(32)逆鱗③

「ドーーン!!!!」


 車を襲った衝撃によって、左右から恵を押さえ付けていた少年達も、馬乗りになっていた少年も、運転席側にふっ飛ばされ、座席にぶつかって呻いている。運転手はシートベルトをしていたので、さしたるダメージは無さそうだが、エアバックが開いてしまっているため身動きがし辛く、そのことに悪態をついている。


 恵は少年が馬乗りになっていたからか、不思議に殆ど衝撃は受けなかったようで、びっくりした表情をしながら慌てて乱れた衣服を掻き集めた。殴られた顔が腫れてきていて、涙で目を真っ赤にしているのと合間って非常に痛々しい。少しでも少年達から離れようと車の後方に後退る。


「ぐっ、この下手くそがー!!何にぶつかりやがった!!」


 後部座席側の少年が、呻きながら口汚く運転手に詰問する。


「し、知るか!!いきなり何か車の前に落ちて来やがって、避ける暇もなくぶつかったんだよ!!あんなタイミングで避けれる訳がねーだろが!!!!」


 特に大きな怪我をしている者はいないらしく、少年達はピンピンして罵りあっていた。恵は車の後部で怯え、「だ、だすげて、だ、助けてよ、おがぁさ〜ん。」と何度も呟いている。


 そんな状況の車中で、突然、恵と少年達がビクッと身を震わせた。いきなり空気が粘性を帯び、重力が重くのしかかるのを誰もが体感し、わけも分からず脂汗が流れ出して、恐ろしさに胴震いが止まらなくなったのだ。


「ひ、ひっ?」


「な、なんだこれ?」


「わ、判んねー、判んねーけど、これヤバくね?」


 同じように感じていることは、互いの素振りからも察せられたが、それが何なのか説明出来る者はいなかった。只々恐ろしかった。


 恵に至っては、身の危険による恐怖と、意味不明の恐怖、二重の恐怖に「も、もう嫌だよう〜、お母さん、おネエちゃん、助けてよ〜、ウェ〜ン。」と全泣きしていている。


 そんな恵の様子も気にならないほど真っ青になって、互いの顔色と辺りを伺う少年達。何が起こっているのか判らず不安と恐怖に固まっている。

 

「バキッ!パキーン!!」「ガシャーン!!!」


 そんな音が重なって聞こえたかと思ったら、信じ難いことに車体が前後真っ二つに切り裂かれた。


 それと同時に凄まじい悲鳴があがる。


「グッ!?ギャーーーーッ!!!」


 後部に居た少年の一人の片足が、脛の辺りから切り飛ばされ、大量に出血していた。片足を車の後方に投げ出していた為、切り裂かれた車体と一緒に切断されたようだった。


「い、いでー!いでーよ!!俺の足が!!足が〜〜!!!」


 他の少年達と恵は、それぞれ前輪だけ、後輪だけになって、傾いた車体から転げ落ちそうになり、慌てて座席や出っ張りにしがみつきながら、何が起こったのか判らず唖然としている。恐怖が天井知らずに上がってゆく。


 片足を切断された少年は、分断され、傾いた車から転げ落ち、痛みで地面を転げ回っている。他の少年達はそれを見ていることしか出来ない。


「いでっ!いでーーー!いでーよーーー!!!」


「うるさい。黙れ。」


 突然、威圧的な声と共に、人間とは思えない大きな影が、恵と少年達の目の前に現れた。


 唖然として固まる恵と少年達。大きな影は、痛みで暴れる少年を邪魔そうに一瞥するや、無雑作に蹴った。


 それほど強く蹴ったとも見えなかったが、蹴られた少年はゆうに10m以上を飛ばされ、落ちた先で、ボキッ、ゴキッと言った寒気がする異様な音と共に何度かバウンドし、幾ばくかの距離を転がって止まったようだった。うんともすんとも言わなくなったところを見ると、おそらく無事では無いのだろう。


 痛みで騒いでいた少年が、悲惨な形で静かになった為に、辺りは異様な静けさに包まれる。


 そこにいる誰もが、自分達に恐怖の発作をもたらしているのが、この異形の存在であると悟るとともに、衝突と車体の破壊も、この存在の仕業なのだと理解した。


 その存在は、一見、2mほどの背丈のガッチリしたヒトのようにも見えた。しかし、血管の浮き出る皮膜で形成されたコウモリのような翼と、緩慢にのたくる複数の長い尻尾を持っていた。


 浅黒いながら見える部分の皮膚は肌色で、長い頭髪は黒い。それだけ見れば、ヒトのように見えるが、額から一角の長い角が突き出ており、耳が異様に縦に長く、先端が尖っていた。口角は普通とは言えない程に幅広く、そこから見える歯列は明らかに肉を裂いたり骨をかみ砕いたりするための鋭く尖った肉食動物の歯だった。悪鬼羅刹、或いは悪魔、そういった類の相貌だ。


 顔から首、鎖骨から胸にかけての部分は浅黒い皮膚だが、胸部、腹部、脇部、腰部、上腕、前腕、大腿、下腿は、鎧、と言うよりもウミネコ(Umineko)などのボディプロテクター、そんなものを纏っているように見えた。留め具などは全く見当たらないところを見ると、装甲をボディスーツの上に貼付されているようにも見えるが、装甲様の部位以外、皮膚の露出がある部分以外は、獣のような体毛が渦を巻いて全身を覆っており、それを見ると、生得の器官の可能性があった。皮膚の中に生成された、皮骨から出来ているか、或いは、単に皮膚の硬質化したものなのかも知れない。


 手足は人間のバランスと似ているがやや長い。太くは無いが、その硬質な陰影から強靭な筋肉の束で出来ているのが判る。手も足も指が長く、特に足の指は人間としては有り得ない程に長い。それぞれ鋭い鉤爪となっており、高い把握力や、殺傷力が伺われた。

 

 コウモリなどは、手指の機能を転換し、腕の前面から肩、指の間、腕の背面から足、足と尾、つまり片方の指の先から反対の指の先まで体全体を囲むように皮膜を形成し、それを翼と成している。しかし、この存在には上肢と翼は別にあった。皮膜の形成もコウモリで言う腕の前面から肩にかけて覆う前膜、指の間にできる指間膜、腕の背面から足にかけて覆う体側膜に限定されており、翼を形成する付属肢?副肢?自体、背面上部から突き出ている上、皮膜自体も体全体を囲うわけではなく背面下部までで、体側膜は足に達していなかった。2mもの身体を持ち上げるには強度に疑問があるが、物理的に恐怖を体感させる存在の圧力と合間って、正に悪魔の翼を彷彿とさせた。


 尻尾は5本有るように見えるが、下肢よりも長く、短い体毛に覆われており、地面に引きずることなく、中空で緩慢にのたくる様は猫の尻尾のようだ。しかし、物語の中や、奇形の類でしか複数の尻尾を持つ生物は居ない。居ないが、作り物と断じるには、その動きは緩慢ながら滑らかで、翼もそうだが、ギミック感は全く無かった。


 造形だけを言えば、本物では有り得ない。こんな生物はいない。人が仮装しているに違いない。よく出来たギミックだ。いったい何のキャラ?等と言えなくはないが、発散する存在感と恐怖の波動がそれを全否定した。


 そこに居る誰もが、殺される。そう思い、金縛りにあったように動くことも出来ず、身を震わせていた。実際のところ、蹴られた少年は十中八九死んでいるだろう。


 次は誰が殺されるのか。蹴り殺されるのか、突き殺されるのか、それとも引き裂かれて殺されるのか、喰われるのか。逃げないと、逃げないと、逃げないと、頭では誰もがそう考えているが、誰も動けないまま、固唾を呑み、異形の存在から目が離せない。


 恵も例外ではない。友達と楽しく遊んで帰って来たのに、いきなり拐われ、集団レイプされそうになり、暴れたら何度も殴られ、もう駄目だと思ったところで、今度はモンスに殺されそうになっている。


 怖くて怖くて悲鳴も出ない。涙だけが、体中の水分が全部無くなるかと思える程に、尽きずに流れ出る。


 息を殺し、目だけで異形の存在を追う。私は死んじゃうのだろうか。食べられちゃうのだろうか。おネエちゃんに会いたい。お母さんに会いたい。ハルカちゃんともっと遊びたい。死にたくない。食べられたくない。痛くされたくない。パニックが襲って来そうになるのを何とか堪えている。と。


「大丈夫ですか?恵姉さん。」


 どこからか、この場の雰囲気にそぐわない心配気な言葉が発せられた。


「、、、え?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る