第44話 ひねくれた厚遇

 秋も深まり、いよいよアイリス学園の入学試験日が近づいてきた。

 受験生であるルシアは、ある意味で運が良かった。


「おい、こら。どうしてこの程度の問題が解けない? バカなのか? お前は知性を母親の腹の中に置いてきたのか? 胎児からやり直せ」


「……ご、ごめんなさいいいいい……」


 天才シリウスという家庭教師がついたからだ。前世基準で明らかにハラスメントの領域をぶっちぎっているが……。言語表現と容赦のなさはアレだが、優秀な人間なのは間違いない。勉強していなかった状態でも、アイリス学園で総合成績がトップ3に入っていたからな。

 俺が読書を薦めてから、今もシリウスは独自に勉強を続けている。その知性は計り知れないものだろう。

 そんなわけで、ビシバシと鍛えられている。

 ……というか、俺視点から見ても、相当、ルシアの知力はアレである。


「あまり勉強をなされていないのですか?」


「戦士の本領は強さ――剣の腕でなんとかなるかと思いまして……」


 俺の視線から目を逸らしてルシアが応じる。

 確かに、アイリス学園の試験結果でもルシアを意識したことがない。つまり、順位が低すぎて気にする必要もなかったからだろう。

 実際、剣の腕だけで入学を決めるのだから、たいしたものだ。

 ……魔王の覚醒が近づいている関係で、合格者の基準が強さに重きを置いている可能性もあるけどな。


「哀れなやつだ。頭で俺に負けて、剣まで俺に負ける。本当に哀れなだなあ、ルシア」


「頑張ります……!」


 シリウスからのハラスメントに落ち込みはしているが、しかし、根が体育会なのか、ルシアも根性がある。その目は死んでいない。絶対強者――己をはるかに超越する存在から何かを吸収しようと必死に取り組んでいる。

 口調は悪いが、シリウスが価値あるものを提供しているのも事実。そして、それをルシアも認めているのだろう。ゲーム内では、絶望的な目で屈辱を覚えながら悪役貴族シリウスに弄ばれていたのを思うと、ずいぶんマシな関係にはなったな。

 ルシアが話題を変える。


「ところで、試験日の1週間前に王都に着く予定でしたっけ?」


「はい、そうです」


 代わりに答えた俺に、ルシアが質問を重ねる。


「あの、早過ぎませんか……? 宿も無料ではないので前日くらいでいいような……」


 ああ、なるほど。それを気にしていたのか。

 笑い飛ばしたのは、隣に座る悪役貴族だ。


「滞在費を気にしているのか!? はははは、みみっちいなあ、お前は!」



「い、いえ、その! 倹約家と言ってください!」


 貧乏な男爵家なので、金を湯水のごとく使える公爵家とは立場が違う。


「別に問題などあるものか。王都にある公爵家の屋敷に泊まるからな」


「あ、ああ……」


 そりゃ、もちろんお前はそこがあるからいいだろうけど、私にはないんだよなあ……みたいな、悔しさが顔に滲み出る。

 シリウスはすぐに言葉を吐き出さない。

 ルシアのそんな表情をニヤニヤと笑いながら堪能してから、こう続けた。


「安心しろ。お前も泊めてやる」


「え!?」


 ルシアの表情がパッと明るくなった。色々な問題が一気に解決したからだろう。


「い、いいのですか?」


「構わん。安物の宿に泊まりたいのなら、好きにしていいが」


「お願いします!」


 そんな感じで話はまとまり、入学試験日の1週間前に到着するスケジュールでペイトロンの村を出た。

 王都カルシナートは王国の中心である。壮麗な王城の周りを囲むように、貴族街が広がっている。そこは王国を代表する名だたる貴族たちの広大で壮麗な屋敷がずらりと立ち並ぶ一角だ。


「……」


 馬車から街並みを眺めているルシアの表情がこわばっている。


「ルシア様、王都に来た経験は?」


「これが初めてです……」


 馬車からのぞく光景に、ただただ圧倒されているのも当然だろう。広大な王都の貴族街――最も華やかな部分を見ているのだから。

 シリウスが鼻で笑う。


「田舎暮らしが板につきすぎだな? もっと見聞を広げることだな。俺が教えてやる」


「はい……!」


 ルシアの顔は緊張で紅潮しながらも、その目はチャンスだと正しく理解していた。

 暴言を吐きまくるシリウスだが、無自覚なままに振り撒く恩恵は計り知れない。この王都での日々を公爵家の嫡男と過ごせる日々は、無名の男爵家の人間であるルシアにとって測れないほどの価値がある。

 公爵家に到着する。

 すでに到来を知らされていた公爵家の使用人たちが玄関前で待ち受けている。

 その数は――大勢。

「よくぞいらっしゃいました、シリウス様」


 そう言って、執事長が頭を下げると、10を超える使用人たちがそれに倣う。

 ルシアが絶句しているのが少し面白い。

 ……ルシアの家に使用人はいなかったからな……忙しいときに村人のステラおばさんが手伝いにやってくるだけだった。

 おまけに、屋敷のデカさ。彼女の生家であるラグハット男爵家、何個分であろうか。そもそも男爵家全体が庭だけですっぽり入るレベルだ。当然、造りの豪華も貴族街の界隈でも最上位である。


「あ、あの……なんかすみません……」


 屋敷の中に入りながら、ルシアがシリウスに小声で話しかける。


「何がだ?」


「い、いえ……その……狭くて汚い我が家にお泊めして――」


「はっ、本当だな! 公爵家の人間を迎えるには不足も不足だ! だが、別に俺はどうでもいいがな。必要であれば草っぱらでごろ寝でもする。お前の家は草っぱらよりはマシだったぞ」


 嫌味なのか捻じ曲がったフォローなのか、よくわからない言葉をシリウスが吐く。

 普通に「いえいえ、そんなことありませんよ。心地よく過ごさせていただきました」的な発言をすればいいのに。

 公爵家に到着しても、ゆっくりはできない。

 この別邸にシリウスの両親はいないようだが、ディンバート家の親戚が住んでいる。彼らへの挨拶が必要だ。


「お前も来い、ルシア」


「え、私もですか……!?」


「当たり前だろう。無料で泊めるんだ。貴族としての礼儀くらい果たせ」


 この件については、シリウスが100%正しい。

 旅装から貴族としての正装に着替えた後、俺たちはルシアを迎えにいく。実家から持ってきたドレスを着たルシアが立っていた。


「お待たせしました」


「チェンジ」


 ルシアの姿を見るなり、シリウスが吐き捨てた。ルシアの表情が固まる。


「酷すぎるな。何十年前のセンスなんだ?」


「ダ、ダメですか!? 我が家にある最も価値のある――おばあちゃんからもらったドレスを持ってきたんですけど!?」


「だから、古いんだよ。おい」


 背後に控えていたメイドに声をかける。


「この女に、マシな服を着せてやれ。こんなのを連れて歩けば、俺の恥だ」


 メイドの表情に同情の様子はなかった。これもまた、シリウスの言い分は正しい。ルシアの服装はあまりにも垢抜けていなかった。

 しばらくして、ルシアのドレスアップが終わった。

 パーティー用ではないので、落ち着いてはいるが、あちこちにフリルや意匠が凝らされていて、着ているものの気品を感じさせる。メイドが気合を入れてくれたのか、髪型まで丁寧に整えられていた。


「あ、あの、どうですか?」


 素晴らしい、綺麗だ。ルシアは気質的に『田舎で半ズボンで過ごしている男の子』みたい雰囲気を漂わせているが、女性としての外見は決して悪くはない。

「ふん、ギリギリ見られるようになったな、山猿が」


 もちろん、褒めないよね!


「それでいい、挨拶に向かうぞ。ああ、そうだ――」


 メイドに向かってことづける。


「他の服も確認して、微妙なものは新しいものに取り替えておけ」


「わかりました」


 そして、ルシアに向かってシリウスが続ける。


「服はくれてやる。そのドレスもな」


「え――!?」


「山猿が着たものなど使い物にならんからな――入試の合格祝いだ。不合格なら、全てゴミ箱に捨てるがな」


「……!」


 ルシアが息を呑む。自分が着せられた服の価値を、彼女も理解しているだろう。恐ろしいほどの厚遇だ。


「ありがとうございます! 我が家の家宝にします!」


「こんなものが? あと、合格してから言え。不合格でも笑えるから、構わんがな。さ、行くぞ」


 俺たちは挨拶回りを終えた――緊張したルシアが噛みまくっていたが。

 終わった後、入試の手続きのためにアイリス学園へと向かう。

 ……ついに、アイリス学園か……。ただの手続きだけなのだ。何事もなければいいのだが、どうなることやら……。







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