第39話 傲慢なる王と従僕と

 その少し前のこと――

 シリウスもまた、異常な音を検知していた。


「なんだあ?」


 奇怪なリズムの笛の音だ。少なくとも、普通ではない。感じた違和感は、シリウスが抱く『違和感』を大きく逸脱していた。音の聞こえた方角に目をやる。


「あっちは雑魚ルシアか……」


 リーダーは担当エリアを守ることが基本だが、それはあくまでも平常の場合のみ。異常の場合でも守るような愚直さをシリウスは持ち合わせていない。

 何か狼の遠吠えまで聞こえる。

 普通のヘルウルフのサイズとは比較にならない重低音が――


「くははははは、ああ、雑魚ルシアでは荷が重いかもなあ!」


 面白そうな奴がいるじゃないか!

 そんな興奮が頭を沸騰させる。雑魚ルシアの救助というよりは、発生したトラブルへの好奇心に突き動かされてシリウスが走り出す。

 移動を早くするため、木を登り、枝から枝へと飛び移っていく。

 なんだ!? 何が起こっている!?

 胸の高揚のままに、口元に笑みが浮かんでいる。


(少しは歯応えのある奴ならいいだがなあ……!)


 無能なD級冒険者のお守りなど、シリウスからすれば退屈極まりない話なのだ。

 移動を続けて、ついに現場へと辿り着く。

 そこには――

 ヘルウルフを大きく凌ぐ巨大な狼がいた。


(おもしれぇ!)


 明らかに強者の雰囲気を醸し出している。あいつと戦うことができれば、どれほど心が躍るだろうか!

 背負った大剣に手をかけて――


「あん? おいおい、オスカーの獲物かよ……」


 狼と相対する執事に気がつく。

 もちろん、傲慢なる悪役貴族であるシリウスからすれば獲物の横取りなど上等である。文句を言うのなら、そいつごと無礼打ちだ。


(だが、オスカーか……)


 気を使ったと言うよりは、単純に興味があった。確かにシリウスはオスカーと切り結んだが、オスカーが別の何かと戦っているシーンを見たことがない。


(あいつの強さを見るチャンスか)


 にやりとシリウスの口元が動く。


(見せてもらおうじゃねえか、お前の実力を!)


 ずいぶんと強くなった自覚はある。その強者であるシリウスの目で、今のオスカーを見定める。


(雑魚オスカーなら、この場で殺すか)


 それも一興。

 くだらない男に膝を屈するつもりはない。

 ――だが、オスカーの強さはシリウスを失望させなかった。


「カウンター、カウンター、カウンター、カウンター、カウンター――」


 機械的なカウンターの連打。

 馬鹿のひとつ覚えとも言えるが、それほど容易なことではない。カウンターを発動できるのは一瞬のタイミングだけだ。それを正しくなぞり続けるのは、相当の熟練が必要だ。

 そんな超難度をオスカーは呼吸をするかのような当たり前さでこなしている。

 全ての攻撃を排除する――

 それは文字通りの、鉄壁。


(おいおい、なんてやつだ……!)


 シリウスは肝を冷やす。

 そのカウンターの切れ味は自分が相対したときよりも数段鋭い。シリウスがレベルアップしたのと同じく、オスカーもまた腕を上げているのだ。

 その事実はシリウスの胸を熱く燃やす。


(そうだ! そうでなくてはな! お前は俺を楽しませてくれる!)


 つまらなければ殺す――そう思ったが。

 今は今で、その首を落としたい、挑んでみたいと思っている。


「カウンター」


 乾坤一擲をかけた巨大狼の噛みつき攻撃も、容赦なくオスカーはカウンターで弾く。

 そんな難攻不落な城壁の防御を思わせる威圧は、確実に対戦相手の心をくじいた。顎を断ち割れて、口から血をダラダラと流しながら、巨大狼は森の奥へと逃げようとする。

 その情けない弱者ムーブはシリウスを苛立たせた。

 戦う意欲を無くした、図体だけでかい雑魚。その爪も牙も飾りで、強者としての誇りはすら失ってしまった。

 見るに耐えない生き物。

 狼が己の足元に来たと同時、シリウスは大剣を引き抜いた。刃に雷がまとわりつく。


「雑魚が、逃げてるんじゃねえよ。興醒めだ」


 枝から飛び降りて、巨大狼へと襲いかかる。


「オラアッ、死ね!」


 絶叫とともに、狼の顔面を大剣で振り抜いた。顔を真っ二つにされて、さらに電撃で焼かれて、完全に狼はこときれる。

 シリウスが着地した直後、大きな音を立てて狼の巨体が地面に倒れ伏した。

 だが、もうシリウスの目は狼を見ていない。

 どれほど強き存在であろうと、死んだ相手のことなど、もはやどうでもいい。今シリウスの目は、その絶対強者の心を完膚なきまでにへし折った男に向いている。


「オスカー……!」


「さすがですね、シリウス様。ただの一撃で仕留めるとは」


「はっ! しょせんは魂を失った愚図だ! こんなやつを倒したところで自慢にもなりはしない! そこまで追い詰めたやつの手柄だろ?」


 シリウスの目は――戦意は、夜鷹を持つオスカーに注がれる。

「キレてるじゃねえか……お前のカウンター。どうだ、この俺と再戦しないか? きっと楽しい戦いになるぜ?」


 シリウスが大剣を構えるも、


「お断りします」


 オスカーはにべもない。


「モーションが大きくて、動きが単調だった――相性が良かっただけです。あまり過大評価しないでください」


「チッ、つれない男だ!」


 オスカーの冷めた様子は、シリウスの興を削ぐ。戦いとはコミュケーションなのだ。もちろん、やる気のない人間を蹂躙するのも楽しいものだが――

(こいつとの決着は最高のメインディッシュだ。そんな味わい方は違うな)


 シリウスも、今日は退こうと思い直す。

 そこへ、オスカーが言葉を継いだ。


「このエルダーウルフを倒したのは、シリウス様でお願いします」


「はあ? お前だろうが!?」


「事実としてシリウス様ですよね?」


 とどめをさした、という意味ではそうだ。

 だが、シリウスからすれば納得はいかない。シリウスは終わらせただけ。戦いそのものはそれ以前に終わっていた。狼の心を砕いたのはオスカーだ。


「勝ったのはお前だろう?」


「私にはこだわりがないポイントです。そして、今はまだ、私は表に出ないほうがいい。私にとってもシリウス様にとっても。それだけです」


 言うべきことは言った――オスカーはシリウスに背を向けると、気を失っているルシアの元へと歩いていく。

 だが、シリウスにとっては終わっていなかった。


「……俺にお飾りの王になれと……?」


 口元を動かす程度の小声でつぶやく。

 それは耐え難い事実だった。誰かに譲られた勝利や名誉など、不快千万。都合の良い悪いなど、シリウスにとってはどうでもいいこと。

 腹の奥底で燃え上がる憤怒の炎が、オスカーへの殺意をたぎらせる。

 オスカーはルシアの介抱をしている。

 その背中はガラ空き。


 ――もしも、今この瞬間に無言で攻撃を仕掛ければ、どうなる?


 静かに、シリウスはオスカーの背中を見つめる。

 静寂の中で、己の殺意に触れる。

 腹の底に覚えた暴力を眠らせる方法をシリウスは知らない。発散と発露――それだけが向かう先だ。

 ゆっくりとゆっくりと、殺意が膨れ上がる。

 それが今、シリウスの境界を越えていく。


「オスカー、貴様、殺すぞ」


 吐き捨てると同時、シリウスは背後からオスカーへと襲いかかった。あっという間に距離を詰めて、大剣を振り下ろす。

 仕留めた――!

 だが、それよりも早くオスカーが動いた。

 一瞬で体を180度回転させて、夜鷹で大剣を弾いたのだ。


「チッ!」


「……お戯れはおやめください。ルシア様の容態がよくありません。申し訳ありませんが、私はルシア様を連れて帰ります。討伐は引き続きお願いします」


 オスカーは夜鷹を鞘におさめると、ルシアを背中に担いで歩き始める。

 完全に無防備で、今ならば殺せるが――


「チッ……」


 シリウスは大剣を背中に収める。もはや、戦意も殺意も消えていた。削ぎ落とされた、というべきか。

 結局、声をかけたのが全てなのだろう。

 本気で殺すことだけを考えるのなら、声すらかけずに首を打つだけ。だが、それをシリウスの本心は良しとしなかった。気づく機会を与えてやろう。それで反応が遅れたのなら価値もなし――

 そんな言い訳を己に許し、完全な不意を打つことができなかった。

 それが『シリウスとオスカーの今』の到達点だ。


(……今はまだ、生かしておいてやる……)


 そう結論づけた。

 オスカーを殺すとするなら、それはオスカーに利用価値がなくなったとき――己が明確にオスカーを超えたと判断したときだ。さっき声をかけこそしたが、背後をとった圧倒的な状況だった。にも関わらず仕留められなかったのは、まだシリウスの力がオスカーに届いていないからに違いない。


「……いいだろう……お前の言い分は呑んでやる……」


 確かに、オスカーの実力を伏せているほうが何かと便利なのは間違いない。こちらの手札を他人に教えてやる道理はない。利があるのは事実だから。


「思う通りの道化になってやろう、今だけはな……!」


 傲慢なる王は、従僕に背を向けて森の奥へと向かっていく。


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