第21話 進化し続ける男の挑戦

 光陰矢の如し。もう村に来て1ヶ月が過ぎようとしている。


 俺たちは、この何もない村で毎日ジョギングをするという変わり映えのない生活をしていた。まるで静止画のような日々――

 だけど、英雄となる男子には関係がないようだ。

 こんな場所であっても、彼だけはすでに過去の己を超えた存在へと超速度で成長している。

 本当に、あなたという人は……! 


 さくっ、さくっ、さくっ。

 今、悪役貴族シリウスが鍬を振るい、畑を耕していた。


「おー、シリウス様、やるでねえですか! 初めてにしては達者ですなあ!」


 眺めている年老いた農民から、やや訛りの強い応援が飛ぶ。

 彼だけではない、村落中の農民が来ているんじゃないか? という感じで畑の周辺に人だかりができていた。

 ……イケメン悪役貴族と評判の公爵家嫡男シリウスが畑を耕していたら、見学に来るのは当然だよな……。

 まるで、新しい遊びに挑戦する孫を見ているかのような雰囲気で、村人たちが固唾を飲んでシリウスの一挙手一投足を眺めている。


 どうしてこうなったのかというと――

 この1ヶ月の間、シリウスはじりじりとこの村のことを学び始めていた。そして、ある程度の段階で『聞く』段階へと移行する。

 なかなか素直ではないシリウス語(傲慢成分多め)が厄介だったが、元来、頭がいい男ではあるので、それなりに意思疎通はできた。


「いいですか、シリウス様が喋ると威圧感がありますので、聞く90%くらいの割合で対面してください」


「ほとんど喋れないではないか。ははぁん、数少ない言葉で論破する、そういう特訓だな?」


「論破しなくていいです」


「愚民どもに刻みつけてやろう、このシリウスの偉大さをな」


「刻みつけなくていいです。話を聞いてください。聞く95%くらいで。あと、愚民とか発言は完全NGなので」


 なんでも優劣をつける観点でモチベーションを作るの、どうにかなりませんか?

 それでも地金を晒すことなく、屋敷に呼び出した村人たちと淡々と話をして、さまざまな情報を集めていった。

 ちなみに、話を終えた村人たちからは「最初は首を刎ねられるかと思って、家族にお別れをして屋敷に向かったが、それほど怖い人ではなかった」という噂が流れていた。


 ……どういう人間だと思われているんだ、シリウス? 鬼か蛇か、お前は?

 一応、好感度が上がったことになるのだろう。


 好感度の上昇という観点だと、シリウスが続けている早朝ジョギングも地味に効果を発揮している。毎日、遠目であっても新領主が見える効果は絶大だ。前世でも『握手できるアイドル』なるものが流行っていたが、ようはあれと同じ効果だ。人は、より自分に近くに立つ人間に好感度を高くする。


 そんな日々を送っていると――

 今日、早朝ジョギングの最中、数日前にヒアリングをした農民が畑を耕していることにシリウスは気がついた。


「……少し寄り道をするぞ」


 そう言い残し、シリウスは畑のほうに近づく。


「おい、グラッデン」


「んー、なんじゃ――ほあああああああああああ!? シリウス様でねえか!?」


 農民グラッデンは、不意の悪役貴族の登場に絶叫で驚愕を表現した。まるで夜中の山中で虎か熊かにでも出会ったかのような反応だ。実際、体がガクガクと震えているのを見るに、食い殺される覚悟と似たような悪寒を覚えていたのだろう。

 ……相手は悪役貴族だもんなあ……。

 少しくらい好印象になったからといって、「やっほー、シリウス様♪ 元気?」とはならないよな。もともとの印象がマイナス1億くらいで地面にめり込んでいるのだ。+3くらいしても焼け石に水である。


「その鍬を貸せ」


「え、か、構いませんが、どうしてですか?」


 その鍬でお前の頭をかち割ってやろう! と言い出されるのかとグラッデンは怯えているのが明白だ。


「この俺が、畑を耕してやろうと言っているのだ! いいから、早く貸せ!」


「は、はいいいいいいいいい!」


 理性による判断というよりは恐怖心に押し負けて、グラッデンは鍬を差し出した。そして、畑に降りていくと、シリウスは、さくりさくりと鍬を振り下ろし始めた。

 絶対に農業なんてしなさそうな悪役貴族の奇行――

 その事実は娯楽の少ない村にあっという間に広がり、多くの農民たちがそんな悪役貴族を一目見ようと集まってきた。


 なんだこれはなんだこれは。

 ちょっと想像もつかない展開に心中が動揺している。


 いや、だが、しかし――

 悪くはない。決して悪くはない。


 なぜなら『人は、より自分に近くに立つ人間に好感度を高くする』からだ。握手できるアイドルよりは、農業をするアイドルのほうが農家の人間にはより効果が見込める。

 農業悪役貴族シリウス――

 それは悪くないプロデュースだ。ちょっと意外性もある。意外性も好きになってもらうには大事な指標だ。

 シリウスの動きが止まった。


「……ふぅ、終わったか?」


 現に、最後までやり通したシリウスを見る農民たちの目は、おもちゃの片付けをできた小さな孫や子供を見る目になっている。

 意外とやりよるやん、という感じの雰囲気が漂っていた。

 俺に農耕の上手下手はわからないが、シリウスはうまくやっただろうという確信ならある。

 なぜなら、ジョギングをしながらシリウスはよく農民たちの作業を眺めていた。学習曲線の上跳ねが恐ろしく急角度なシリウスだ。それだけでコツをつかんだことだろう。

 シリウスの剣術で鍛えた肉体ならば、それを問題なく再現できる――

 戻ってくるシリウスを、グラッデンが驚いた様子で迎えた。


「あれまー、お上手なことで! お家で練習をなされていたんですか?」


「はあ? 公爵家の人間がそんな低俗――」


 シリウスの不機嫌そうな声が、温まっていた空気を破壊しようとしている!

 急げ、俺!


「シリウス様は、リーダーとして皆様の仕事を理解することが重要だとお考えです。今日のこれはその一環でございます」


 そんなシリウスの言葉を俺は急いで上書きした。

 ふー、やばい。何もかもを失うところだった。


「……チッ」


 俺の意図に気がついたのか、シリウスはすぐに言葉を引っ込めたが、代わりに不機嫌そうな舌打ちを残した。

 変に話をさせて、せっかく改善された(かもしれない)好感度を失うのは得策ではない。話題を奪うことに――

 そのとき、シリウスが俺に視線を飛ばしてきた。

 殺すぞ、というガン飛ばしではなく、少し下がっていろ、という感じのニュアンスの。

 ……ちなみに、以心伝心の俺すげーではなく、本体であるオスカー君の編み出した感覚である。すごいね、執事になる子ってのは。


 シリウスが口を開いた。


「資料を見ていて気になったことがある。この村は農耕地の面積に比べて収穫が少ない。なぜだ?」


「ああ……それは――」


 農民は畑にしゃがみ込み、その土を手ですくった。


「この村の土地は枯れていて、効率が悪いのです。ワシたちも頑張っておるのですが……」


 悲しみに満ちたため息がこぼれる。毎日毎日、丹念に手をかけても答えてくれない土地への侘しさがそこに滲んでいる。

 集まっている農民たちにも一瞬にして感情が伝染する。皆の気持ちは同じなのだろう。

 オスカーの心に浮かび上がったのは――同情。

 だが、傍に立つ人でなしの口元に浮かぶのは愉悦。もちろん、農民たちが苦しんでいるのを楽しんでいるのではない。悪役貴族シリウスは傍若無人で傲慢だが、弱者の苦しみを無意味に喜ぶ癖は持っていない。


 ――それは突破口になりうるものを見つけた喜び。


 しかし、本当に恐ろしい男だ。俺は確かに、村の情報を集めてから動けとは言っていたが、こうも簡単に結果を出すとは。どれほどのお手なみなのか、拝見させてもらおうじゃないか。

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