第40話 大人とお子ちゃまと
ルシアを欠いてからも掃討作戦は続いた。その日が終わっても、翌日も、翌々日も。
あくまでも狼たちの完全なる根絶が目標である。その姿が見えなくなるまで、入念に森の探索は続いた。
「――もう狼の姿はありません。森は安全になったと見て間違いないでしょう」
冒険者たちがオールクリアの報告をして、ついに作戦は終わりを迎えた。
エルダーウルフの出現によって冒険者たちに犠牲者が出てしまったのは残念だが、それ以外に大きな問題は起きなかった。
冒険者たちの追悼と慰労を兼ねた盛大な祭りが村を挙げて行われた。
村人たちの顔には笑顔があった。狼たちへの恐怖を抱く必要もなく、活用できるようになった森の資源のおかげで村の未来も明るい。
これから、自分たちはどうなってしまうんだろう?
そんな陽気な明るさに気分が良くなっている。
「ありがとうございます、シリウス様!」
「シリウス様が来てくれて本当に良かった!」
「あんなに大きな狼まで倒してしまうなんて! 本当にすごいですなあ!」
酔っ払った村人たちが口々にシリウスを褒め称える。
屈託のない褒め言葉を受けて、捻くれたシリウスの心にも湧き出す湯のような暖かさが広がって――
いくことなどなかった。
傲慢なる王にとっては、その全てが無意味。
(俺が偉いなど、わかっていることだろうが!)
そんなふうに思ってしまう。さすがに口にしても得がないことくらいわかるので、ああ、とか、ふん、と適当な相槌だけを返しているが。
それに、素直に受け取れない理由があるのも事実だ。
(エルダーウルフを倒したのは、俺じゃない)
――オスカーだ。
二人による共闘と呼ぶことすら
だが、オスカーが画策した通り、その手柄はシリウスのものになってしまった。
(腹が立つ……!)
今回は、飾りの王になることを受け入れたが、想像以上に腹が立つ。自分の手柄ではないことで褒められても、怒りしか湧かない。
この状況にシリウスを追い込んだ腹黒執事は、丁寧な物腰で色々な人物と笑顔を浮かべて会話を楽しんでいた。
――その能天気さも腹が立つ。
「先に戻る」
そう言い捨てると、シリウスは割り当てられた部屋に戻った。
薄暗い部屋でイライラとした気分と対峙していると、ノックもなしにドアが無造作に開いた。
「あ、いたいた」
そこに立っていたのはオリアナだった。
「家に戻るのが見えてさ、追ってきたの。わかるわかる。しょぼいよねー」
ケラケラとオリアナが笑う。
「小さな村の小さな祭り。興味なんかないよね、あはははは。私も逃げてきた」
「ああ、そうだな、くだらない祭りだ」
己の心の中にある苛立ちとともに吐き捨てた。
それはある意味で八つ当たりだ。シリウスは己の心にある感情を消化できていない。
従僕オスカーにしてやられている部分と――オスカーを認めている部分。その両方の感情がない混ぜになって、胸に言語化不能の不快な気持ちが蠢いている。
(ああ、そうだ、これは八つ当たりだ。この怒りのような感情をどうすれば吐き出せる? 捨てられる?)
そのとき、目の前にいる女がとても魅力的に見えた。
「オリアナ、こっちに来い」
「何かしら?」
オリアナは平然と、それが当たり前のように距離を詰めていく。
シリウスは、こちらもとても自然な動きで、目の前に立つオリアナの腰と後頭部に手を添える。
「言っていたな、俺がその気になったら抱いてやるって」
「ええ」
オリアナの口元に喜びの感情が浮かび上がる。彼女もまた、わかっている。彼女もまた見ているから、シリウスの瞳に映る渇望に。
シリウスはオリアナの唇を貪る。
甘く柔らかい感触が、シリウスの精神的な輪郭を溶かしていく。腹の中の苛立ちがかすかに和らぐのを覚えた。
唇を離すと、上気したオリアナの双眸がシリウスを見つめている。桃色の舌がちろりと口からこぼれて、オリアナが己の唇を舐めた。
「まさか、もう終わり?」
「もう忘れたのか? 抱いてやると言っただろうが」
乱暴な手つきでシリウスはオリアナをベッドに押し倒す。
オリアナが楽しそうな嬌声をあげた。
「思う存分、相手をしてやるよ」
「お好きなように。私はあなたのものだから」
二人の影が重なった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜気に沈んだ部屋で、ルシアは目を覚ました。
窓から空を見上げれば月が浮かんでいるけれど、外からは、いつにない明かりと村人たちの話し声が聞こえてくる。
(ああ、祝いの祭りか……)
その予定は聞いていたが、まだ体が辛いので参加は辞退した。
あのエルダーウルフに打ち負かされてから、ルシアはベッド療養を続けていた。体が頑丈なおかげか、長時間の寝たきり生活になるような怪我はなく、寝ていれば治るだけで済んだのは運がよかった。
エルダーウルフと対峙したときの恐怖がふと蘇る。
――勝てない。
それは絶望と同じ意味だ。
(まさか、あれを倒してしまうなんて――)
倒したものの名前は見舞いにきたオスカーから聞いた。
「シリウス様が間に合ってよかったです」
シリウス・ディンバート。
(まさか、それほどの実力とは……)
狼の顔面を断ち割っての勝利と聞いた。まさに鎧袖一触。善戦すらできず、一方的に打ち負かされた自分の情けなさよ。
(やはり、認めなければならない――)
シリウスの実力を。それは尊敬に値するものなのだ。
そして、認めるべきことが他にも。
――お願い、シリウス。
意識を失う直前、自分の口から出た言葉をルシアは忘れていない。あのとき、心の底からすがったのは暴君シリウスだった。
「ど、どうして、あのようなことを……」
少し顔を赤くしながら、ルシアは布団の中に潜り込む。
だが、そんなことをしても事実は消えない。あの瞬間に頼ろうとしたのはシリウスの圧倒的な力なのだ。
今までシリウスの顔を思い出すたびに苦味のような感覚を覚えていたが、今は違う。少しばかり、親しみに近い情感が足されている。
ひょっとすると、それは愛情とも――
「ち、違う……これは好意――そう、広い意味での好意だ。あの男は、腹が立つが、見るべきところもあるのは事実。認め始めているのだ。うん」
ルシアはそう己に言い聞かせた。
(……と、ともかく、あの男は好かんが、礼は言わねばなるまい)
こちらに戻ってきてから、まだルシアはシリウスと会っていなかった。ルシアは動けなかったし、シリウスは見舞いに来るような男ではないのだから当然だ。
ルシアはよろよろと立ち上がった。
窓から外を眺める。
(……シリウスの姿が見当たらない……)
オスカーの姿はあるけども。
(……部屋に戻った……?)
それほど不思議でもなかった。生まれてから贅沢しか知らない傲慢な男が、こんな小さな村の祭りを楽しんでいるはずがない。
ある意味で運がいい。家の人間は祭りに出て誰もいないだろう。シリウスに感謝の言葉を述べている姿を見られたいとは思わない。今のうちに片付けておこう。そんなことを思いながら、ルシアはゆっくりとした足取りで部屋を出た。
(なんとか歩けるまで回復したな……)
まだ踏み出すたびに、体のあちこちが悲鳴をあげるけれども。
慎重な足取りで薄暗い廊下を歩いていく。
さして広くもない邸宅だ。あっという間にシリウスの部屋にたどり着いた。
ドアの前に立ち、さて、ノックをするぞと気構えたときだ。
「――?」
違和感に気がついた。
ドアの向こう側から、奇妙な音が聞こえる。
それはかすかにベッドの軋む音と、甘やいだ女の声だった。
(え、え、え?)
ルシアは混乱した。残念ながら、今までの人生で初めて巻き込まれた状況だったから。
ぐるぐると回る頭で、かろうじて存在する知識を総動員して『そういうこと?』と仮説を立てた。
家中の人間が外に出ていて、屋敷の中は静かだった。もう少しドアに近づけば、もっと何かを確かめられるだろう。
顔を真っ赤にしながらもルシアはそっと前に進み、じっと耳に意識を集中させた。
『はぁ、いいよ……シリウス……シリウス……』
『もう満足なのか?』
『ダメ、もっと、もっと……!』
聞こえてくる男女の声は、シリウスとオリアナの声で間違いない。
(あ、あわ、あわわわ……)
ルシアはどうすればいいのかわからず、ドアの前で固まった。
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