第36話 狼たちの掃滅を開始する

 森への侵攻が始まった。

 最終目標は狼たちの殲滅――基本的には根絶やしを目指す。なので、20組弱の冒険者たちで森を包囲するように進めていく。


 D級冒険者3人1組だ。魔獣とかした狼たちと戦っても、それなりには戦えるだろう。狼2匹を相手取ったルシアの見立てによると、グループで3匹くらいなら安全に狩れるだろう、という見立てだ。

 やはり、ルシアは役に立つな。

 ちなみに、同じく狼を相手にしたシリウスは――


「は? わかるわけないだろ。一撃で切り伏せた雑魚だぞ」


 強さの尺度が違いすぎて役に立たない。

 とはいえ、狼たちも馬鹿ではない。冒険者が危険な存在だとわかれば、群れの総力を上げて叩きに来るだろう。


 そうなれば、狙い撃ちにされた冒険者では歯が立たない。


 その場合、笛を使うことにした。

 笛は3種類あって、それぞれ森を3等分した各エリアに対応している。


 当然、森を囲むように配置された冒険者たちは、そのエリアのどこかに配分されているわけだが、彼らにはエリアに対応した笛を持ってもらい、手に負えない状況に陥ったら即座に笛を吹いてもらうことにしている。


 その3エリアにそれぞれ、シリウス、ルシア、オリアナの3人を配置しており、笛の音が聞こえ次第、それぞれ担当している人物が救援に向かうことになっている。

 お助け笛と言ったところだ。

 ちなみに、この人選はかなり難航した。


「え? 私が? 嫌なんだけど?」


 当初、冷淡令嬢のオリアナからは普通に拒絶された。確かに、オリアナからすれば、ここに遊びに来ただけなのに、こんなものに巻き込まれる筋合いはないだろう。

 だが、さすがにシリウスとルシアだけでは広すぎる――

 どうにか巻き込めないかと思案していると、


「うるさい黙れ。ごちゃごちゃ言わずに手伝え。俺の命令だ」


 シリウスがそう言うと、まるで餌をもらった犬のように喜びを顔に表して「もう、仕方がないわねー」と了承してくれた。

 オリアナもまたネームドキャラにふさわしく、強力な魔法の使い手である。狼ごときに苦戦する人物ではない。

 そして、もう一人めんどくさい男がいた。


「おい、オスカー……お前も手伝え」


 シリウスが俺に粘着してきた。

 もちろん、断ったが。それが気に食わなかったらしく、ご機嫌斜めなシリウスに睨まれてしまった。俺には俺の考えている役割がある――その準備が役に立たないことを祈りたいところだ。


 それが作戦の全容だ。


 ようするに、森を囲んで攻めて、ピンチになったら笛を吹いて、笛が聞こえたら遊撃の立場であるシリウスたちが援軍に駆けつける――そういう流れだ。


 冒険者たちを配置につかせた後、しばらくしてから、オリアナ、ルシアの持つリーダー笛が響き渡る。

 二人によって配置が確認された、ということだ。

 それを受けて、シリウスもリーダー笛を大きく鳴らす。最後はシリウスと定めていて、それが聞こえたら、出発の準備だ。


「いくぞ!」


 気合を入れて冒険者たちが次々と森へと侵入していく。

 いよいよ、狼たちの殲滅作戦が始まった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 早朝から作戦が始まり、もう5時間がすぎた。舞台は昼食を終えて、まだ森の奥へと進んでいる。

 ルシアは冒険者たちの一団から少し距離を置き、後方を一人で歩いている。

 足元に、切り伏せられた狼の死体、3匹が転がっている。遭遇した冒険者たちが撃退したのだろう。


(うん、今のところは順調だ)


 散発的に笛の音が聞こえて援護に駆けつけるが、頻度は高くない。全容をルシアは把握できていないが、冒険者たちの損害はさほどではないだろうと想像がつく。

 なにせ、D級冒険者が60人なのだ。


(D級冒険者は、決して弱くない……)


 実際に剣を交えてみて、ルシアはそう実感している。強さに個人ごとのブレはあるものの、一般的に『戦士』と名乗って恥ずかしくないレベルには達している。


 そんな使い手が徒党を組んでいるのだ。


 グループで相手できるのは3匹がラインと提案したが、かなり安全マージンをとっているのが正直なところだ。

 おまけに、シリウスたちが後詰として入っている。


(よほどのモンスターでもなければ、ピンチにはならない)


 それがルシアの実感だった。

 この掃討作戦は成功する――

 それはルシアにとって、束の間、戦場にいることを忘れさせてしまうほどに甘美な言葉だった。


 村を管理するものの娘として、寂れた状況には胸の痛む思いがあった。両親のため息まじりの弱音を何度も耳にした。それでも元気に村を支える村人たちへの感謝と負い目が毎日のように積もっていく。


 ――どうにかできないのだろうか?


 もっと皆を笑顔にできないだろうか。生活を楽にできないだろうか。

 私にできることは、ないのか?


 ない。ないないないない。


 思いつかなかった。ルシアには剣を振るうしか才能がない。騎士として腕を上げて、公爵家に取り入って、この村への援助を約束してもらう。

 そんなことしか思いつかない。


 だけど、そんなことをするには何年かかる? 本当にできるのか?

 ――嫡男のシリウス・ディンバートに大敗を喫した自分に。


 そんな暗い世界に、ようやく光が見えてきた。今までは使えなかった森の資源を活用できるのなら、きっと未来は大きく輝くだろう。

 もうすぐそこまで迫っている。

 だけど、それを成さしめたのは自分ではない。


 シリウス・ディンバートだ。


(あの男が来てから、ここまであっという間だった……)


 あっという間に、村の状況を変えてしまった。今日この日を無事に終えれば、今までとは全く違う未来が広がるほどに。

 いまだ傲慢極まりない態度のシリウスは好きになれない。

 はっきり言って、不愉快だ。


(だが、認めなければならないのかもな)


 少なくとも、その手腕と才能は目を引くものがある。そこは認めるべきだろう。


(感謝も、か――)


 今まで、そんなことを口にしたことはなかったが。実に言いたくもないが。はっきり言って気が進まないが。

 今のままだと、まともな人間に育った律儀さが微妙に軋む。


(やれやれ……)


 そんなことを思っていたときだった。

 ピーッ!

 笛が聞こえた。ルシアが担当するエリアのものだ。

 ピーッ! ピーッ! ピーッ!


(この笛の男は……?)


 異常だった。何度も何度も吹いている。状況の切迫さを伝えるような――まるで悲鳴のような――

 ルシアは無意識のうちに走り出していた。

 そんな吹き方は指導していなかった。そして、それは守られていた。危機の笛を吹くのは一度だけ。援軍がまだ来なくて再び吹く場合は、少し時間をおいて。


(何か異常だ。間違いなく異常だ)


 ルシアは思わず、腰に差した剣を手で確認してしまう。

 前方から、走ってくる冒険者が見えた。


「――!」


 思わずルシアは息を呑む。冒険者の右肩から右胸がざっくりと裂けている。その傷を抑える左手からは真っ赤な血があふれていた。彼は泣き出しそうな後ろを振り返りながら、何度も笛を吹いている。


「ルシアです! どうしましたか?」


 ルシアが呼びかける。

 その瞬間、若い冒険者は、まるで地獄で女神にあったように表情を崩す。まるで倒れるような様子で、ルシアの前で止まった。


「あ、あ、あの! に、逃げて、逃げて――くだ、さい!」


「待ってください、他の2人は?」


「わかりませんが、も、もう――」


 泣きそうな、無力感の漂う表情が全てを語っていた。


(死んだ……?)


 信じられない気分だった。この目の前にいる若い冒険者は、60人の中でも実力上位の戦士だった。その彼が、ここまで怯えて、深い手傷を負うなんて。


 ――よほどのモンスターでもなければ、ピンチにはならない。

 よほど。


(よほどのことが、起こった?)


 そのとき、巨大な何かが木々の間を縫って姿を現した。

 狼だった。

 体高だけで3メートルはあろうかという、巨大な灰色の狼。その口には、逃げてきた男とパーティーを組んでいた仲間がくわえられていた。深々と牙が食い込んだ体にも、だらりと垂れ下がった腕にも生命の息吹は感じられない。


(今までの狼とは明らかに違う――!?)


 巨大な狼の、怒りに燃えた双眸がルシアをじろりと見つめた。


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