第42話 動き出す『勇者』

 その頃、光の勇者リヒトは聖女セリーナとともに大昔に打ち捨てられたカルッソー城へと向かっていた。

 もともとは古の覇王の居城であったが、今は違う。

 闇の力を操る女ヴァンパイア――ニコライアが不死の軍を率いて占拠していた。

 危険性の高さから王国は排除を悲願としていたが、下手に手を出せば激怒を招いて完全な敵対へと進む可能性もある。ゆえに数十年の放置と監視が続いていた。


 だが、今は違う。

 人類は希望を手に入れたから。


 ――リヒト、セリーナよ。王国の敵たるニコライアを討て。


 リヒトの使命は打倒魔王。ヴァンパイアの排除など、それに比べればあくたにも等しい。

 これができなくて、なぜ人類を救えようか?

 リヒトには微塵の恐怖も、躊躇もない。


 ――勇者だからこそ、成すだけ。


 その一念に揺らぎはない。

 十重二十重の防衛網を突破して、リヒトは謁見の間にたどり着く。

 玉座に座っていたのは20代後半くらいの女性だった。数百年前からずっと変わらぬ美貌がにっと笑い、その赤い瞳に蠱惑的な輝きを灯る。


「そなたが噂の光の勇者か。何用か?」


「人類の剣としてあなたを倒しにきた」


 リヒトは右手に持っていた剣を構える。

 その刀身に、太陽の輝きが如き輝きが灯る。リヒトの光の魔法だ。

 くくく、とニコライアが笑う。


「魔王に挑むと鼻息を荒くする愚者が。わらわは男の血など興味はないが、お前の血は面白い味がしそうで楽しみだ」


 吸血鬼と勇者の激闘が始まった。

 勇者といえど、しょせんは人間――大昔に人間を超越したニコライアに負けるつもりなどありはしない。

 ニコライアにとって、まだ10代半ばのリヒトなど、可愛らしい少年でしかなかった。


 実際、リヒトはそう思われても仕方がなかったが。

 おさまりの悪い茶色い髪が特徴的で、その瞳には溌剌とした輝きがある。人類の希望という重圧をものともしない輝きが。必ずそれをやり遂げようという意志の輝きが。それは己の未来を信じる少年の瞳だった。

 優男風で表情には柔らかいものがある。それもまた、彼の戦士としての価値を値引くものだろうが、言葉には己の意思を伝えようとする毅然さがあり、厳しい鍛錬で鍛えた体は硬く引き締まっている。

 人としての強さが、そこにはある。

 だが、ニコライアはそんなものを評価しない。そんな強さなど、とうの昔に捨て去ったから。彼女にとって人間はいずれも人間であり、強者も弱者もなく、ただの血袋なのだ。


 ――その油断が、不死の女王を殺す。


「くはっ!?」


 ニコライアの攻撃をかいくぐり、リヒトが玉座に到達。とっさに闇の結界をはるが、光をまとった剣がそれを一撃で破砕、返す一撃でニコライアの体を切り裂いた。


「さすがは、勇者か――!」


 己の闇魔法が簡単に打ち砕かれることにニコライアは驚く。

 距離を取ろうとするが、即座にリヒトが詰める。


「ここであなたを倒す!」


 時間を与えるつもりはなかった。そして、それは正しい判断だった。なぜなら、不死身である吸血鬼の体はすぐに再生するからだ。畳み掛けて、回復が不可能なダメージを一気に与えるしかない。


 ――もちろん、そんなことはニコライアも知っている。よく、知っている。


 リヒトの追撃を何度も喰らいながら、一撃ごとに魂を焼くような光の熱さに苦悶しながらも、勝利を確信する。


(短時間で勝負をかけないといけない人間は、その焦りに殺される)


 そうやって、何度も葬ってきた。勝利を確信する表情が絶望に変わる様子は心の底から心地よい。


「終わりだ!」


「そう、終わり――『ダーク・スピア』」


 攻撃を喰らいながら練っていた魔力を展開する。リヒトの右前横に無数の黒点が出現した。黒点から、一撃必殺の槍を吐き出す魔法だ。


(何も考えずに飛び込めば死ぬだけ――回避するには攻撃を止めるだけ)


 そうすればニコライアは回復する。

 そして、もうニコライアに油断はない。


(今度こそ、確実に殺す)


 だが、ニコライアは気づいていなかった。

 今もまだ、自分が油断している事実に。


「うおおおおおおおおおおおお!」


 リヒトは雄叫びを上げながら突進、死地に迷いなく踏み込む。確実にニコライアを仕留める、その強い意思を示すかのように。


(愚かな……!)


 どちらでも良かった。踏み込んでも、逃げても。どちらにせよ、ニコライアの勝ちなのだから。

 闇の槍が放たれる――


「『ホーリーシールド』!」


 澄み切った女の声が響き渡った。瞬間、リヒトと闇の槍の間に黄金の盾が生まれる。それは容赦なく闇を払った。まるで、リヒトに進むべき道を示すかのように。


「なっ――!?」


 ニコライアに次の一手はなかった。

 気づいたときには、ニコライアの胴体は真っ二つに切断されていた。崩れ落ちる視界の端で、玉座の間の入り口に立つ、青と白の服に身を包んだ小娘の姿を見た。


(ああ、聖女――)


 その意識は、リヒトが振り下ろした次の一撃で闇に落ちた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 胸に剣を突き立てられたニコライアが完全に静止したのを見て、リヒトは大きく息を吐いた。今までの戦いによる負傷と疲労は限界に達している。


「頑張った……」


 そんなことを言って、腰を落とす。


(少しは、人類を救えたかな……?)


 そんなことを思う。そして、満足を覚える。それこそが、勇者リヒトの戦う理由だ。

 そこに錫杖を手にした聖女セリーナが近づいてきた。胸まで伸びた銀色の髪と美しい顔立ちが目をひく少女だ。


「お疲れ様です、リヒトさん」


 ニコニコとした顔でセリーナが近づいてくる。


「ありがとう、セリーナ」


「ええとですね、はい、私は怒っています」


 ニコニコとしたまま、セリーナが怒りを表明した。温厚だと思われているセリーナだが、実はそんなことはなく、よくリヒトは叱られる。


「は、はい……」


「さっきのホーリーシールド――私が間に合ったからいいものの、遅れていたらどうしていましたか?」


「セリーナなら、間に合うと信じていたよ」


 これは本当だった。きっとセリーナなら守ってくれると信じての突撃。

 ニコニコとした表情を崩さずに、セリーナが反撃した。


「そういうの、迷惑です」


「ご、ごめん……」


「それに、どうして一人で先行なされたのですか? せめて、私だけでも連れていってくれれば――これでも、大急ぎで後を追いかけたんですよ?」


「その……みんなが大変そうだったから。少しでも早く倒そうと思って――」


 ヴァンパイアを倒せば、その魔力によって動く不死者は力を失うからだ。この討伐には多くの冒険者たちが参加している。彼らが傷つく時間を少しでも減らしたいと思った。

 それが勇者だと思ったから。


「そういうの、カッコよくないですから。リヒトさんが死んじゃったら、もっと多くの人間が死ぬんですよ?」


「それはそうだけど……その、死なないから。僕は死なない」


 馬鹿正直にそれを信じている。魔王を倒す未来の己も。

 それこそが、世界の――ゲームの主人公に与えられた勇気と特権。

「普通に死にますから。死なせないために、大変なんですから。今回も私、必死にリヒトさんの後を追ったんですよ?」


「……ご、ごめん……聖女のセリーナなら大丈夫かなって……」


「否定はしませんが……私、かよわい乙女ですよ……?」


「次は気を付ける」


「わかりました、今日は特別に許します。今日だけの特別ですからね」


 出会ってから、今まで何度も積み重ねられた『特別』を口にして、セリーナは矛先を納めた。言葉が終わると同時、セリーナの手がリヒトの肩に触れる。温かい光が灯った瞬間、リヒトの体についた傷や疲労が癒やされる。

「頑張ったのは認めます。でも、もう無茶はダメですからね」


「……うん」


 だけど、リヒトは無茶をする。それは、リヒトもセリーナも知っている。今日のようなやり取りを重ねて、ここまで来たのだから。


(それが勇者なんだ)


 そう、リヒトは思い、


(それがリヒトという人だから)


 セリーナも渋々受け入れている。

 少しだけ沈黙した部屋に、能天気な声が入ってきた。


「なんや、終わったんか?」


 3人の人影が入り口に現れる。

 一緒にヴァンパイア討伐を受けたA級冒険者のソードスたちだ。発言したのは、妙な訛りのある双剣使いシフーだろう。


「ええ、どうにか」


 リヒトの返答を聞くと、戦士のソードスが口笛を吹いた。


「さすがは勇者だ。あのガキといい、どうなってんだ、最近の若い連中は?」


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