第34話 はい、論破

「とっておきの提案……?」


「くっくっくっく……いいか、俺たち貴族にはお前たち平民にはない多くの特権がある……例えば、王宮の書庫に入って閲覧するなど、造作もないことだ」


 どうして普通に喋れないのかなあ、シリウス君……?


「それがどうしたんですか。自慢ですか? 本が哀れですね。価値を理解できない人にしか見てもらえないなんて」


「吠えるな、駄犬。いいか、さらに俺のような高貴な生まれの人間には、お前ら駄犬に閲覧許可を与えることができるんだ――王宮にある書庫にある書物のな」


 くっくっく、と笑ってから、瞳に勝利を確信する輝きをたぎらせてシリウスが続ける。


「取引だ。閲覧許可を与える書状をくれてやろう――代わりに俺の命令に従え」


 想像できる限り、最も最悪なワードによってシリウスが口説きにかかる。

 普通であれば、おとといきやがれ! と言われてもおかしくはない台詞回しだ。

 相手が、普通であれば――


 モアレは即答しない。


 明らかにさっきまでと反応が違う。頭の回転の速さを見せつけるように当意即妙な切り返しをしていたが、今は目を細めてじっとテーブルを見つめている。

 技術に自信のある錬金術師にとって、それを研鑽することに余念のない男にとって――

 普通であれば読むことができない本の閲覧権は垂涎の代物。

 そして、今回の取引を拒めば、二度と手に入らないかもしれない機会。

 モアレにとって、己の意地と秤にかけるには十分すぎるほどの対価だ。

 しばらくの沈黙の後、モアレは大きなため息をついて返答した。


「癪に触るが、魅力的です。いいでしょう、お受けします」


「ふっはっはっはっはっはっは!」


 シリウスが大爆笑する。それはも痛快で、腹の底から響き渡るかのような声で。


「そうだ、それでいい! 全く手間をかけさせやがって! 公爵家に用意できないものなどない! 感謝してせいぜい仕事に励め!」


 ええい、話がこじれる!


「では、シリウス様。詳細はルシア様にお任せして、今日は戻りましょう」


「ルシアに? なぜ?」


「要員のアサイン――シリウス様は役割を果たしました。細やかな話は領主の娘であるルシア様が適任です。お任せしましょう」


「はい、お任せください!」


 ルシアの顔が色めき立っている。やる気があって大変よろしい。

 俺たちはルシアを置いて戻ることにした。どんな話をするのか、本当は横で聞いていたいところだが、シリウスを放置してルシアの横に俺がいるのは変な話だ。おまけに、シリウスを放置すると何をしでかすかわからない……。

 ルシアは真っ当な人間だ、うまくやってくれると期待しているけど。


 領主の屋敷に戻る。

 すると、シリウスが消えたタイミングでオリアナが話しかけてきた。


「気のせいかな……執事君、うまく立ち回りすぎじゃない?」


 オリアナの瞳が、俺の価値を推しはかろうとしている。オリアナは勘が鋭い。油断できないな。


「……どういう意味ですか?」


「さっき、シリウスが錬金術師君を書庫の閲覧権で口説き落としたけどさ――」


「さすがはシリウス様ですね」


「――話を向けたの、執事君だよね?」


「ああ……特にそういう意図はなかったんですが……ただ雑談を振ったところ、面白い言葉が引き出せた――というところでしょうか。私は特に意識していませんでしたが、逃さずに結果に繋げたのはシリウス様のセンスでしょう」


 よいしょ、よいしょ、シリウスよいしょ。

 僕は普通の執事君だよ?

 そんな俺に対して、さらにオリアナが言葉を重ねる。


「最後のさ、口説き落ちしてシリウスが有頂天になっていたじゃない?」


「なっていましたね」


「あ、関係ないことだけどさ、あの調子に乗っている感じが可愛いよね」


 何の話だ。

 そんなことを、恋にポーッとした顔でオリアナが言う。あれが可愛い? ちょっと趣味が悪いんじゃないかと思うんだが――


「……そういう見方もありますね。それで?」


「あそこで、ルシアに切り替えたのは適切なタイミングだと思うんだよね。シリウスがいても話がこじれるだけだしね、あの展開だと」


「……もとからルシア様が適切だと考えて、具申したまでです」


 2人の立場的には、あの仕事の分け方におかしな点はない。


「ふーん」


 おやおや、信用がないな。

 その目には、俺の底を見透かそうとする深い輝きが灯っている。


「私は従僕ですから。主人をサポートするのが役目です。私は私の仕事を果たしているだけ。それがシリウス様の助けになっていることはあるようですが――正直、オリアナ様が思っているほどの主導権は握っていないつもりです」


「……ま、そう言われるとそうかもね」


「それでは、失礼します」


 オリアナに会釈してその場から去る。ほっと一息をついた直後、


「あ、そうだ。ねえ、執事君。最後にひとつだけ」


「なんでしょうか?」


 俺は足を止めて振り返る。


「モアレと話していたときさ、最初、シリウスはディンバート家を名乗らなかったんだよね――すぐにキレて明かしていたけど。ねえ、どうしてだと思う?」


 もちろん、俺の指示があったからだが。まずは、俺の想定していた意図をそのまま話すか。


「公爵家の名前は強すぎるので、フラットに話すために伏せただけでは?」


「なるほど。そっか。うんうん、そうだよね、やっぱり」


 納得したように言った後、次に続けた言葉はまるで刃物のように俺の胸に刺さった。


「だけどさ、私の知る限り、シリウス・ディンバートって男はそういう配慮をする人間じゃないんだよね。どう思う?」


 ……それは確かに、正しい指摘だ。傲慢なる最強シリウスがそんな気遣いをするはずがない。己は己のまま、ただただ前に突き進む。それがシリウス・ディンバートと言う人間だ。

 誰かの入れ知恵でもない限りは――

 俺はふっと笑った。


「確かに、シリウス様はそういうお方です――いや、お方でした。というべきです。ただ、お代わりになれたのは事実です。オリアナ様だって前に言われていましたよね? 別人みたいだって。人は変わりますから」


「そうね、変わるものね。なら、もう一段、深く質問をしましょうか」


 まるで鋭いナイフを突きつけるかのように、言葉が向けられた。


「そう仕向けたのは、誰?」


 空気がチリっと帯電したかのような感覚があった。オリアナの目は真っ直ぐに俺を見つめている。嘘は許さない、見逃さない――そんな圧を感じる。

 もちろん、屈するわけにもいかないが。


「さあ? 私にもわかりません」


「そ、ありがとう」


 にこりと笑って、オリアナはくるりと俺に背を向けて立ち去っていく。

 なかなか怪しんでいるな。怖い怖い。とはいえ、まさか従順な従僕である俺がそうだとはまだ確信までしていないだろう。まあ、オリアナに気づかれても、彼女は親シリウス派なので、それほどの大きなダメージにはならないが。


 しかし、重要なのは目をつけられた事実だ。


 オリアナくらいの抜け目のなさがあれば怪しまれるという事実。それは今後の危険性も暗示する。今回は表に出過ぎたか……もう少し慎重に動くとしよう。


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