第5話 初めての対人戦

「シリウス様。朝になりました、お目覚めください」


 主人の目を覚まし、メイドたちを呼んで着替えさせる――

 朝の定型業務が終わり、食堂へと向かうところでシリウスが俺に目を向けた。


「……何か気になるな」


「どういう意味ですか?」


「いや、お前だよ」


 じっと何かを見定めるように俺を見つめる。


「何か変わったか?」


「――――」


 まさか、オスカーの異変に気づいている? オスカーの記憶を利用して、なるべく気づかれないように注意しながら接しているつもりだったが……。

 さすがは最強にして天才シリウスといったところか。


「いえ、特には?」


「そうか? 可愛らしい犬だと思っていたが、最近は牙が見え隠れしている気がしてな――いいか、気をつけろ。お前の飼い主はずいぶんと気が短く傲慢だ。牙が見えただけでも、うっかり首を落とすかもしれない」


「……肝に銘じておきます」


 どうやら、俺の反骨心を薄々と感じているようだ。そうそう甘い相手ではないな。その日は朝食が終わった後、シリウスとともに会議室へと向かった。

 会議室にはすでに出席者が揃っていた。


「遅いぞ、シリウス」


 そう言ったのは、最も上座に腰を下ろす、最も上質な服を身にまとう30代の男。


 ディンバート公爵――つまり、シリウスの父だ。


 ゲーム内において、この父親もまたシリウスと同じくらい悪役貴族である。蛙の子は蛙というやつであろう。父親のほうが政治や権力を駆使する大人なぶん、シリウス本人よりもタチが悪い見方もある。

 性格もまた容赦がなく、オスカーの記憶をたどると、些細なことで不興を買ってクビになった使用人はいとまがない。

 この家における絶対的な君主だ。


「申し訳ございません、父上」


 たいして悪びれた様子もなく謝り、シリウスは適当に空いている席に座る。父親の横が空いているが、そこは無視らしい。俺はシリウスの背後に立ち、会議が始まった。

 公爵以外には4人の男たちが座っている。全員、筋肉質の立派な体つきなのは彼らが公爵家に仕える騎士だからである。

 その中で最も年上の騎士が話を始めた。


「この領都ディンバート近くの森に野盗団が現れまして、街道を行き交う人々をたびたび襲い被害が出ております。証言から野盗団の数は――」


 騎士がすらすらと話を続ける。どうやら調査はかなり進んでいるようで、相手の戦力も、潜伏場所もあらかたわかっているようだった。


「明日、騎士10人で攻め込み、殲滅しようと思っております。いかがですか?」


「ふむ――」


 ディンバート公爵は即答せず、自分の息子に視線を送った。


「シリウスはどう思う?」


「騎士10人の運用よりも安くすむ方法がありますよ。私が行くことです」


 言葉の意図が部屋に浸透すると同時、空気が凍りついた。

 反応したのは騎士だった。


「……ま、まさか……シリウス様が?」


「そうだ。この程度の雑魚ども、俺一人でやってやろう」


「そ、そんな! 危険です! シリウス様をお一人で行かせるなど!」


「はっはっはっはっは! 騎士団長は俺が野盗団ごときに負けると?」


「い、いえ……そういう意味では――」


 実際のところ、シリウスの力であれば楽勝だろう。将来的にはラスボス並みに至る才能はすでに開花しつつあり、現時点で、ここにいる騎士たち相手でも無双状態だろう。だが、だからといって、守るべき嫡男の突撃を配下として許可できるはずもない。

 ディンバート公爵が口を開いた。


「シリウス、ただ暴れたいのだろう?」


「ええ、正直に言えば」


「いいだろう、存分に暴れてこい。ただし、ここにいる騎士だけは連れていけ。万一の場合に備えて」


 騎士団長の顔に渋みが増す。

 ……まあ、当然だろう。公爵の命令をまとめるとこうだ。


 ――シリウスの好きなようにさせてやれ。ただし、何かあったときはお前たちが命を賭けて守れ。


 なかなかの言い草だ。守るだけならば、守る。奥に隠して、息を潜めさせる。なのに、前に出しておきながら守れとは。戦場で命を落とす時間など1秒でいい。騎士団長が眉をひそめるのも無理はない。

 ただ、これは公爵が無能だというわけではない。

 全て知った上で命じているのだ。その無理を成せ、と。

 それこそが暴君ディンバート公爵その人である。


「……承知いたしました」


 騎士団長は頭を下げて命令を受領した。それ以外の選択肢など存在しない。


 会議は終わった。

 その夜、俺は夜鷹を手にして、屋敷を抜け出した。

 目指すのは森の奥にある野盗団のアジトだ。


 明かりをつけたランタンを片手に森を進んでいく。森の内部情報はオスカーの記憶にあり、アジトの位置も騎士たちのおかげでわかっている。特に困ることなく目的の場所にたどり着く。


 少し開け場所で、おそらくは大昔に建てられたのだろう、ボロボロの家が建っている。

 入り口には野盗の一人が見張りに立っていた。


 ……と言っても、壁に背中を預けて腰を下ろし、実にやる気がなさそうな様子だったけれど。


 さて、ここに来た理由だが――

 明日まで待つまでもなく、俺の手で野盗団を潰すためだ。公爵の無茶苦茶な言い分に腹が立った――なんて理由ではない。

 俺自身の強さを試したかったからだ。転生後の初戦闘でいきなりシリウスとの激闘は避けたいからな。


 それともう一つ。

 俺自身の覚悟について。

 果たして、俺は人を殺す覚悟があるのだろうか?


 前世では、ただの社畜生活を送っていた普通の人間である俺だ。前世で人を殺すなんて考えたことすらなかった。

 だけど、ここはファンタジーな世界。人権という概念もなく、わりとカジュアルに人が死ぬ世界である。シリウスを殺すつもりはないけれど、殺す気でいかないと勝てないだろうし、いつか誰かを殺すときもあるだろう。

 その辺、慣れておかないとね……。

 その点で、野盗団は実に都合がいい。他人を食い物にして生きているクズ連中だから。いずれにせよ、明日にはシリウスの手で現世から追放されるのだから、俺が手を下しても良心は特に傷まない。


 さて、やるか。


 俺は夜鷹の鞘を地面に置いた後、ランタンを腰のベルトに吊るすと、ふらりと木陰から姿を現した。

 俺の姿を見た野盗が慌てて体勢を立て直す。


「あのー……森で迷いまして……」


「コラァッ、動くなあ!」


 絶叫が響き渡った。

 野盗が地面に置いていた剣を手に取って近づいてくる。


「なんだ、お前は!」


「迷っただけですよ」


 両手をあげて、俺もまた距離を詰める。


「動くなと言っただろうが!」


 やなこった。

 だって、攻撃して欲しいからね。


「ガキだからって甘くはしてやらねーぞ!」


 野盗が剣を振るった。俺の足を切り付けて動けなくしようという魂胆なのだろうが――

 俺はあっさりとかわした。

 俺は、というか、オスカーの体は、という感じか。さすがはシリウスの右腕だけあって、相当なスペックだ。ちなみに、ただの従僕がどうして強いの? という感じだが、ゲーム開発者によると「オスカーも優秀なので、シリウスの授業を横で見て、こっそり訓練して強くなりました」という雑な設定がある。


「なんだ、テメェ!?」


 野盗が再び切り返してくる。

 そうそう、それを待っていたんだ。

 俺は背中に手を回す。実は置いてきたのは鞘だけ、抜き身の夜鷹をズボンの腰で挟み、背中に隠し持っておいたのだ。危ないって? いいや、夜鷹は無刃――ただの高級ひのきの棒なので、そのリスクはない。

 一瞬で引き抜いた。


「カウンター」


 金属同士の激突する音が響き渡る。

 スラッシュ・カウンターによって付与された斬属性が、容赦なく野盗の首を切り裂いた。


「があっ!?」


 血を噴きながら男が倒れる。

 致命の一撃を受け、あっという間に男は死へと直行していく。そんな姿を見ても、はて、俺の心はそれほど衝撃を受けていなかった。例えるのなら、そう、前世の道端でネズミの死体を見たのと変わらない、というか。

 カウンターを放つときの動きにも、ためらいはなかった。これが相手の命を奪うとか奪わないとか、手に持っているのが刃物とか、そういうのは何も影響を及ぼさなかった。

 前世で小市民をしていた自分を思うと超速の進歩だ。


「ふむ……」


 感情が『オスカー』という存在によって膜が覆われている感じだ。オスカーが生まれながらにして学んだ、こちらの世界の常識というもので、強制的にバイアスがかかるというか。


「いずれにせよ、こちらの世界を生きていくには都合がいいかな」


 なぜなら、まだたくさんの相手を斬らなければいけないから。

 急に騒がしくなった。


「おい、お前、何をしてやがる!」


「仲間を殺しやがった!」


「ただじゃおかねえぞ!?」


 家から出てきた野盗団たちが騒ぎ立てている。

 俺の中に宿る、オスカーの感情が不快げに震えた。

 俺は夜鷹を野盗たちに向ける。


「聞くだけで不愉快ですが、今のうちに喋っておきなさい。すぐに喋れなくなるのですから」


 その言葉はまるでゲーム上のオスカーが言いそうな言葉で、俺は心地よさと妙な一体感を覚えた。

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