ラスボス悪役貴族を裏で操る参謀は執事の俺
三船十矢
屈する前
第1話 従僕オスカーと、最強たる悪役貴族
目を覚ますと、空気の匂いの違いに気がついた。
他人の家を訪れたとき、違和感を覚えるときがあるが、まさにあれだ。
どこかのホテルにでも泊まり込んだのだろうか? ……いいや、そんなことはないと思うけど。
体を起こすと――
見覚えのない部屋だった。それほど広くもない部屋に、最低限の家具がある。部屋の主は几帳面なのだろう、散らかっている様子もない。
……はて? 誰の部屋だ?
日々、激務を過ごすサラリーマンの俺に部屋を整理整頓する心の余裕はなく、常時、台風でも過ぎ去ったかのように荒廃していたと思うのだが。
体が動き出す。
そう、まさに動き出す、という表現がぴったりだった。どこか、リモコンで勝手に動かされているかのような奇妙な感覚があった。
これは……?
俺の体はクローゼットに近づくと、ドアを開いて一着の服を取り出した。
サラリーマンの戦闘服、ビジネススーツ! ではなくて、黒地と白地のコントラストが鮮やかな執事のような服だった。
なんだこれ? こんなの持っていたっけ?
特にコスプレの趣味はないので、記憶にないのだけど。
寝巻きを脱いでいき、手早く執事服に着替えていく。まさにテキパキという感じで、着慣れない服を着ている感じではない。
ええと、どゆこと?
着替えが終わると、俺の体は姿見の前に立ち、服の乱れを整えようとする。
そのときに映った顔を見て――
「……へ?」
俺は間の抜けた声をこぼした。
そこには、俺ではない男の顔が映っていたからだ。
10人の女性がいれば1人くらいは、うーん……イケメンかも? と評してくれる程度の地味な顔面とは明らかに違う。黒髪黒目は一緒だけど、間違いなく10人が10人とも、絶対にイケメン! と言えるくらいの整った顔立ちの男が立っていた。
いや、顔立ち以前に、明らかに若い――中学生くらいなんだけど!?
完全に混乱である。
意味わかんねーよ!? 変な夢でも見ているのか!? そう思って頬を引っ叩いてみたけど、何も変わらなかった。
だけど、俺はある違和感に気づいていた。
その違和感を理解しようと鏡をじっと凝視して――
その顔に見覚えがあることに気がついた。
こいつって『アイリス学園クロニクル』に出てくる敵キャラのオスカーじゃないの?
鋭い目つきでクールな、寡黙な表情がよく似合う感じはまさにそれ。
アイリス学園クロニクルとは、フルダイブ型VRRPG――意識を仮想空間にダイブさせて行う形のロールプレイングゲームだ。
プレイヤはアイリス学園の生徒であり、光の勇者でもあるリヒトになって学園生活を過ごし、最後は仲間たちとともに魔王を倒す物語だ。そこで敵役として出てくる悪役貴族の名前がシリウスで、何度もリヒトの前に姿を見せては激しく対立する構図となっている。
そして、そのシリウスに仕えている執事がオスカーだ。
正直、シリウスのオマケのイメージしかなく、あまり印象には残っていないが、ストーリーの流れからして、シリウスに絶対的な忠誠を誓い、最後の最後まで行動を共にしている。
そう、行動を共にしてしまうのだ……。
シリウスの最後はいくつかパターンがあるが、いずれも何かしらの形で死ぬ。イベントで死に、勇者との戦いで死に――果ては、魔王の力を奪い取ってラスボス化して死ぬ。ちなみに、ラスボスのシリウスを倒すとトゥルーエンドにたどり着ける。
勝手に死んでくれるだけなら別に構わないのだけど、いずれもオスカーが一緒に死ぬことになる。戦闘だとシリウスとともに襲いかかってきてプレイヤに倒され、イベントだと一枚絵で雑に死体が転がっている。
つまり、こいつもシリウスと同じタイミングで死ぬ。
……おいおいおい、マジかよ!?
どうやらマジなのだろう。これが夢ではない限り。
そして、肌感覚が、これは現実だと告げている。俺はこの、地味執事オスカーに転生してしまったらしい。
どうしろっちゅーんだ。
死ぬのを回避が基本だなあ……だけど、どうするか。
それをゆっくりと考えている暇はなかった。俺の無意識が、俺――オスカーがするべきことを教えてくれている。
その指示とは――悪役貴族シリウスを起こしにいくこと。
どうやら、それが朝1発目の仕事らしい。
「行くかあ……」
ゲーム内でシリウスの屋敷を歩いたことはあるけれども、正直、覚えていない。だけど、焦る必要はなかった。オスカーの体に任せていると、勝手に向かってくれるからだ。おそらくは、オスカーの意識内にあるものは、俺が意図的に妨害しない限りはうまくやってくれるのだろう。
そんなわけで、俺はあっという間にシリウスの部屋にたどり着いた。
軽くノックをして、返事を待たずにドアを開ける。寝ている場合、返事はないからね。
「ほお……」
さすがに名門ディンバート公爵家、その嫡男の部屋である。使用人である俺の部屋とは雲泥の差。広さだけでも4倍くらいないか? カーテンやカーペット、家具類まで全てが超一級品の雰囲気を漂わせている。
その部屋の主人は、天蓋付きの豪華なベッドで熟睡している。
俺は静かに歩み寄った。
黄金の髪が目立つ、中学生くらいの男性が眠っていた。目を閉じた状態であっても、整った顔立ちがよくわかる。10人中15人くらいの女性が、絶対絶対の超イケメン! というくらいだ。人数がバグってしまうほどって意味だな。
俺はシリウスの体を軽くゆすった。
「シリウス様。朝になりました、お目覚めください」
歯の浮くようなセリフだが、苦もなく口から出た。これもオスカーの体が覚えていることなのだろう。
シリウスは不機嫌そうに顔を歪めただけだった。目を閉じたまま、
「……まだ眠い。消えろ……!」
不機嫌そうな言葉で吐き捨てる。
なかなかのシリウス仕草である。そうそう、ゲームでもこんな感じだった。傲慢でわがままで自分が一番偉いと思っている。
寝たければ寝ていれば? と思うけども、オスカーにはオスカーの立場がある。
俺は覚悟を決めて、さっきよりも強くシリウスの体をゆすった。
「そう言われても困ります! お目覚めください、シリウス様!」
その瞬間、ひやりとした嫌な予感が腹の底を撫でた。
無意識の――オスカーがオスカーだったときに学んだ恐怖だ。それはいけない、そんな言葉が脳裏をよぎる。
だけど、吐き出した言葉は引っ込められなかった。
すっと、シリウスが上半身を起こした。
本当に、すっと。
あまりにも滑らかな動きで、俺にはその動きがすぐに理解できなかった。反動も何もつけず、腹筋だけでシリウスは苦もなく身を起こしたのだ。
そして、あっと思ったときには、俺の襟首はシリウスの手につかまれていた。
「……まだ眠い、そう言ったはずだが?」
不機嫌さを隠さない声。
傲慢で、容赦なく、己以外の人間を愚者だと捉えるものの声。
ああ、ゲームの世界を思い出す。こんな声を吐くとき、それは常にシリウスが怒りを炸裂させるときだった。
例外なく、ためらいなく、彼は怒りを表現した。
「ぐはっ!?」
その瞬間、シリウスが俺の頬を殴り飛ばした。いや、それはただの推測だ。あまりにも動きが速くて、はっきりとわからない。
俺は床に転がった。
ただの一撃で、意識がくらくらと揺れて、動く気力すらなくなる。
シリウスがベッドに沈む音が聞こえた。
「そこで寝ていろ」
それだけだった。相手を思いやる言葉も、謝罪もない。
ああ、これぞ正しく悪役貴族。何人も見下し叩き潰す、歪んだ自我の持ち主。
そんなものに仕えさせられた上に、やがて待ち受けるは死の未来という現実。そこには絶望しかない。だけど――
「ふ、ふふふ……!」
俺の口からは小さな笑いがこぼれた。
それは自暴自棄なんかじゃない、起死回生の機会を確信したからだ。
恐ろしいまでの暴君だが、才能の塊なのは間違いない。
ほんの少しのやり取りだが、圧倒された。根本的な基礎スペックの差を感じる。神の寵愛を受けた人間と、そうでない人間の。シリウスもまた、それを信じるからこその傲岸不遜ぶりなのだろう。
最強という言葉にふさわしい存在。
まさに、ゲームの設定の通りだ。
製作者がインタビューで『スペックという意味でなら、本当に強いのはシリウスですよ。だって、魔王の力の器になれるくらいですからね』と言っていた。
結局、強烈な自我の歪みのせいで、その最強たる能力を発揮しきれずにゲーム内では負けたわけだが――
もしも、その歪みを正せれば、どうなるのか?
影の薄いオスカーに原作を覆すだけの力はないだろう。しかし、最強キャラのシリウスであればどうだ? 最悪の未来を覆せる可能性もあるのではないか?
俺はシリウスが眠るベッドを見上げる。
この俺が、あいつを抑えればいい。そして、破滅ではないゴールに導くのだ。
――最強を、俺が御し、操る。
その言葉の甘美さが、俺の胸を熱く焦がした。
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