第14話 悪役貴族は覚醒への道を歩む

「シリウス様。朝になりました、お目覚めください」


 翌日もまた、俺の1日はシリウスを起こすことから始まる。

 シリウスは頭を振りながら、目を覚ました。


「おはようございます、シリウス様」


 恒例の挨拶だが、もちろん、シリウスは返事をしない。まるで、それこそが、俺とお前の身分の差だ、と言わんばかりに。

 もちろん、俺もそんなことで腹は立てない。ベースとなるオスカーの感情が、それを許容しているからだ。


 さて、次はメイドを呼ぶとしよう――

 そのとき、有能なる従僕であるオスカーの意識が、部屋の異変に気がついた。


 シリウスの部屋の壁には模造の剣が飾られているのだが、それが数センチほど、昨日と比べてズレている。

 よく気づくなあ……オスカーの謎すぎる執事スキルだ……。

 さて、それが何を意味するのか――


「シリウス様、昨日の夜は自室で剣術の復習をなされましたか?」


「……するわけがない。あの程度の技術に、それほどの価値があると思うか?」


「そうですか」


「どうしてそう思った?」


 飾りの剣がズレているから――と答えるのは簡単だろう。だが、こちらの手札を見せるほど、俺はお人よしでもない。

「習い事をすると、一人になっても修練したくなるものですから」


「凡人のお前はな」


 シリウスがせせら笑う。


「天才の俺は違う」


「そうですか」


 ならば、なぜ飾りの剣がズレているのか。実にミステリーだ。

 そこで会話を打ち切り(シリウスがあまり続けたくなさそうだったから)、俺はメイドたちを呼んだ。

 また新しい1日が始まる。

 今日の授業は魔法、魔法使いカーティス老人が講師だ。


「それでは、今日の講義は――」


「こちらから頼みたいことがある」


 シリウスが、カーティスの言葉を遮った。


「頼みたいこと――でございますか?」


 人生経験豊富な、あまり感情を態度に表さないカーティスが訝しげな声を出す。

 無理もない。授業にやる気がないゆえに常に受け身だったシリウスが、やおら機先を制してきたのだから。


「ああ、魔力を発露する――基礎理論から教えて欲しい」


「基礎」


 カーティスが目を丸くした。

 シリウスほど『基礎』から遠い人間もいないのだから。魔法が使える、それでいいだろう? を地でいく人物が言い出すはずもない言葉だ。というか、カーティス老人が基礎の説明をしようとすると、かったるい、無意味だと部屋を出ていっていたくらいなのに。


「……構いませんが。本当にそれでよろしいので?」


「ああ、魔力を効率的に運用できるようになりたいと思ってな」


「ほほぅ」


 すっとカーティスが目を細める。

 当然、気づいていたのだろう。シリウスの魔力運用には無駄が多すぎることに。

 魔法とは、体内にある魔力を変換して発生させている。

 シリウスは、その変換が雑すぎて、魔力が1ですむ魔法に5かけるような感じになっている。

 だけど、それでも問題はなかった。シリウスの魔力は常人よりもはるかに膨大で、その無駄を許容できたから。そして、魔力の禍々しさは錬磨しなくても、とんでもない強さを魔法に与えることができた。


 それこそが、神に選ばれし男シリウスの特権――


 だけど、結局のところ、それは剣術と同じ問題に行きつく。

 光の勇者リヒトを相手にしたとき、生のままのシリウスでは優位を保てないのだ。

 リヒトは生真面目で努力を怠らない。そのたゆまないレベルアップは、やがてシリウスとの間にある才能の差を埋め切ってしまう。

 それが、ゲームの序盤こそ圧倒的だが、中盤以降はパッとしないシリウスの成れの果てだ。

 つまり、シリウスにもレベルアップが必要なのだ。

 基礎を学び、実践し、経験を積んでいくしかない。


「ふむ、ではこれなどいかがですかな」


 そう言って、カーティスが右の手のひらを上に向けた。手が淡く輝いたと思うと、そこからするすると植物のつるのようなものがするすると伸び上がり、先端が大きなボールのように膨らんだ。


「これは体内の魔力で作り上げたものです」


 大きなボールが急激に形を変えて、立方体に切り替わる。そして、次は星の形に。


「このように魔力を操作して、思うがままの形を作ります。できますかな?」


 ……なるほど、魔力そのものを具体的なイメージの通りに操るトレーニングか。

 簡単そうに見えるけれど、これは実に難しい。

 オスカーの常識によると、魔法を発動するときは、そこまで魔力を意識しないらしい。もっと大雑把な処理で魔法は発動する。

 例えるのなら、物を取る、という行為は考えることなく腕を動かすが、今回のこれは、腕を何度右にずらして、何センチ前に出すか――それくらいの違いがある。

 だが、魔力を『感じる』という点で、これは効果があるのだろう。

 そして、これを極めれば精妙な魔力のコントロールも簡単だろう。


「……ふん。児戯にも等しい」


 シリウスは鼻で笑うと、同じように右手を上に向ける。ぼうっと手のひらが輝き、そして同じように魔力の蔓がしゅるしゅると上に伸びて――

 へたりと倒れた。


「む」


「難しいですかな?」


「慣れていないだけだ」


 言い返すと、シリウスは再び挑戦する。再び手のひらに光が輝くと、今度は爆発的に蔓が伸びて、天井に当たって砕け散った。


「チッ!」


 ……調整が弱すぎたり、強すぎたり。荒っぽいシリウスらしいミスだ。


「落ち込まないでください。何も説明を受けずに蔓まで出せたのですから。正直、私も驚いております。もう少し初歩から進めましょう」


 カーティスが懇切丁寧に、魔力の感じ方を説明し、実演してみせる。

 シリウスはその話を聞きながら、段階を踏んでいき――

「ふん、楽勝だな」


 数時間の格闘の末、ようやく蔓の先にボールを出現させることができた。だけど、それは長く維持はできず、あっという間に砕け散ってしまう。

 しかし、カーティスの表情にあるのは驚嘆だった。


「ほぅ……まさか初日でそこまで進むとはたいしたものです」


「世辞を言うな。お前のように維持もできなければ形状変化させられない……! イライラする……!」


「そう言わんで欲しいものです。私は今のシリウス様の域まで達するのに、1年ほどかかったのですから」


 1年……!?

 それをシリウスはわずか数時間で駆け抜けたのか!?


「そして、今の域に達するのに10年かかりました。シリウス様がどれほどでそれを成し遂げてしまうのか、とても興味があります」


「あっという間だ。あっという間に超えてやる」


「楽しみにしておりますよ」


 にこやかな表情でカーティスはそう応じた。次代に生まれるかもしれない、新たなる大魔法使いの存在を幻視するかのような表情で。

 講義が終わった。

 帰り際、俺はシリウスに尋ねた。


「今晩も訓練をするのですか?」


「するわけがないだろう」


 実につまらないことを吐き捨てるかのようにシリウスが応じる。


「そんなに俺が楽しそうにしていたように見えたのか?」 


 ……大事なことは『今晩も』の『も』なのだけどな。

 シリウスはそこを否定しなかった。であれば、その『も』はいつを指すのだろう?

 昨晩、シリウスは何をしていたのだろう?


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ディンバート公爵邸は、公爵家の血脈だけが入ることを許された豪勢な風呂場が存在する。

 その晩、シリウスは一人で浴槽に浸かっていた。

 もちろん、暇である。

 だから、何気なく右手を浴槽から出した。そして、手のひらに魔力を集中させる。魔力の蔓を伸ばしてボールを作る――

 そして、間髪入れずに立方体へと変化させようとする。

 カーティス老人がそうしていたように。

 だが、できなかった。形状を組み替えようとした瞬間、バキバキと音を立ててボールが崩れていく。


「生意気な……!」


 プライドの高さゆえに、うまくいかなければ没頭する。できない事実が許せない。

 現時点では、充分に進歩が速い?

 そんな言葉はシリウスにとっては無意味だ。彼にとって、すべての基準は自分なのだから。他人と比べることなど無意味だ。なぜなら、他人よりも優れているのが当たり前なのだから。

 だから、シリウスは浴槽に浸かりながら熱中した。

 熱中しすぎたため――


「シリウス様?」


 背後の気配に気づくのが一瞬、遅れた。

 慌てて魔力を消す。

 天才シリウスの辞書に、基礎練を熱中して頑張っていました、という事実は不要。見られるわけにはいかない。


「……なんだ?」


 振り返ると、メイドが立っていた。

 シリウスから放たれた鋭い殺気を感じているのだろう、その表情は硬く、唇は震えている。


「い、いえ、その……背中をお流ししようと思いまして……」


「わかった」


 何事もなかったかのように、シリウスは浴槽から上がる。

 そして、メイドに背中を洗われながら、どう魔力をコントロールすればいいのか、今まで考えたことのないことに頭を悩ませた。


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