(34)逆鱗⑤

「ひゃ?」


 呆然としているところを、いきなり小脇に抱えられ、空を飛べば、誰だって驚くだろうが、そこは気にせず、数度羽ばたきして、引き裂かれた車体から一定の距離を取る。


 そして、洗浄魔法と一緒に初心者セットとか言われ、佐智から渡されたファイアボールの魔法を右手から放出した。


 発動は洗浄と同じ。頭の中で『fireball』マクロを唱るだけだ。


 自身の領域から魔素を手元に取り出して、明確な意志で魔素を励起する。発動したマクロで、励起された魔素からコアが生成され、コアは速やかに高温に事象改変される。最後に、意図した位置間の高速移動ベクトルが与えられ、高温の火の玉が引き裂かれた車体の辺りに着弾する。


 着弾した箇所のアスファルトが、たちまち沸騰した。車体自体も溶け崩れて行く。


 鋼の溶解温度は1600〜1670℃程度らしいので、ファイアボールは、少なくとも1600℃程度の熱は発生するものらしい。


 こんなものをぶつけられると、人間などひとたまりもないだろう。佐智は初心者セットとか、比較的無害そうな言い方をしていたが、案に相違して、とんでもない凶器だった。


 晃は、気を付けて使う必要があるな〜、と考えながら、熱が届かない距離まで移動し、一度地面に降り立つ。恵は小脇からそっと地面に降ろされる。


「終わった〜?」


 降りた途端、晃の脇から幼い少女のような存在が現れる。ここまで、ナビをしてくれていたミカだ。晃の領域内で寝ていたようだ。


「うん、終わったよ。」


 ファイアボールで、グツグツと溶け崩れていく車体と、辺りに散在する死体を呆然と見ていた恵だったが、ミカの声にビクッとして、声のした方向を凝視する。


 どこから出て来たのか判らなかったが、ここには場違いに思える、幼く可愛らしい少女が居た。


 しかし、よくよく見ればフォルムが人間とは異なることに気付く。晃を見た後では些細なことにも思えるが、びっくりするなとも言えない。


 そんな恵に頓着すること無く、普通に会話を続ける晃とミカ。


「そうなんだ〜。えっとねぇ。近くに共同溝とかランドマークとか無いところは、領域拡張しない方針にしたんだって〜。だから、行きと同じように飛んで帰って来て〜、って佐智が言ってた〜。」


「え?そうなの?」


「そ〜なの。何か、土地神とモメるのも面倒だから、必要以上に領域拡張しないことにしたんだって〜。」


「へー、土地神様って居るのか。」


「居るの〜。前に主の学校で、佐智が魔素を励起した後に、学校の周りに怪しい奴らがうろつきだしたの〜。佐智に言われて、アタシ達が調べたんだけど、警視庁の公安部ってところから来たお役人さん達だった〜。」


「え?役人?」


「そうなの〜。気象庁の無人自動観測所に気象観測器とは別に、神気センサってのが実装されてて、そのセンサに魔素の励起が反応したみたい〜。センサの観測データは通信回線で気象庁の地域気象観測センターを経由して神気観測センターってところに集まるみたいなんだけど、嘗てない強烈な神気反応があった〜ってことで大騒ぎになったんだって〜。その流れで、反応が発生した中心地だった、主の学校を公安部の対応部署が調べに来てたみたい〜。」


「ふ〜ん、気象庁に魔素を観測出来る仕組みがあって、魔素に関連する事象を調査する部署が、警視庁の公安部にあるのか。国全体で、その手の情報が共有される仕組みがあるって言うのは予想外だな。」


 世間一般に周知されていない話だったので、素直に驚く晃。


「それと〜。他所の国の衛星にも同じような仕組みがあるみたいで、国外でも励起を観測した国があって、何か言って来てたみたいだった〜。イロイロ調べると、公にされていなだけで、この国に限らず、古い神様がオブザーバ的に残っている地域は多いみたい〜。」


「へーー?!すごい話だね。全然知らなかった。もしかして、日本ならアマテラスオオミカミとかスサノオノミコトとか、実物が未だに健在ってことなのかな。それとも、僕が全然知らない別の神様なのかな。ギリシャとかなら、ギリシャ神話の神様で、インドとかならインド神話の神様が居るってことかな?」


「あ〜〜、ごめ〜〜。そこまで細かくは調べてないの〜。調べたほうが良い?」


「いや、そこまで調べなくていいよ。触らぬ神に祟りなしって言うからね。佐智の方針通り、不必要に関心を買わないようにしよう。名前とか、伝承の存在か否かなんてどうでも良いことだし。もっとも、だからって、僕達がしたいことや、しないといけないことを止めるつもりは毛頭ないし、そこで遠慮する気もないけどね。変な話だけど、災厄はこの世界が招いたのだから、その責任はこの世界で取るべきだと思うんだよね。その災厄を何の因果か引き受けざる得なかった僕がすることに対して、文句を言われる筋合いは無いと思うしね。」


 そんな風な意味不明で現実離れした会話を、悪鬼か悪魔かと言った風の2mの巨人と、明らかに人間と種が異なるように見える幼い少女がのんびりした感じで話している。


 恵に乱暴しようとした少年達が、見るも無惨な状態で死んでいることなど気にも止めていない。情け容赦なく殺した張本人なのだから、気にしないのは当たり前なのかもしれないが、逆に少年達に乱暴されそうになっていた恵の方が、少年達に後ろめたい気持ちになっているのが何とも笑えた。


「あ、恵姉さん。お待たせしました。バタバタしましたけど、家まで送りますね。前みたいな近道は無いので空路ですが。」


 全く状況にも話にもついて行けていない恵。


「え?は、はい。え?」


 そんな風に戸惑っている間に軽々と抱き上げられた。


 さっきの様に、雑に小脇に抱えられるのではなく、今度は俗に言うお姫様抱っこだ。


 そして、再度上空に飛び上がる晃。既にミカの姿は無い。晃の領域内に引っ込んだようだ。


「ひゃ〜〜?」


 恵の悲鳴が響く。今度は、ちょっと飛び上がって滞空する程度のことでは無く、翼を緩慢に羽ばたいて飛翔、垂直方向に200m辺りまで上昇し、翼を烈しく羽ばたき、恵の家に向かって飛び始めた。


 飛行機などは空気抵抗を減らし燃費を節約するために高度10000m程度を飛行している。マダラハゲワシやアネハヅルなど、一部の鳥類も同じ程度の高度を飛ぶことが知られているが、晃にそこまで高度を上げる理由は無かったので、都市上空で航空機が飛行しない高度を選んで飛行した。


 巨大な翼で悠然と飛翔する異形の存在。だったが、「ひ、ひぃ〜!、高い〜、速い〜!!」と、非常にうるさい荷物を抱えていた。


 何の風防も無い状況で、抱えられて空を飛ぶ恵にとっては、体感速度は、結構な速度に思えているのだろう。先程までの絶望や、晃によってもたらされた安堵や、驚愕、恐怖など、全てが後方に流れ過ぎて行った様に、ギャーギャーと悲鳴を上げて晃に齧り付いている。


 晃も気を使って、「大丈夫です。」「落ちたりしません。」などと、安心させるために言葉をかけるが、全く聞こえていないようだったので、早々に落ち着かせることを諦めた。


 結局、時速40km前後、鳥類で言えば、スズメやツバメ程度の飛翔速度で、のんびりと飛び続け、その間中ずっと、恵は晃に齧り付いて悲鳴をあげ続けた。

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