第2話 最強最悪悪役貴族の人となり
「うっ!?」
いきなり腹の辺りに痛みを覚えて目を覚ました。
「お目覚めか? 起こしてくれた主人に感謝しろ?」
ガウンを身にまとったシリウスが嗜虐的に輝く碧眼で見下ろしてくる。素足の右足をぶらぶらとさせているので、おそらくは脇を蹴りつけられたのだろう。
なかなかの扱いだが、シリウスに優しさを期待しても仕方がない。
「……ありがとうございます」
「なかなか、ひどい顔だぞ?」
殴られた頬が腫れぼったいのが自分でもわかる。殴った本人が半笑いで言うことではないが、その辺がシリウスらしい。
VR-RPG『アイリス学園クロニクル』の真のラスボスにして悪役貴族シリウス。ディンバート公爵家という正真正銘の名家で生まれて、幼い頃から全てを手に入れてきた。顔立ちも極めて整っていて、無愛想さの目立つオスカーと違い、精悍さと甘さが絶妙にブレンドされていて、ほとんどの女性の好みに対応できるだろう。ちなみに、学園に入ると、プレイヤたちが『親衛隊』と呼ぶ女たちを常に侍らせている。
それだけでも充分、属性盛りすぎじゃないっすか? という感じだが、文武両道でもある。特に戦闘系の才能は目を見張るものがあり、その強さこそが彼の気の強さ――己への誇りの源泉でもある。
それだけの魅力をゼロどころかマイナスに帰さしめるのが、性格の悪さだ。
全てを持っている――持ちすぎているがゆえに、徹底的に周りの人間を見下し、自分の意を通そうとする。
今朝の俺への扱いを見ていればわかるだろう。
人間、性格が一番大事だよな……そんなことを思わせてくれるキャラだ。
そんなめんどくさい男を、御さなければならない。
やれやれ、なんて大変なんだ……。
俺は部屋のベルを手にすると、ドアを開けて鳴らした。りんりんりんりん……しばらくすると、音を聞きつけた4人のメイドたちが部屋にやってきた。
彼女たちは俺の腫れた頬を見て、一瞬だけ同情の表情を作ったが、何も口にはしなかった。ただ、表情の真剣さを深めただけ。
……何が起こったのか? 聞くまでもない、ということだろう。オスカーの暴力沙汰は日常茶飯事で、容易に想像がつくというわけだ。
実にわがままで厄介なお坊ちゃんだ。
メイドたちの手によって、シリウスは貴族らしい上質な服装に着替えさせられた。
そして、今日という日が始まる――
別に今日はその前から始まっているのだけれど、シリウスが動き出してから始まる、そんなふうに思わせるほどの威風堂々さがこの悪役貴族にはある。
さて、当面の俺の目標はシンプルだ。
悪役貴族シリウスを攻略すること。
そんなわけで、俺はシリウスを観察することにした。オスカーの記憶を漁れば色々と出てくるけど、リアルで見るのが一番だろう。そもそもシリウス付きの従僕なので常に一緒にいるのが義務でもある。
逆に言えば、シリウスを観察するにはうってつけの立場でもあるのだ。
そうやって、数日間を過ごす。感想は――
やはり、最強の名に恥じない能力の高さだ。しかし、それゆえに真面目に取り組んでいない。
剣術の授業を見てみよう。
教師が素振りを見せる。上から下へ、すっと一直線に、まるで糸を引くかのような鮮やかな動き。長年の鍛錬の成果が一目で見て取れる。
「さて、やるか」
シリウスも剣を振るう。
はっきり言って、雑な動きだった。適当に構えて、ぶんぶんと力任せに剣を振るうだけ。それは洗練から程遠い、鍛え抜かれた教師の動きの美しさとは対照的なもの。
だけど、なぜだろう。
シリウスの剣のほうが圧倒的に強いと見ているだけでわかる。威圧感? 迫力? ただただ胸をゾッとさせる感じがあるのだ。
ああ、こいつには勝てない――
そんな絶望感で空気を染め上げる感じだ。
そして、俺だけじゃあない、教師もまた同じスタンスだった。
だから、教師はシリウスに指導しない。
否、オスカーの記憶によると、過去は指導していたらしい。
「お前が俺より強いのなら、話を聞くが?」
そう言われて、教師は沈黙するだけだった。勝てないことは明白だったから。圧倒的な強さの前に、弱きものの言葉は説得力を持たない。
――とは、思わないけど。
むしろ、もったいないんじゃないか? 剣術とは、人々が長い時間をかけて積み重ねた技術だ。それを学ばなくてもシリウスは充分に強い。その通り。しかし、だ。それを学べばどうなる? もっともっとシリウスは強くなるんじゃないか?
シリウスは、己の強さに対する自信で世界が狭くなっている。
さすがは傲慢なる暴君。
他に勉強、魔法も観察してみたが、どれも同じだった。圧倒的な基礎能力のゴリ押しで、授業がほとんど意味をなさない。そして、本人も己の血肉にしようという気持ちはさらさらない。
しかし、悪くはない。
悪役貴族シリウスは最強に至る素材であるけれども、その努力を放棄している。
ようするに、今は最強でもないし、その強さも限界を極めていない。
つまり、そこに俺が付け入る隙がある。
どうやって御すのか?
力こそ正義という人間が相手ならば、それ以上の力で殴るしかない。あの、高く高く天まで届きそうな鼻っ柱をへし折れば、多少は聞き耳を持つはずだ。
ゲーム同様、シリウスは惰眠を貪る暴君のままだ。至って強く、その潜在能力は最強――そして、増長したままゲームの主人公、光の勇者リヒトに倒される。
そんなシリウスであれば、俺にでも勝ち目はある。
俺にはゲームの知識という圧倒的なアドバンテージがあるのだから。
シリウスよ、もうしばし寝ていてくれ。
俺がきつい一撃で目を覚まして――最強へと導いてやろう。俺の配下としてな。
そんなわけで、当面の俺の目標は『打倒、悪役貴族シリウス』となる。シリウスが努力しないでいてくれるのは好都合だ。
シリウスの戦力分析は続けるとして、この俺オスカーの能力は?
まず、基礎能力だが――
「ふっ!」
俺は持ってきていた木剣を振り下ろした。
……ふむ、充分に速く、強い。
当然だろう、オスカーは雑魚キャラではない。常にシリウスのかたわらに立ち、主人公たちの敵として姿を見せて苦しい戦いを仕掛けてくる。
どうやら原作準拠の才能は持っているらしい。
だけど、これも当然ではあるが、シリウスには遠く及ばない。
一度、剣を振っただけでわかる。
シリウスの荒れ狂う暴風のような、あるいは血に飢えた狼のような――そんな鮮烈な強さとは明らかに次元が違う。
強いは強いが、シリウスの強さには遠い。
……真正面から戦っても勝てないか。
ならば、搦手で戦うしかない。
悪くはない。なぜなら、搦手こそがオスカーの真骨頂だからだ。
オスカーとはどんな戦闘をするキャラか?
カウンターだ。
相手の攻撃を弾きつつ、ダメージを返す。
俺は足元にある拳大の石を手に取ると、真上に投げ上げた。石はすーっと上がっていき、やがて重力に屈して地上へと降りてくる。
見上げる俺に向かって。
手に持つ木剣に力を込める。
カウンターとは向かってくる相手をいなして反撃する行為だ。俺に向かって落ちてくる石はまさにそれ。
――今だ。
俺の中に宿るオスカーの意思がそれを教えてくれた。
俺の体が動く。
「カウンター」
俺の木剣が孤を描く。
がっ、そんな鈍い音がして、石が弾かれた。
……見かけ上、空から落ちてくる石を打ち返したのと何も変わらないが、感覚的には大きな違いがある。なんというか、俺の腕には『相手の攻撃を弾いた』という感覚が残っているから。
それが『スキルを使った』ということなのだろう。
「カウンターは使えるのか」
悪くはない。カウンターとは、相手の力を返す技だから。相手の力が強ければ強いほど――すなわち、シリウスを相手どるにはちょうどいい。
俺は地上に落ちた石を拾い上げた。
……うん?
拾い上げた石は真っ二つに割れていた。逆方向に視線を走らせると、地面に相方らしき残骸が目に入る。
石の断面はとても綺麗だった。すっぱりと切断したように。
続いて持っていた木剣に目を落とす。木剣――刃のない剣。
「……え?」
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