第12話 かくして、悪役貴族は軍門にくだる

 ちょうど夜が明ける頃、シリウスが目を覚ました。身を起こし、手で顔をこすっている。


「……よいお目覚めですか、シリウス様?」


「最悪だ。不愉快な夢を見たからな」


「私に負けたこと――夢と誤魔化すおつもりで?」


 揚げ足を取る言葉に、シリウスの瞳に怒りの炎が灯った。だが、それは激発することなく、再び理性的な色に戻る。


「……俺がその程度の器量だと……?」


「いえ、まさか」


 シリウスのプライドの高さからして、その程度の『つまらない逃げ』はない。その屈辱を、本人が忘れられないのだから。


「では、約束を果たしていただきましょう」


「お前に絶対服従か――」


 再び表情に威嚇が現れる。くだらないことを言えば、噛み殺すぞと言わんばかりだ。


「そうですね。では、3回、回ってワンと言ってください」


「な、なんだとォッ!?」


 表情が憤怒の色に染まる。

 ……別にそんなものを見たいわけではないのだけれど。どの程度までの命令を許容するのか、その覚悟を知りたい。


「貴様……調子に乗るなよ!?」


「……公爵殿下シリウスの約束とはその程度の軽さなのですか?」


「くっ……!」


 シリウスはすぐに動かない。屈辱と憤怒が内心でせめぎ合っているのだろう。

 ……いきなり斬りかかってくる可能性もあるか……。

 とはいえ、俺はそれほど緊張を感じていない。なぜなら、現時点でシリウスは無力だからだ。今のシリウスには雑魚ゴブリンすら殺せない。


「貴様……いつか必ず首を落としてやるからな!」


 そんなことを吐き捨てながら、シリウスが立ち上がった。

 そして、その場でくるりと回転しようとして――

「う、お、あ……?」


 ふぬけた言葉を吐きなら、体がよろけた。

 シリウスが驚いているのも無理はない。ナチュラルボーンな天才のシリウスが、その体幹を揺らすことは滅多にない。

 予想していた俺は、そっと前に進み、シリウスの体を抱き止めた。


「大丈夫ですか、シリウス様」


 不意に聞こえた至近からの俺の言葉に驚いたのだろう、シリウスはギョッとした表情になり、俺を突き飛ばした。


「気軽に触るな、下郎!」


 俺と距離を取りつつも、その足元はおぼつかない。


「これは……?」


「それが『黒雷纏』の代償です。雷の力で反応速度を超速化する代わりに、効果が切れると動けなくなります。1日くらいは寝込むでしょうね」


 なので、無茶苦茶強いわりに、そうそう使える技でもないのだ。


「ちっ……!」


 一瞬でそこまで気付いたのだろう、シリウスは失望を目に映した。そう、傲慢ではあるが頭は悪くはない。


「――ところで、どうしてお前がそんなことを……?」


 当然、バカでなければ気づくか。

 そこで俺は、意味深な笑みを口元に浮かべてみせた。


「教えません。ですが、これは覚えておいてください。私はそれを知っている――つまり、私の言葉には聞くべき価値がある。そうは思いませんか?」


 じっとシリウスの目を見つめて、次の言葉を吐く。


「あなたは、その情報量の差ゆえに、私ごときに負けたのですから」


「……はっ! トリックがあるってわけか……!」


 再び、シリウスの目に攻撃的な炎が燃え上がる。実力で負けたわけではない、その事実が彼にとっての活力なのだろう。

 そうだ、それでいい。

 塩らしくしていられては困る。お前の暴力的な才能は、ゲームのシナリオを砕くことに遺憾なく使ってもらいたいのだから。


「それで? お前は俺をどうしようと言うんだ?」


「言ったでしょう? 強くして差し上げます」


「ああ?」


「はっきり言いましょう。あなたの未来は確定しています。アイリス学園の入学後、あなたは死にます」


 決闘の前にも同じ言葉を言ったが、シリウスの反応は違っていた。不愉快な感情は抱きつつも、俺に噛みつくことなく耳を傾けている。

 それほどに、格下であった俺に対する敗北の事実は重いのだ。

 ……ふふ、苦労した甲斐がある。もう少しで落とせるぞ。


「そうならないよう、あなたを強くして差し上げましょう。あなたは強くなりたい――いえ、違う。強くありたい・・・・


「…………」


 シリウスは何も語らない。だが、その目が雄弁に答えを語っている。


「私の提案に乗るのも悪くはないでしょう? あなたの望む未来と、私が誘う未来は合致しているのですから。今度こそ、誰にも負けないシリウス・ディンバートを作り上げて見せましょう」


「悪くはない話だが――気に食わない」


 吐き捨てて、シリウスが続ける。


「貴様のメリットはなんだ? なぜ、そんなことをする?」


 答えは、あなたの滅亡に私もまた巻き込まれるから――

 だけど、そんなことは言わない。


「教えません。知る必要がありますか?」


 にこやかな笑みで絶対の拒否を示す。

 一蓮托生の事実は、こちらの弱みでもある。そんなことを悟らせるつもりはない。


「チッ! ただの従僕だと思っていたが、牙を隠し持っていたか……! いいだろう。お前の提案に乗ってやる。俺を最強にしてみせろ。誰にも負けない――世界すらも打ち砕く最強に!」


 そこで、敵意をむき出しにする肉食獣のような笑みを浮かべる。

 その表情が語る言葉を俺は理解する。


 ――最強になった暁には、お前の首を落としてやろう!


 ……やれやれ、暴君の思考回路は危なっかしくて仕方がない。感謝の気持ちで永遠の友人になるという発想はないのかね。

 シリウスを育てることは俺にとってもリスクではあるが、現状では受け入れよう。

 まずはシナリオと破滅フラグの破壊が最優先だからな。

 シリウスをどうやって手なづけるか、あるいは、対抗手段を設けるかはそれが片付いてからの話だ。


「では、屋敷に戻りましょう。肩を貸しますよ」


 近づく、俺をシリウスが牽制する。


「近づくな! 一人で歩ける!」



「……わかりました」


 そんなわけで、付かず離れずの距離を保ちつつ、俺たちは屋敷へと向かう。

 シリウスの動きは実に危なっかしかった。完全に酔っ払いのそれである。本人は顔を引き攣らせているけど。


「無理はなさらないでください、シリウス様」


「うるさい、黙れ!」


 俺の言葉を拒絶して、シリウスは歩き続ける。

 ……よろよろでも肩を借りようとしない根性は認めるけどな。ただ、異変を悟られたくないから、朝のうちに戻りたいんだけど。

 そんなことを思っていると、シリウスがついに屈した。

 肩を揺らしながら、ゼーゼーと息を吐きながら、俺に視線を送る。


「くそ、仕方がない。お前の肩を借りてやる!」


「わかりました」


 シリウスの右腕を肩に回し、左手を腰に添える。


「歩きますよ」


「……あまりくっつくな。気持ちが悪い!」


「文句を言うのなら、お姫様抱っこにしますよ?」


「な、なんだと!?」


 傲慢ではあるが、生真面目な側面もあるので、なかなか反応が面白い。これはからかい甲斐があるな。


「ほら、命令権が私にはありますからね。どうですか?」


「くそ、このままでいい! 我慢してやる!」


 そんなやりとりをしながら、俺たちは早朝のうちに屋敷へとたどり着いた。使用人口から中に入り、こそこそとシリウスの部屋まで戻ってベッドに寝かせる。

 ……ふう、朝から起きている使用人も多いので、見つからなかったのは運がいい。


「それでは、お休みください、シリウス様。体が元に戻りましたら、訓練を始めましょう――最強に至る訓練を」


「……価値がないと判断すれば、ただでは置かないからな……?」


 ベッドから睨め付ける視線に、俺は笑みで返す。


「ご安心ください、ご期待に沿う自信はありますので」


「ふん……」


 ひとつ鼻を鳴らすと、もう限界だったのだろう、シリウスは死んでいるかのように眠りに落ちた。

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