第27話 オリアナ・メリサンドラ侯爵令嬢

 その日の昼過ぎ、オリアナ一行が馬車に乗ってやってきた。

 男爵が受け取った手紙によると『滞在しているシリウスに用事があるので、今から訪問する』とのことだった。


 シリウスに用事ねえ……。


 出迎えは男爵家として行うらしく、俺たちは客間で待つことになった。シリウスはソファに座り、俺はその背後に立っている。

 間もなくして、ドアが開いた。

 男爵に連れられて、オリアナが入ってきた。


「あら、シリウス。本当にここにいたの?」


 歳の頃は、俺たちと同じく10代半ば――同じ学年なので当然か。

 伸ばした青い髪を頭の高いところで結んで垂らしている。見目は麗しく、間違い無く美少女と呼んでいいだろう。

 着ている服は動きやすい旅装とはいえ、さすがに上級貴族の令嬢だけあって、日頃、ルシアが着ている服とは一線を画す高そうな服だ。ピアスやネックスレスなどの装飾具も衒いなく身につけていて、よく似合っている。


 絢爛たる貴族令嬢――

 まさにそんな印象だ。


 やや吊り目がちなな瞳には強い輝きが灯っている。意志の強さ、あるいは己への確信、だけど、多くの男性が感じ取るのは、蠱惑的な魅力だろう。どうにも、フェロモン成分が多い。ゲーム中でもそういう雰囲気の人物だったが、リアルで見ると、当社比300%くらい強化されている。


 だけど、その魅力に惹き込まれるのは危険だ。

 なぜなら、オリアナは悪役貴族シリウスの女だから。


 ……というのは、ゲームをしていれば知っている。シリウス侍らせ隊員の中でも、かなり積極的にシリウスに密着しているキャラクターだ。そして、オスカー本体の記憶を探ってみると、作中では語られなかった設定が見つかった。

 あ、もう大人の関係なんですね……。

 現時点でにこの二人は大人の関係らしい。

 さすがは悪役貴族、不純だ!


「こんなど田舎なんてね……シリウスらしくないんじゃない?」


 ど田舎はど田舎なのだが、統治者の男爵本人がいる前で容赦のない言いよう。

 ゲーム中でも、悪役貴族シリウスと同じく傲慢で容赦のない口調で主人公のリヒトを嘲っていたので、女版シリウスなどと言われていたので驚きはないけれども。


「別に。父親から言われたので来ただけだ。この貧乏な村を視察してくれとな――」


 そこで、クハッとシリウスが笑う。


「俺の才能を使って豊かにしているところだ。意外と面白いものだぞ」


「ふぅん……」


 会話が途切れた瞬間、ラグハット男爵は「私はここで失礼いたします。終わりましたらお呼びください」と言って、そそくさと出ていった。

 ……そうだね……性悪の二人の相手は嫌だね……。

 俺もこそっと出ていこう。何しろ愛し合う二人なのだ。邪魔をすると馬に蹴られて死んでしまう――


「私も席を外します」


「お前はここにいろ」


 シリウスにそんなことを言われて、脱出する契機を失ってしまった。


「こんにちは、執事くん?」


「お久しぶりです、オリアナ様」


 シリウスの横に座るオリアナに俺は挨拶を返す。昔から彼女はオスカーのことを執事くんと呼ぶ癖がある。


「私は執事ではありませんが」


 今はまだ、執事より身分が低い従僕である。


「いいじゃない、別に? アイリス学園に入学したら、シリウスについていくんでしょう? そのときは執事になるんだから」


 その通り、アイリス学園に出てくるオスカーは『執事』の通り名である。おそらくは、入学と同時にシリウスが独立相当の扱いになるので、ついていく俺も『独立したシリウス』に仕えるので執事になるのだろう。知らんけど。

 シリウスが口を開く。


「で、何をしに来たんだ、オリアナ?」


「シリウスの顔を見に来たんだけど?」


「はあ? それだけ?」


「好きな人の顔を見て、お話がしたいって理由になるでしょ?」


「暇か」


 媚び媚び甘々な声で喋っているオリアナに比べると、シリウスは何も変わらない。冷淡で思いやりがなく、突き放している。そこに微笑のかけらもない。ルシアと会話するときと変わらない。俺とも――いや、俺には少しくらい微笑もあるか。誤差レベルで。


「ねえ、シリウス。会っていない間の話を聞かせて?」


「俺は忙しいんだが」


「いいじゃない? こんなところまで来るの大変だったんですけど?」


 などと言いつつ、オリアナが甘えるようにシリウスに身を寄せる。


「チッ……面倒なやつめ」


 オリアナの手が愛おしそうにシリウスの体を撫でている間、シリウスはうんざりした口調で言葉を紡いでいる。

 シリウスは冷然としているが、オリアナの親しさが危険だ。愛しさと親近感が爆発しているのだが、ええと、もしもし、ここに他人がいますけど?


 だから、席を外そうかと言っただろ?


 しかし、鍛え抜かれた男オスカーには特別なスキルがあった。スキル名はないが、俺が『明鏡止水』と名付けておこう。なんと、どんなときにでも感情の起伏が乏しくできるのだ。さすがは執事。陰になるのがうまい。


 明鏡止水を発動する。

 眼前に展開される甘ったるい雰囲気を眺めていても、俺の心は何も感じなくなった。


 今はボディタッチだけだが、これ、どこまで発展するんだろう? 俺いるよ? 息を潜めているけど、いるよ? 公衆の面前だから気をつけてね? そんなふうに心配していたけど、幸いにも、それ以上の発展はなかったのでよかった。


「――というところだ」


 淡々とシリウスは話終わった。ちなみに、俺の暗躍には触れていない。

 最後の最後までシリウスは淡々としていた。オリアナの色仕掛けを受けても、声に高揚が見られないのはすごいものだ。


「ふぅん、そうなんだ」


「満足したら、さっさと帰るんだな。次に会うのはアイリス学園だ」


「嫌よ。せっかく来たんだから、もう少しここにいるわ」


 オリアナのしなやかな指がシリウスの顎に伸びる。触れたところで、シリウスが面倒そうに彼女の手を遮った。


「もお、つれないなー」


 むくれた様子だが、オリアナの目は笑っている。そんな、つれない様子もまた憎からず思っているらしい。


「滞在したいのなら、好きにしろ。たまになら相手もしてやる」


 そう言うと、シリウスは俺を従えて客間を出た。ちらりと背後に視線をやり、オリアナが出てこないのを確認してから、俺は口を開く。


「……少し冷たすぎるのでは?」


 オリアナはどう見ても、好意を寄せる人物への動きに見えたが、シリウスの側はそう見えなかった。


「愛を囁く俺が、俺らしいとでも?」


「思いませんね」


「だったら、聞くな――今、俺の興味はそこにはない」


 孤高の王は気まぐれで、その寵愛は拠り所を知らない。それは寂しさではなく強さ。願えば何物でも得られる王の、世界から愛された王の傲慢さ。


 ゆえにシリウスは与えない。

 そこに興味はないからと切り捨てるだけ。


 ならば、今この男が目を向けているのはどこなのだろう。

 何者が、その寵愛を手にするのだろうか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る