの悪意が、俺たちをこの事態へと落とし込んだ。

 考えすぎか? いいや、そうは思わない。それくらい警戒しなければならない。


 この偶然は、どうにも悪意がありすぎる・・・・・・・・


 だが、それほど問題はないのかもしれない。

 俺は気づいているが、この時点でシリウスとリヒトには直接的な面識はない。黙っていればやり過ごせる。黙っていればやり過ごせる――

 いいや、違う! まずい! ルシアだ!


「む」


 ルシアが声を上げる。

 その目はリヒトではなく、隣に立つ聖女を捉えていた。声に反応した聖女も、ルシアに目を向ける。


「セリーナ?」


「え、ルシア?」


 ……そうだった、この二人は知り合いだった……。正直、ここにルシアと一緒に来ていた時点で詰んでいたのだから、打てる手などないのだが。


「久しぶりだな!」


「お久しぶりです」


 二人が足を止めて会釈する。シリウスは怪訝な表情を浮かべたが、荒立てることなかった。


「ひょっとして、アイリス学園の受験手続きですか?」


「ああ、その通りだ。しかし、セリーナはどうして……? 子爵では?」


 受験が必要なのは、男爵と平民のみのはずだが。


「私ではありませんよ。彼の付き添い――勇者リヒトの、ですね」


 リヒトが、距離感に困ったような曖昧な笑顔で、会釈する。

 リヒト。

 その単語に、隣の男が反応を示した。


「ほう」


 短い言葉とともに目をすがめる。なんだか、邪悪なオーラが漂ってくる……。以前から、勇者をボコったら面白そうとかヒトデナシ発言をしまくっているからな。この機会に興奮するなというのが無理か。


「で、そちらの方々は? ご挨拶したいのですけど?」



「ディンバート公爵家のシリウス様と、従者のオスカーさんです」


「……シリ……ウス……!?」


 その瞬間の、聖女セリーナの表情をどう表現すればいいだろうか。やや下品な表現で恐縮だが、まるで晴れやかな散歩中の朝に犬のフンを踏んづけてしまったような顔だ。適切だという自信がある。でも、確かゲームでも聖女セリーナはシリウスを露骨に嫌っていたな……。なので、当然の反応ではあるのだけど。


「どうして、ルシア、あなたが『こんなの』と一緒に!?」


「……そ、その……色々と事情があって……」


「わかっています。無理やりなのですね!?」


 驚いたルシアが返事をするより早く、キッと鋭い視線をシリウスに向ける。


「さすがは悪名高きディンバート公爵家のシリウス! 嫌がるルシアを己の下僕にするだなんて……! 即刻、彼女を自由にしなさい!」



「ま、待て! 私はシリウス様の下僕などでは――」


「いいえ、あなたは黙っていなさい、ルシア! 私が言ってやりますから!」


 そこで、シリウスがニヤリと悪びた笑顔を浮かべる。


「ああ、確かにルシアは下僕だ。それがどうかしたか? だけど、そいつは好きで下僕をしているんだ、なあ、ルシア?」


「う、うう……!?」


 ルシアが混乱で目を回している。聖女は思い込んで話を聞かず、悪役貴族は悪ノリして否定しにくいことを言って誤解を広げようとしてくる。

 ……しかし、セリーナは威勢がいいな……。

 子爵は公爵より弱いと思うのだが、敢然と立ち向かうあたりは、聖女の立場的な強さだろうな。原作でもそうだったし。もちろん、本人の気質も。


「とにかく、い、今は大丈夫なんだ。私を信じてくれないか?」


 ルシアの絞り出した言葉に、セリーナは口をつぐんだ。

 その目は全く納得していなかったけど。

 ……むっちゃ『絶対に言わされてるじゃん』という感じだ。

 なかなかに聖女セリーナの態度は好戦的で、一般人ならば、そんな反応をされるとショックだろうが、凡愚に嫌われることなど傲慢なる貴族には関係ない。

 やっと無駄な会話が終わったとばかりに話題を切り出す。


「シリウス・ディンバートだ。お前が勇者リヒトなんだな?」


「そうだけど?」


「会えて光栄だ」


 シリウスが手を差し出す。もちろん、大貴族の握手を無視できるはずもなく――そして、リヒトは無視する男でもない。にこやかな笑みを浮かべて手を握る。

 だが、すぐにその笑顔が困惑に変わる。

 一方、シリウスの顔に浮かぶのは邪悪な笑顔――こいつ、思いっきり力を入れて手を握って挑発しやがって。

 狂犬か。狂犬だな……だけど、戦うのは今日ここじゃない。

 シリウスとリヒトの初戦には大きな意味合いがある――少なくとも、ゲーム上は。ただのチュートリアルと見せかけて、結果で分岐が発生する。シリウスが敗北した場合、ラスボスルートへの分岐が発生するのだ。

 裏を返せば、シリウスが勝った場合、そのルートは閉ざされる。

 シリウスの破滅ルートは無数にあるのだが、厄介なラスボスルートだけでも確実に叩き潰すため、初戦は必勝したい。

 そのためには、入念な準備が必要だ。


「シリウス様。勇者殿とは入学後にいくらでも友誼を深められます。今日のところはこれくらいで――きっと勇者様も多忙でしょう」


 そう言って、シリウスの手首をつかむ。もちろん、思いっきり力を入れて無言のメッセージを伝える。

 ――ここで3回回ってワンと言わせちゃいますよ?


「はっ」


 俺のメッセージが通じたかどうかは不明だが、シリウスは肩をすくめるとリヒトから手を解いた。じろりと俺に視線を向ける。


「そう水を差すな。ただの挨拶だ。なあ?」


 嘘つけ。

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