第22話 女騎士ルシアは見た

「村の土が痩せている……?」


 その事実だけで、問いを取り下げるシリウスではない。


「それは妙な話だ。腐葉土を混ぜれば、土は栄養が行き渡ると本で読んだが……?」


 そして、視線を横にスライドさせる。

 まるで境界を示すかのような、オンボロな柵が並んでいる。その向こう側には、村と相対するかのように大きな森が広がっていた。


「腐葉土なら、森の中にいくらでもあるだろう?」


「ああ、あの森は――」


 農民たちの顔に黒い影がさす。


「狼たちの巣窟になっていて、我々は入ることができないのです」


 その後、老農夫は過去を話してくれた。

 確かに、この村は森の資源を利用して暮らしていた。だけど、いつの頃か、狼たちの群れがのさばるようになり、森に入ることすらできなくなった。狼たちが住み始めた頃は、たびたび村を襲撃されて苦労したが、今では村と森の間にある柵を境界と互いに認識し、不干渉が暗黙のルールとなった――


「ということです……」


 村人たちの雰囲気たちはとても重い。己の土地を自由に使えない悔しさ、もどかしさ。そんなものが空気に漂っている。取り戻せるのなら、取り戻したい。暴力に屈することなく、諦めることなく、昔の自由を取り戻したい。そんな気持ちがある。

 それができない無力さという現実。


「――ふはっ……!」


 だけど、ここに、それを笑い飛ばす男がいる。

 こと暴力という点において、生半可な追随を許さない男が。


「たかが狼か……! ふふふ、これは存外に簡単な問題かもな。なあ、オスカー?」



「そうですね」


 森とは自然の脅威ではあるが、資源の宝庫でもある。この村の人口を考えれば、取り尽くすことなど不可能で、無尽蔵と言っていいほどだ。

 腐葉土だけではない。そこにある果物や薬草も、すべて取り放題。狼を打ち払えば、鹿や猪のような動物も増えるだろう。それらは大量の食糧になる。

 それを今まで使っていなかった?

 ならば、それを使うようにすれば、どうなってしまう!?

 あっという間にパッとしなかったペイトロン領の経済的な問題が一気に解決してしまう!

 特に、この問題の興味深いところは、結局のところ、解決手段が『暴力』である点――ラスボスにも匹敵するほどの強さを誇る悪役貴族が最も得意とする方法だ。

 いきなり笑い出したシリウスに恐怖を覚えながら、老農夫が尋ねる。


「ど、どうしたんですか、シリウス様?」


「気にするな。機嫌がいいんだ。機嫌がいいついでだ。この俺が狼どもを殲滅してやろう」


 農民たちの誰も、その言葉にすぐ反応できなかった。

 だが、その言葉はゆっくりとだが浸透して――

 老農夫の口から言葉がこぼれた。


「……ほ、本当ですか?」


「嘘をつくはずもない。狼ごとき、俺の敵ではない」


「「「わああああああああああああああああああ!」」」


 農民たちが一斉に喜びの声を上げた。


「やった! 狼たちがいなくなる!」


「これで夜もぐっすり眠れるぞ!」


「狼たちがいつ襲ってくるかわからなくて怖かったからなあ……」


 現状は不干渉のようだが、相当、狼たちの圧迫感に滅入っていたらしい。

 そこに現れたシリウスという希望。

 彼らのキラキラした瞳がシリウスを捉える。そこに宿るのは、救世主様、一生ついていきます、お願いします、あなたしかいません――そんな感情たち。

 子供の頃から、侮蔑した相手から軽蔑や悔恨を向けられることに慣れていたシリウスにとって、それは青天の霹靂のようなものだった。

 どうにも、気分が落ち着かない。

 ……あれだな、回復魔法を喰らうとダメージを喰らうアンデッドみたいなやつだな……。

 視線を避けるように横を向いて「チッ」と舌打ちする。


「狼どもは必ず潰す。少し待っていろ」


 唇を真一文字に結び――照れた表情を表に出すのを堪えているんだろうなあ……――、シリウスは足早にその場を立ち去った。

 そのシリウスを讃えるかのように、農民たちの声が村に響き渡った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その晩――

 シリウスが眠りについた後、俺は割り当てられた部屋に戻った。

 ソファに座り、一息つく。

 残されたのは、夜のコソ練くらいか。だけど、俺以上にコソコソしている人間がいる。そいつを片付けないと、コソ練を目撃されるかもしれない。ただの執事を装いたい俺としては、避けるべきところだ。

 少し待ってみるか――

 さほど待つ必要もなかった。

 こん、こん。


『ルシアです。オスカーさんはいらっしゃいますか? 少しお時間をいただきたいのですが』


 ほら、来た。


「どうぞ、お入りください」


 俺が声をかけると、少しだけ開けたドアが開く。その隙間から入り込むように、ルシアが部屋に入ってきた。……まるで、誰にも見られたくないように。


「夜分、遅くすみません。驚かれましたか?」


 俺はソファから立ち上がって、ルシアを出迎える。


「少しは。ですが、お気になさらず。どうぞ、お座りください」


 ……来ると思っていたよ。

 今日の畑仕事で、ずっと木陰からシリウスを眺めていたからな。……というか、この1ヶ月間、何かと視線がこちらを向いていた。特に盛り上がった今日あたり、アプローチがあるのではと疑っていた。


 ルシア・ラグハット。

 歳の頃は、俺たちと同じで10代半ば。アイリス学園クロニクルにおけるネームドキャラで、ゲーム内主人公リヒトが仲間にできるキャラでもある。

 ……あるいは、展開によってはシリウス側にも立つ。

 すこぶる生真面目な性格で、ひたすら剣の修業に明け暮れている人物だ。その真っすぐさを表現するかのように、ゲーム内での職業は『騎士』となっている。物理攻撃、物理守備においては相当なもので、仲間になった場合は前衛として強力な戦力になってくれる。その頼もしさは、揺らぎのない清廉潔白さでもあり、リヒトが揺らいだとき、持ち前の心の強さで叱咤し、チームを前に進めてくれる存在でもある。


 ゲーム内の事前設定だと、すこぶるシリウスを嫌っている。ザ・清廉潔白という感じのキャラクターなので、当然なのだけど。そして、それは今も変わっていない。幼い頃のシリウスがルシアを剣術でボコボコにした過去があるからだ。

 とはいえ、シリウスの実家である公爵家に仕える、しがない男爵家の娘という事実もあり、態度を明確にできないところが彼女の困りどころ――あるいは、キャラクターとして深みのある部分でもある。


 ソファに向かい合って座るなり、ルシアが口火を切った。


「単刀直入に伺います。あの男は、何者ですか……?」


「あの男……?」


「失礼、シリウス様のことです」


 ルシアの顔に浮かぶ感情は戸惑い、困惑――それに類するもの。面白い、その心の揺らぎが面白い。シリウスという人間の変化。俺が加えた変化。投げかけた波紋は、確かにルシアの心を揺らしている。

 ふははは、悪くない。存外に悪くない。

 俺は少しずつ、ゲームを書き換えようとしている。


「シリウス様はシリウス様ですが……何が気になりますか?」


 意味などわかっているが、この辺はすっとぼけて根掘り葉掘りしておこう。


「……私の知っているシリウス様とは、その……言いにくいのですが、同一人物とは思えないのです」


「どう違うのでしょうか?」


「全てが、違います」


 頭痛を口から押し出すような表情だった。


「……毎日のように朝から走り込んで体を鍛えたり……剣の鍛錬も欠かさず――」


 そう言ってから、首を振る。


「それ以上に、村人たちと会話をしたり、その……今日のように称賛を集める姿が全く想像できなくて……以前は、その――」


 うっかり吐き出してしまった言葉を飲み込むように、ルシアが口をつむぐ。

 なので、仕方がない。尻切れトンボの言葉を俺が続けることにした。


「傲慢で、情け容赦のない、自分勝手な男……ですか?」


「い、いえ、その、そんなことは……!」


 あたふたとした表情でルシアが首を振る。だけど、その顔には図星と書いてある。裏表のない騎士らしい、騎士にふさわしい性格だ。ただの雑魚シエイターだけど。


「そう警戒しないでください」


 俺は柔らかい笑みを浮かべる。俺の、というよりはオスカーが持っている『意図して作る』表情のひとつだが。

「ここだけの話にしておきますから」


 少し悩んでから、少し赤らめた顔をうつむけてルシアが続けた。


「……は、はい……その、私もそう思います………」


 ははは、なかなかかわいい反応を見せてくれるじゃないか。

 

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