第19話 朝のジョギングは気持ちがいい

 翌朝から早速、俺たちはジョギングを開始した。


「お話しした通り、この村の視察も兼ねて、村の周囲を走ることにします」


 村とはいえ、広大な農耕地が広がっているので、外周という観点だとかなりの距離がある。一応、地図は頭に叩き込んでおいたが――

 そんなわけでスタート。

 男2名(一方は口の悪い悪役貴族)でファイットー♪ ファイットー♪ と掛け声をあげるのもキャラ振れが深刻だ。そんな青春が似合わない俺たちは黙々と走っていく。走りながら、村の様子を眺めた。


 同時にそれは――

 そんな俺たちの姿を村民たちに見せることでもある。


 ここは農村で、作物の世話もまた早朝から始まる。すでに畑には勤勉な村人たちが仕事を始めている。

 彼らは遠くから、なぜか朝から意味もなく走っている、そんな奇怪な行動の俺たちを不思議そうな視線で眺めている。

 現時点では、こうやって目につくだけでも充分だ。

 視界に映るだけで、人は親しみを覚えるものだから。屋敷の奥に潜む為政者など恐怖の対象しかならない。悪評で名高いシリウスのことに興味を持ってもらおうではないか。

 しばらく走ってから、走りながら俺はシリウスに声をかける。


「ところで、そろそろ休憩が必要ですか?」


「ぬかせ。まだまだ余裕だ」


「それはそれは。さすがですね、シリウス様」


 そう受けてから、俺は話題を変えた。


「今日、税の免除について住民たちに話をするそうですが、内容は考えましたか?」


「聞かせてやろうか?」


「ええ、お願いします」


 すごく、不安なので。

 もったいぶるように間をあけてから、シリウスが口を開いた。


「私が領主代行を務めるシリウス・ディンバートだ。お前たちは幸運だ。輝ける公爵家の血を引き、神童と名高い私の薫陶を受けられるのだから。

 税金は免除してやる。

 だが、それはその先にある収穫を考えてだ。

 本来であれば、お前たちなど生きている価値もないが、もう一度のチャンスをくれてやる――何をすれば公爵家の恩に答えられるのか、何をすれば己の使命を果たすことができるのか、よく考えることだ。

 そうすれば、この村の未来も開けるだろう!」


 言い終えてから、シリウスはこう付け足した。


「どうだ? お前の言っていた、未来への希望を表現してみたつもりだが?」


 うん、ダメだ。

 未来に対して絶望しか感じない……。希望って、そういう感じじゃないんだよなあ……。


「素晴らしい演説です。ただ、そうですね……今回は封印しましょう」


「なぜ!?」


「よくよく考えてみれば、今はまだシリウス様がお言葉を発する時期ではないように思うのです。村そのものにまだ元気がない。シリウス様がどれほどの言葉をおかけになっても、彼らの反応は薄いでしょう」


 いきなり新しい社長がやってきて、疲弊した社員に演説しても特に反応はないだろう。それと同じだ。いや、それ以下なのが現状だ。シリウスの悪評は公爵領でも有名なのだから。そんな人間がどれだけ綺麗事を並べても、しらけたムードなのは間違いない。


「シリウス様の登場は、もう少し村の空気が変わってからにしましょう。今日のところは男爵に任せて、シリウス様は引っ込んでおくのはどうでしょうか?」


 こうやって、ジョギングをすることでシリウスの姿を披露はできる。今はそれだけに留めて、村民たちの興味を引く方向がいいだろう。初手から手札を全て見せる必要はない。


「……お前に任せよう」


 やや不満そうではあるが、シリウスは従ってくれた。

 従順なことはいいことだ。一戦まじえて屈服させた甲斐がある――しかし、それにあぐらをかくのも危険だ。シリウスが俺の言葉に配慮を示すのは、その後の俺の助言が効果を示しているからだ。


 ――こいつの言葉は信じるに値しない。


 そうシリウスが判断すれば、反抗的な態度が目を覚まし、それは俺への再挑戦につながるだろうから。そして、強くなりつつあるシリウスを再び御すのは至難だ。

 やれやれ、俺が薄氷の上に立つ事実は変わらないな。

 再び黙々と走っていると、近くから荒くなりつつある呼吸が聞こえてきた。

 シリウスだ。


「どうしましたか? へばりましたか?」 


「うるさい……余裕だ……!」


「その根性は買いますよ。せいぜい頑張ってください」


 息があがりつつあるシリウスに比べて、俺は余裕である。そんな小さな敗北にもイライラしているシリウスが少しばかり面白い。

 理由は簡単で、俺は以前からジョギングをしているからだ。

 ゲームの知識だけで打倒できるほどシリウスは楽な相手ではない。結局のところ、それを体現するためのフィジカルがなければ押し潰されて終わるだけ。


 だから、日々の鍛錬は欠かせない。


 このオスカーの肉体も実に優秀だ。前世だとサラリーマン生活でくたびれ果てた俺の脆弱な肉体は、少し走っただけで崩れ落ち、3日ランナーで終わってしまったが、オスカーは違う。少しくらいの運動でへばることもなく、すいすいと走ってくれる。それが楽しくて続いているというのもある。

 ……基礎トレーニングをするにも、基礎体力がいるんだね……。

 そんなわけで、転生後の俺は地味に鍛えているわけだが、シリウスにはそれが不足している。

 厳密には、必要としなかった、か。

 そもそも、前提としてシリウスは体力不足の虚弱体質ではない。かかる負荷をむさそぼり食って、あっという間に力とするインチキ成長力なので、標準を遥かに超える体力を持っている。常人であれば、もっと早くバテているだろう。

 そんなわけで、ゲーム内におけるネームドキャラであり、転生後も鍛錬していた俺の後塵を拝している。


 だが、今後もそれでは困る。


 なぜなら、これからシリウスが挑むのは、ネームドキャラの巣窟――アイリス学園だ。鍛錬を怠れば、天才シリウスも努力の化身である光の勇者リヒトに倒されることだろう。そう、ゲームのように。

 だから、どんなことでも積み上げてもらいたい。


 破滅フラグの回避にはそれが1番なのだ。


「大丈夫ですよ、シリウス様。私くらいはすぐに抜けますから。頑張りましょう」


「あ、当たり前、だ!」


 そう、その負けん気は素晴らしい。傲慢なほどの激情も正しく扱えば本人を突き動かすガソリンになる。


 ぐるぐると村を回ってから、俺たちはラグハット男爵邸に戻ってきた。


 うん……?

 何か視線を感じると思ったら、少し離れたところにルシアが立っていた。


 昨日とは違い、ずいぶんと動きやすそうな格好をしている。少し息が上がって汗ばみ、手には抜き身の剣を手にしている。剣術の鍛錬をしていたのだろう。大変まじめでよろしい。

 ルシアの視線はじっと俺たち――否、シリウスを捉えている。瞳の輝きは『理解不能なものを見た』ときのもの。


「おはようございます、ルシア様」


 辻斬りのように挨拶をしておいた。ほらほら、ここは戦場、気を抜いていてはいけないよ?


「……あっ、はっ、お、おはようございます! ええと――」


「シリウス様の従僕のオスカーです。お見知りおきを」


 名前を覚えていないことに、不機嫌になったりはしない。来たばかりの従僕の名前など覚えているほうがおかしいのだから。それでいい――それはつまり、俺が『取るに足りないもの』という擬態に成功している証拠なのだ。


「おはようございます、オスカーさん。そして、シリウス様。私は終わりましたので、失礼します」


 そう言うと、こちらの発言を許さず、そそくさと家に帰っていった。


「嫌われているな、オスカー?」


「……面識がないので、シリウス様の人徳だと思いますが――」


 ああ、ちょうどいい、と思い、俺は質問を投げかけた。


「ルシア様と面識があるのですか?」

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