第25話 騎士ルシアの胸の内

 シリウスが狼を一撃で倒した。

 ……別に驚くことではない。あの巨大なレッサードラゴンですら手玉にとって倒したのだ。狼ごときが苦戦するはずがない。

 仲間がやられはしたが、狼たちは逃げない。

 むしろ、復讐心で戦意をたぎらせて、襲いかかってくる。

 2匹同時に、ルシアへと。


「はあっ!」


 ルシアは盾と剣を使い、狼たちの攻撃を退けた。

 ……とても教科書的な動きだ。昔のシリウスの圧倒的な我流とは違う、今のシリウスの我流と教科書が高いレベルで混じり合った動きとも違う、まさに模範としての動き。

 それは悪い意味ではない。

 むしろ、彼女が清く正しく己の技を磨き上げた証拠でもある。

 ――誰もが、シリウスのように、独自の正解を見つけられるわけではないのだから。


「ふふふ」


 そんな彼女の奮闘を、お手並み拝見とばかりにシリウスが笑みを浮かべて静観している。

 ルシアの隙のない剣技は的確に狼に打撃を与えていく。

 やがて、その刃は一頭の息の根をとめた。もう一頭の狼も、さすがに状況が悪いと判断したのか、慌てて距離を取り、森の奥へと逃げようとして――


「はっ! 逃げられると思っているのか!?」


 シリウスの手から雷の矢が放たれる。

 それは狼の体に直撃、あっという間に黒焦げにしてしまった。


「他愛もない」


 せせら笑うシリウスを、ルシアが驚きの混じった視線を向けている。

 ……無理もない。2匹同時とはいえ、自分がじっくりと倒した相手を、いずれも剣術と魔法で一撃の元に倒しているのだから。


 おまけに、こいつはただの狼ではない。


 よく見てみると、普通の狼よりも体格が大きく、爪や牙が鋭い。おそらく普通の動物ではなく、魔獣だろう。

 この世界の空気には瘴気というものが蔓延はびこっている。それは負のエネルギーのようなもので――それがモンスターを生み出していると言われている。

 動物でも、その瘴気に長く触れることで、モンスター化するものもいる。

 なので、こいつらの名称は狼というよりは、ゲームに出てきた『ヘルウルフ』が正しいのだろう。

 ヘルウルフを2匹同時に相手をして、ケガひとつ負わずに撃退したのだ。ルシアもまた、さすがはネームドキャラと言ったところか。

 シリウスの哄笑が響き渡る


「ははは、雑魚だな! 雑魚! この程度か! よしよし、今日のうちに全滅させてやるか!」


 単純な力比べであれば、それも可能であろうが――


「それは無理でしょう」


「はあ? どうして?」


「どの程度の狼がいるのか不明ですが、相当な年数、放置されていたわけですから、大きな群れでしょう。群がるアリの大群を象は殺し尽くせますか? シリウス様とルシア様、2人では手が足りません」


 シリウスの目がじっと俺を見つめる。お前もやれよ、と語りかけてくる。

 ……もちろん、無視。無力な執事なので、私は。ええ。

 それに、俺が参加したとしても手数不足の現実は変わらない。


「今回は、森の資源が有用だと確認するための視察です。そして、有用だと確認できました。次は人手を集めて包囲殲滅しましょう」


「迂遠だが、仕方があるまい」


 やや不満そうな顔だが、シリウスは納得した。


「ところで、ルシア様。村に警備の兵はいますか?」


「いえ……正式なものは――若い村人たちを中心とした自警団だけです。男爵家で剣の指導をしています」


 ……当然か。こんな辺境の村に騎士団などいるはずもない。


「戻り次第、村を警備する当番を決めましょう」


「どうしてですか?」


 俺は狼たちの死体に視線を向ける。


「人間たちの侵略ですから。狼たちが何かしらの報復をしてくる可能性があります」


「――!?」


 絶句するルシアの横で、好戦的な笑みを浮かべるのはシリウスだ。


「むしろ都合がいい。あちらから出てくるのなら、迎え撃って鏖殺すればいい」


 確かに、シリウスがいる限り、こちらに敗北はないだろう。


「そうですね。しかし、シリウス様に襲撃を知らせる人間が必要です。警戒は必要となります」


 ルシアが口を開く。


「狼たちの死体を土に深く埋めるのはどうでしょう?」


「私の土魔法を使えば簡単ですが……しかし、もう意味はないかなと」


「なぜ?」


「狼たちの嗅覚は鋭いですからね。死体を隠したところで、臭いで気づかれるでしょう。漂う血の匂いと、人間の匂いに」


 逆に、その嗅覚の鋭さには期待できる部分もある。

 こちらが狼たちを警戒しているように、あちらも人間を警戒している。彼らなら、人の血が流れていない事実にも気づくだろう。つまり、こちらの圧勝に。そうすれば、無茶なことはしてこないだろう。

 だから、まだ本格的な報復はないだろう、と踏んでいる。わりと高い確率で。

 本当は、狼たちを殺すことなく撤退したかったのだが……。シリウスがやる気を爆発させて止める間もなく一撃で切り伏せたので、もう後に引けなくなってしまった。

 狂犬シリウスだから、仕方がないね……。

 そんなわけで、俺たちは視察を打ち切って、村に戻ることにした。もう充分に必要なサンプルも手に入れたからな。


 男爵家の邸宅前に到着すると同時、


「おい、ルシア」


 いきなりシリウスがルシアに声をかけた。

 少し体をびくりと震わせてから、ルシアがシリウスの顔を見つめる。


「なんでしょうか?」


「お前の剣、あいもかわらず無残だなあ? 俺が一撃で済むところに、お前はどれほどの時間を費やしている」


「…………」


 ルシアは無表情でシリウスの言葉を受け止めた。その胸に、どのような気持ちが去来しているのだろうか。


「剣を構えろ」


「……え?」


「剣を構えろと言っている。お前のクソなところを指摘してやるよ」


 優しさが暴言でコーティングされている……。

 ルシアが判然としない表情ながらも剣を引き抜き、構える。


「こう、ですか……?」


「適当に振るってみろ。さっきの戦いを思い出しながらな」


 突然、主催シリウスの剣術講座が始まった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その晩――

 風呂を終えて部屋に戻ったルシアは、いつもよりも強い疲労感を覚えながら、ベッドに腰掛けた。

 往復で何時間も森を歩いたのだから、いつもより疲れているのは当然だろう。

 だが、それとは違う疲労感があるのは事実だ。そもそも、その程度なら鍛えているルシアが疲れを覚えるはずもない。


 精神的な疲労がある。

 理由など悩むまでもない。シリウスと一緒にいたからだ。


 本質的には『嫌いな人間』である。嫌いな人間と一緒にいたのだから、気疲れするのは当然だろう。いや、嫌いかどうか、という問題ではない。シリウスには、存在するだけで他者を袋小路に追い詰めるかのような圧迫感がある。

 一緒にいるだけで面倒なやつなのだ。

 できれば、同じ時間を共有したい相手などではないのだけど、


 ――同行されてはいかがですか? 肩を並べて歩けば、わかることもあるでしょう。

 あの執事にそうそそのかされて、シリウスを見定めるために行動を共にした。

 結果――


「あいもかわらず、ひどい人間性だ」


 傲慢で、暴言ばかり。

 今日のことを思い返すと、3年前に感じたイライラまで再燃する。


 だが、どうしてだろう。

 以前とは違って、そこに少しばかりの畏敬の念――認めてしまう部分があるのは。


 それは剣術のせいだろう。


 狼を一撃で切り捨てた斬撃は、ただその一撃だけで前に見たものから恐るべき進化を遂げているのは歴然だった。それを見ただけでわかる。そこに詰め込まれた『剣技としての理』と『確かな鍛錬』を。

 才能のままに剣を振るっていただけでは到達できない領域だ。明らかにシリウスの剣術は3年前から進化している。


(そんなところまで、至ってしまったなんて……)


 その努力の痕跡を見せつけられては、同じ剣士として様々な感情が湧いてしまう。

 そして、極め付けは――

 あの、シリウス剣術講座だ。


「お前は才能がないなァ……」


「無駄だ無駄。なぜわからない?」


「もっと心を解き放てよ。お前は型にこだわりすぎている」


 膨大な量のダメ出しを食らった。暴言付きではあったが。

 だが、そこにもまた『理』があることを剣士としてのルシアは理解する。技法としての正しさがあり、そこに天才の感性が加えられている。

 正直、シリウス本人は気に食わないが、今日の話を聞けたことは行幸であった。


(あいつ本人は腹が立つが、剣術には惹かれるものがある……)


 それが悔しい。

 剣士としての自分が認めてしまっている。

 3年前にも力を見せつけられたが、あのときは不快さしかなかったが、今は違う。何かが変わっている。

 おそらく、シリウス本人の心根が。

 でなければ、戯れとはいえ、ルシアに剣術の手ほどきなどしないだろう。


(シリウスが変わっているのは間違いない)


 それは間違いない。それはわかった。だけど、見えていない範囲がより謎に包まれた気がする。

 実にとらえどころがない男だ。

 この3年で、何かが変わっているのは間違いない。だが、何が変わった? どうして変わった?


 ――誰が、変えた?


「シリウス、お前は何者なのだ?」


 結局、今日を過ごしても答えは見つからなかった。

 悪名高き公爵家嫡男シリウス・ディンバート――だが、今は何か別のもののようにも感じる。嫌悪感はまだ残るが、それ以上の危うい魅力も感じる。記憶に染み付くような謎は心を引き寄せる魅力にもなり得るのだ。


(なんだ、この微妙な落ち着かない感じは……)


 ルシアは判然としない己の心の動きを理解できず、大きな戸惑いを覚えた。 

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