第23話 女騎士ルシアは悪役貴族を信じられない

 それは5年ほど前のこと――


「すごいじゃないか、ルシア。お前の剣の腕前は本物だ!」


 ラグハット男爵は決して謙遜でも親バカでもない。事実として、まだ10にもならない実の娘に敗北したのだから。

 そして、ルシア自身も己の剣の才能に絶対の自信を持っていた。自分の剣の腕前はきっと王国中に轟くほどのもので――ラグハットの家名をどこまでも高めるものだと。


 そんな輝きに満ちた日々は、しかし、ただの1日で打ち砕かれた。


 その日、ディンバート公爵が移動の最中に、この辺境の村に立ち寄ったのだ。そして、その一行には剣においても魔法においても神童と名高い嫡男シリウスもいた。


(神童? いいえ、悪童! 悪魔のような男!)


 シリウスの悪名はルシアも聞き及んでいる。

 そして、この日を好機と捉えていた。

 傲慢極まりない最悪の男シリウスを己の剣で打ちのめし、その曲がった性根に正義を叩き込んでやる!


(敗北の味を知れば、この威丈高な男も少しはおとしなくなるだろう!)


 勝算はあるはずだった。

 シリウスの剣の腕前は相当だが、まともに修行すらしていない、と聞いている。であるのなら、ひたすら努力している自分が負けるはずがない!

 ルシアは臆することなくシリウスに近づいた。


「シリウス様、私も剣を極めようとする身です。どうか、お手合わせ願えないでしょうか?」


 血相を変えたのは、ルシアの父親だった。


「ルシア! でしゃばった真似をしてはいけない! わきまえなさい!」


 男爵は娘を守ろうと必死だった。不興を買うことで、才能あふれる娘の未来に傷をつけることは避けたいから。世界とは非情であり、選択肢を間違えただけで終わってしまうことは多々あるのだ。

 しかし、ルシアは怯まなかった。心の中に宿る正義の炎を瞳に移したまま、じっとシリウスを見つめる。

 その視線を受けとめたシリウスは、やがて、クハッ、と笑った。


「言うだけのものは見せてもらうぞ? 失望させれば――わかっているだろうなあ?」


(我が正義の剣を受けてみろ、悪童シリウス!)


 結果――

 ボコボコに負けたのはルシアだった。


(……そ、そんな……こ、これほどの実力の差が……!?)


 それはまさに、子供と大人の戦いだった。あるいは、ネズミと獅子の戦いだった。理不尽なまでに圧倒的な実力で、ルシアは一方的に打ちのめされた。


「ルシア、お前は本当にすごい」


「ルシアの未来が楽しみだな!」


「ルシア、頑張って!」


 両親が褒めて育ててくれた、己の才能への確かな自信。その心を完全に打ち砕かれるほどの完敗だった――


「なんだあ……? この程度かよ……。もう少しマシかと思ったんだがなあ……」


 心底がっかりした、という感じでシリウスが肩をすくめた。

 傷ひとつつけることは叶わず、汗すらかかせることもなく、戦う前と変わらない姿のまま、シリウスがそこに立っている。土と汗にまみれ、全身に響くような打撲の痛みに喘いでいるルシアとは大違いだ。


「時間の無駄だったな。ゴミが! その程度で吠えてるんじゃねえよ!」


「あうっ!?」


 頬に強烈な痛みが走った。あっという間に地面に倒れ伏す。シリウスが鋭い蹴りでルシアの横っ面を蹴り飛ばしたのだ。


「ルシアッ!?」


 男爵の悲痛な声が響く。娘を守ろうとするが、その動きが止まった。


「あァ?」


 幼いシリウスの一瞥だけで。

 シリウスの視線に宿る狂気にも似た、まるで氷壁の冷たさを感じさせる恐怖が男爵の足を地に突き刺したのだ。動けなくなった男爵に興味を失ったシリウスは、ルシアの前に膝をつき、その顎を片手で持ち上げて正面を向かせる。


「ちらっとでも俺に勝てると思っていたのか? チンケな才能だなあ……努力して努力して、その果てがこのザマか……? 哀れだなあ……? いいか、お前は俺の前に立つ価値が1秒もないゴミだ。2度と俺に挑もうと思うな。分をわきまえろ、男爵令嬢」


 そう言うと、興味を失ったかのようにシリウスはルシアの前から姿を消した。

 そこに残ったのは、屈辱に塗れたルシアだけだった。


(確かに、自分の力を過信しすぎた……)


 その愚かさのとがはあるだろう。


(だが、それ以上に私の心を踏み荒らす権利がお前にあるのか……?)


 悔しさで視界がにじみ、ルシアは手を小さく握る。

 最後の侮蔑もそうだが、戦闘中のいたぶるような、己の無力さをつきつけるような戦い方にも腹が立った。シリウスの実力であれば、開始1秒でルシアの意識を刈り取ることもできたのに、そうはせず、ネチネチと打ちすえる。焦るルシアの表情を楽しむかのように。その心を煽るかのような嘲笑を浮かべながら。


 おまけに、シリウスが訓練らしい訓練もしていない噂が事実なのもわかった。


 その剣は荒々しく暴力的で、どこまでも自己中心的。連綿と伝わってきた型など嘲笑うかのような――しかし、圧倒的に強い。押し迫ってくる洪水のような攻撃に、ルシアの教科書通りの剣術は対抗できなかった。

 そんな男が遊び半分で磨いた剣に、辛い訓練を積み重ねたルシアが一方的に打ちのめされた事実。それは剣士の心をへし折るには充分な屈辱だったが――


(負けて、なるものか……!)


 ルシアは闘志を燃やした。

 むしろ、剣を合わせて良かった。どれほど、シリウスの性根が腐っているのかを再確認できたから。あのような男は野放しにしてはいけない! あの男が公爵家を継げば公爵領は間違いなく暗黒に堕ち、その配下であるラグハット男爵家やペイトロン領にまで厄災が及ぶだろう。


(そんなことをさせてなるものか。……必ず……必ず! あの男を超える力を身につけて、少しでも世界をよくしてみせる!)


 公爵家一行が村を立ち去ってから、ルシアはより一層、剣術の訓練に打ち込んだ。

 才能の桁が違うのなら、努力で補えばいいのだ! 努力で補うしかない!

 己の才能にうつつを抜かしてくれることだけが、ルシアの勝機だった。


 しかし――

 久方ぶりに見たシリウスの姿を見て、ルシアは動転した。


 とても生真面目なのだ。


 早朝の体力作りから始まり、終わった後の剣の鍛錬。男爵家での食事も過食にならないよう注意を払い、スケジュール通りの就寝と生活を行っている。ルシアが聞き及んでいる『悪童シリウスの横顔』とは大きな違いだ。

 シリウスに呼び出された村人たちにも、ルシアはそれとなく接近した。シリウスの暴言にメンタルがやられていないか心配だったからだ。

 だが、彼らは口々に言う。


「いえいえ、別にそれほど変なことは言われませんでしたよ」


 ルシアは仰天した。ただ挑戦しただけのルシアを、あれほどまでに面罵した男なのに。まるでできた君主のように耳を傾けている。


(何者なの、あの男は……?)


 あまりにもルシアの認識から変わりすぎている。ここまで変わってくると、どういうことなのか聞きたくなってしまう。

 まさか本人に聞くわけにもいかず、ルシアは従僕にアプローチすることにしたのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 こんな夜更けに尋ねてきたルシアを眺めながら、俺は頭の中を整理する。

 ……さて、どうしたものか。

 強力なネームドキャラである以上、こちらの陣営に引き摺り込むのが基本だろう。それは大前提として、どのようなアプローチがいいだろうか。

 考えている暇はない。


「従僕の私がシリウス様のことを測るなど、畏れ多いことです。主君について語る言葉はありません」


 少し、落ち込んだ様子でルシアが眉根を寄せる。


「気になることがあるようでしたら、どうでしょう、己の目で確かめてみては?」


「私の目で……?」


「数日後、村の近くにある森にシリウス様と視察に向かいます。どれほどの危険性があって、どれほどの資源があるのかを確認しに」


「…………」


「それに同行されてはいかがですか? 肩を並べて歩けば、わかることもあるでしょう」


 俺のその言葉に、ルシアが渋面を浮かべる。当然だろう、シリウスの話だと子供の頃にボコられたらしいし、ルシアはシリウスのことを信用していないのだが。

 だが、それほどの悪感情を持っていながら、ルシアは即答で拒否しなかった。それどころか、その表情には深い迷いが浮かんでいる。それが答えだ。ルシアの中でもう答えは出ている。

 覚悟を決める時間を少しかけてから、ルシアは続けた。


「……お願いします。私も見定めたいと思っていますので」


「ありがとうございます。地元の方が同行してくれると助かります」


 陣営に引き摺り込むのなら、少しでも同じ時間を共有するのが正しいだろう。ずいぶんとシリウスもまともになったので、少しは距離感が縮まるかもしれない。

 悪役貴族に、彼を信じていない女騎士に、腹黒執事か……。

 さて、どうなることやら。

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