屈してから
第13話 男子、三日あわざれば
それから3日間、シリウスはベッドで寝込み続けた。
今まで風邪すら引いたことがないシリウスの異変は公爵家にそれなりのインパクトを与えた。……症状が『衰弱』という珍しいのもそれに拍車をかけていたな。
「俺も病気くらいする、いちいち騒ぐな……!」
シリウスはおろおろする使用人たちに冷たい言葉を吐きつけると、傲然とした様子で眠り続けた。
そのシリウスが復活したのは3日後のことである。朝、俺が部屋に入ると、すでにシリウスは目を覚ましていてベッドに腰掛けていた。
「……今日は一人でお目覚めですか。驚きました」
今まで、この時間に起きていたことはなかったはずだが。
「はっ! 俺は子供か! よくできましたねー?」
世間的には子供の年齢だが?
「寝過ぎただけだ。体が
シリウスが首を左右に振ると、パキリパキリと小気味よい音がした。
「それで、今日からお前の最強に至る特訓とやらをしてくれるのか?」
「はい、お体の調子が戻られたのなら」
「楽しみだ」
口元を緩めて、シリウスが笑う。
……ひょっとして、特訓が楽しみすぎて寝付けなかっただけだったりしないか?
「で、何をするんだ?」
「そうですね。今日はマクシミリアン様がいらっしゃいますので、剣術の訓練をしましょう」
マクシミリアンというのは、シリウスに剣を教えている講師だ。
シリウスの表情が不快げに歪む。
「……はあ? あの男に学んで意味がある? 俺より弱い男に?」
「強い相手だから学ぶ価値がある、弱い相手だから学ぶ価値がない――そういうものではないのですよ。世界はそれほど単純なものではありません」
俺はにっこりと笑みを浮かべて続けた。
「私の言う通りにしてください。3回回ってワンというよりは簡単でしょう?」
「……チッ」
朝食を食べ終えた後、俺たちは公爵家の庭園で、中年の元騎士マクシミリアンと顔を合わせた。
「さて、それでは始めましょうか。まずは素振りを100回」
「わかった」
木剣を構えながら、シリウスが続ける。
「おい、もしも俺の構えや動きに気になる部分があれば、どんなことでもいいから指摘しろ」
「は……?」
マクシミリアンは驚いたように目を丸くする。
当然だろう、シリウスの口からそんな殊勝な言葉が出てきたのだから。いつも適当に100回振るうか、ひどいときは時間の無駄だ、でサボりすらするのに。
もちろん、裏がある。
俺がそう言うように指示したからだ。
マクシミリアンが慌てて頷く。
「もちろんです、シリウス様。喜んで指摘させていただきます」
とはいえ、いまだにマクシミリアンは混乱の渦中のようだ。
結局のところ、誰がやっても話を聞かない傲慢なお坊ちゃんの相手――気分を逆撫でしないように適当に時間を潰そう、そんな意識がグラグラと揺れている。
シリウスが素振りを開始した。
――荒い。
オスカーは俺が憑依する前から、よくマクシミリアンの動きも見ていた。だからこそ、オスカーは並以上に剣が使える。マクシミリアンの、精密機械のような動きに比べれば、シリウスの動きは似ているようで違う。迫力と覇気こそあるが、大雑把さが目立つ。
シリウス個人の基礎能力が高すぎるがゆえに、そんな雑な戦い方でも勝てる。だが、近い能力――アイリス学園に入学してくる勇者リヒトのような存在と対峙すると話は変わってくる。
そこでは、積み重ねた努力と技術の研鑽が運命をわける。
シリウスに必要なのは、己の力に自惚れることなく、人類が気づき上げた技術をマスターすることだ。
暴虐なる力と、洗練された技巧。
その二つが組み合わさってこそ、シナリオすら破壊する最強が生まれる――
シリウスは気づかなければならない。己が不要だと切り捨てたものの価値を。
困ったような様子で眺めていたマクシミリアンだが、ようやく決心のついた表情で口を開く。
「……シリウス様、気になる部分があります」
その声は微妙にか弱い。
当然だろう、彼はシリウスが傲慢なる暴君であることを知っているのだから。不興を買えば、この場で斬り殺される可能性だってある――
もちろん、そんな心配はないが。
なぜなら、俺が存分に釘を刺しているからな。どんなことを言われても、黙って従うようにと。
「私の動きを見ていただけますか?」
マクシミリアンが剣を振るう。それは機械的ではあるけれど、何度も何度も、何千回、何万回と剣を振るった武芸者の美しさが確かにあった。
マクシミリアンが何度か振るった後、今度はゆっくりと動きながらシリウスの動きとの違いを説明し始める。
シリウスは不愉快げな表情で眺めている。
その内心は簡単に説明がつく。
――こんなことに何の意味がある?
あるいは、
――見ろよ、あの弱々しい剣を。ゴミのようじゃないか。
俺が釘を差していなければ、とうの昔にマクシミリアンを叱りつけて「試合をしよう。お前の強者の剣とやらを教えてくれ?」とボコボコにしていただろう。というか、オスカーの記憶によると、前にそんなことがあった。
激発しそうな感情を抑え込みながら、シリウスは木剣を握り直した。
「こうだな」
ふぉん、と音を立てて木剣を振り下ろす。
ほお……。
少しばかり感心した。たった一度、見ただけで。たった一度、真剣さを出しただけで。こうも変わるものなのか。
紛れもない才能――
さすがは天才シリウスか。
その思いはマクシミリアンにとっても同じのようだ。彼もまた呼吸を忘れたかのように見入っている。
忘我の一瞬から我にかえり、マクシミリアンは口を開く。
「素晴らしいです。ですが、もう少し調整を――!」
再び身振り手振りを加えて説明を始める。
だけど、熱心さがさっきとは違った。おっかなびっくりという感じは消えて、垣間見た才能を伸ばすために必死になる気持ちだけがあった。
「ふん、何をギラついている。気持ち悪いやつめ」
そんな憎まれ口を叩きながらも、シリウスはマクシミリアンの指導に耳を傾ける。
その効果はあった。
シリウスが剣を振るうたびに、その動きは鋭く、正確さを増していく。
「お、おお……」
マクシミリアンが信じられないものを見たかのように、感嘆の声をこぼす。生まれて初めて真剣になった神童の才の輝きは、まぶしいほどだった。
剣を振り回しているだけだったが――
今はもう剣を操っている。
あれならば、微細な動きも可能だろう。細やかな軌跡の調整とか。今度はカウンターを合わせるのが難しくなりそうだ。
「これでどうだ?」
シリウスが木刀を振るう。マクシミリアンは大袈裟に頷いた。
「はい、そうです! それです! す、素晴らしい!」
ここに来たときは死んだ魚のような目をしていたマクシミリアンの目が今ではキラキラと輝いている。
憎まれ口を叩きながらも従ってくれる教え子と、その輝かしい才能。
さぞ指導者冥利に尽きるだろう。
「もっと多くをお教えします! より高みへと至れることでしょう!」
「ふん、好きにしろ。もう少し付き合ってやる」
シリウスが興味を失ったかのように木剣を投げ捨てる。
今日の訓練は終わった。
屋敷に戻り際、前を歩くシリウスがこんなことを言った。
「……これが、お前の言う最強への道のりか?」
「はい。ご不満ですか?」
「まだ判断には早いだろう――だが、地味だな」
「鍛錬とは地味なものですよ」
……前世で黙々とゲームの練習をしたのを思い出すな……。
「それが分かっただけでも収穫ですね」
「どうだかな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夕食が終わった後、シリウスは自室で本を読んでいた。
ただの自由時間。あとは眠るだけ。
だけど、シリウスは妙に体が疼くのを感じた。まだ足りない、もっと積み重ねたい――そんな欲が腹の底にある。
「チッ」
舌打ちをすると、シリウスは本をテーブルに置く。部屋の壁にかけられた、飾りの剣を手に取った。
飾りかどうかはどうでも良かった。重要なのは、それが剣の形をしていること。
柄を握ると、心が落ち着いた。
静かに、剣を構える。
そして、それを振り上げて、振り下ろした。
今日、マクシミリアンから教わった通りに。
シリウスの才能は、まだそれが完璧ではないことに気づいていた。まだ己の身についていない。終わりのない反復練習だけがそれを成し遂げる。
……それをしたい、欲が出てきた。
「……ふん、少しだけだ。少しだけ付き合ってやる」
そう吐き捨てながら、シリウスは何度も剣を振るった。その口元には、何かを積み上げようとするものだけが浮かべることのできる、小さな笑みが浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます