(30)逆鱗①

 昨夜から今朝にかけて、クズどもが続々と黒水組所有の黒水ビルに集まって来ているらしい。晃を拉致して亡き者とする依頼を受けた時点で、依頼した遠山幹と同罪なので、潰すことは良いし、ちまちまと動かなくて良くなるのはありがたく、集まるに任せている。


 晃は、元々、田所が推測したような組事務所への襲撃など考えてもいなかった。


 不愉快な人間だったので、遠山幹を潰すことは決めていたが、鬱陶しいだけの話で、必ずこの手でとかのこだわりなど無かった。遠山幹の始末は、背景を考えれば佳純がやるべきだし、そちらの方向で終わらせるつもりでいるのは変わらない。


 銀杏会については、衝突があれば、自分が排除しようと考えたが、それだけの話で、田所が推測したような襲撃するような意図など全く無かった。


 しかし、銀杏会の動きが、組をあげて待ち構える様相を呈し始めたので、それならまとめて潰してしまった方が後腐れも無く、今後の見せしめになって良いかもしれないなと、晃がその気になってしまった。


 こうして両者の意志は一致し、晃達と銀杏会が激突することが、既定化しそうな塩梅になった。


 ただ、状況がこうなる前から佐智は殲滅すると決めていたようだった。佐智にしてみれば敵対者は早期に殲滅するに限るとのことで、残す意味など皆無と言うことらしい。根絶やしにする気満々のようだ。


 禍根を残さない為に銀杏会構成員の全ての親兄弟を洗い出し、根切りする計画までたてていたのは、さすがに止めたが、後は困ることも無いので静観している。


 そんなことをつらつら考えているうちに、晃は自身の身体が目を覚ましたのを感知して、そちらに意識を寄せた。


 かつて、低血圧気味だった晃は、朝を苦手としていて、中々寝床から離れられなかったが、今は全くそんなことは無い。そもそも、肉体は睡眠を欲す構造なので眠っているが、総体としての晃には既に眠りが存在しなかった。必要であれば睡眠が不要なように身体を調整することも可能だったが、特に意味も無いので肉体の睡眠は取るようにしている。


 昨日、入浴が面倒だったので、そのまま寝ようとして、何の気無しに佐智にそう話をした。すると、ある魔法を教えてくれたので、睡眠前にそれを使ってみた。


 洗浄魔法と言う。かって清潔を維持するため、人間と似た生命体によって開発されたが、生身の人間に使うと弊害が多く、お蔵入りにされたものらしい。


 皮脂や角質、汗や埃など、根こそぎ除去してしまい、一見綺麗になっているのだが、皮脂による保湿効果が無くなり、乾皮症や皮脂欠乏性湿疹などの疾患を引き起こした。或いは、皮脂を分解して弱酸性に皮膚を保ち、病原菌などを排除する常在菌を殺して、皮膚をアルカリ性にしてしまい、黄色ブドウ球菌が増殖することで化膿性疾患を発症させたり、食中毒を起こしたりした。まあ、色々問題があってお蔵入りしたものらしい。


 生体に対する術式はブラックリスト方式を採用していたが、除去に対する微妙な匙加減を組み込む技術が無かったか、生体を健康に保つための知識が不足していたということだろう。


 衣類や物品に対しても使用出来るが、そちらは比較的良好な使い勝手だったようで、モノによってはホワイトリスト方式で事足り、かなり重宝していたようだ。


 佐智が改良することで、生体の汚れだけを落とし、肌に必要な皮脂などは落とし過ぎない洗浄が可能になったとか。使ってみると、思いの外さっぱりして、気持ちよく眠ることができた。


 ただ、佐智が使うような、格好の良い呪文は無しにしてもらった。すると、魔法陣と同じで、雰囲気だけだから大丈夫とのこと。


 自分の領域を使って、必要な所に魔素を纏わせ、明確な意志で励起し、佐智特製『cleaning』マクロをキックすればマクロが意志を抽出して最適な洗浄をする。


 ベットを降りて、再度、洗浄魔法をかけ、歯を磨き、顔を洗って(口腔も顔面も洗浄魔法の効果範囲らしいが、つい習慣でやってしまう)、部屋着や寝具にも洗浄魔法をかけて、部屋着はベットに放り出す。クローゼットから学校の制服を取り出し、手早く着替える。特に直す必要のある程の寝癖も無く、必要以上に時間の係る整髪をするわけでも無いので、身だしなみチェックも簡単なものだ。これで、学校に行く身支度は完了だ。


 昨日のうちに、今日の時間割で必要なものは詰め終わっているカバンを掴んで、自室を出て1階の食堂に降りた。クラスには、教科書などは常に机の中で、カバンは空っぽ、或いは部活動の着換えだけカバンに入っている。という人間も居たが、晃は、その日その日に必要なものを用意するタイプだった。


「晃ちゃん。おはよう。」


 食堂には既に佐智が居て、朝食を食べていたが、食堂に入って来た晃にニコニコしながら挨拶をする。何か非常に幸せそうに見える。


「おはよう。」


 そう答える晃に、厨房からも声がかかる。


「晃さん。おはようございます。朝食、食べられますよね。」


 どうやら佐智が食べている食事は、佳純が作ったものらしい。きちんとした、一汁三菜のバランスの取れていそうな和食だった。


 佳純は晃達と別れた後、思う存分自由な大空を堪能したようだった。そのうち流石に空腹になって、食事をどうしようかと思い至ったらしい。


 鳥人のまま自分で獲物を狩って、生で食べるとかは当然無理だったし、だからと言って鳥人のままでコンビニ弁当を買いに行くわけにもいかない。そもそも持ち合わせも無く、途方に暮れたようだ。当然、食事のこと以外も色々有る。


 結局、当初の予定通り、佐智の用意した新しい身体を使うことになった。これまで最悪の環境下に居て、解放されないなら殺して欲しいと思い続け、一分一秒を耐え続けて来たのだ。そんな佳純には出来る限り、不便無く過ごして欲しいと、晃は考えていた。


 あの地獄から逃れたとは言え、愛する男を殺された佳純にとって、生きる目的と言えるものは既に復讐しか無いかもしれない。殺された恋人に対する申し訳無さから、自らが幸福になるのは悪と感じるかもしれない。だとしても、復讐が成るまで部屋の隅で、或いは何処かの暗がりで、膝を抱えて虚空に暗い目を固着させている必要など全く無い。復讐が終われば、後は朽ちるべきと思い定める必要も同様に無い。


 それを、佳純の意に反して強制しているとしても、晃の配下になったのであれば、諦めて従ってもらうつもりだった。もちろん辛い記憶を消してしまうことも可能だが、佳純はそれを望まないだろう。


 そう言うことで、昨夜から佳純は、動坂下佳純と言う動坂下家の長女と言うことになった。基本的に強制であり、晃の自己満足的な措置でしか無いかもしれないが、主の決定に佐智は異を唱えず、佳純も承諾した。


「佳純姉さん。おはようございます。美味しそうなので朝食頂きます。でも、佳純姉さんがそんなことをしなくても、僕や佐智は自分でやりますから。」


 鳥人の時は兎も角、人間態の時は『佳純姉さん』と、捏造した戸籍の立場で呼ぶことに決まったので、そう呼びながら、別に食事の支度などする必要は無い旨を言っておく。


「いえ、私は管理栄養士だから料理を作るのは得意で、好きなんです。だから気にしないで。」


「晃ちゃん。佳純姉さんの料理、すご〜く美味しいわよ♡」


 何時もの冷静な佐智と違い、かなり興奮しているように見えるので、晃は面食らった。


「美味しいものを、食べることって、本当に幸せね。こんなことが、この世に有るとは知らなかった。いえ、知識としては当たり前に知っていたけれど、単なる栄養素の取り込みなんかじゃあ無いわね。信じられないくらい幸せ。」


 佐智は生体を得て、多分初めての食事だったと思うが、かなり衝撃を受けたようだった。大袈裟だと晃は感じたが、想定外にドーパミンが分泌されたのかもしれない。それとも内分泌系の調整をミスったのだろうか。何れにしても脳内報酬系(環境の中から生存に必要なものを見つけ、それに向かって体を動かすための神経系で、ニューロンにドーパミンを含む)が、過稼働していそうだった。


 まあ、幸せを連発しながら、一心不乱に佳純の作った料理を堪能している程度のことなので、特に問題は無いだろうと晃は結論した。


「あ、本当に美味しい。」


 晃も出された食事に手を付けてみたが、佐智が幸せと言うに値する美味しさだった。


 豆腐とワカメの味噌汁、魚の塩焼き、ゴボウと人参のキンピラゴボウ、きゅうりとワカメと乾燥ジャコの酢の物。基本通りの一汁三菜だが、どれも高級料亭の味と言われても否定できない。辛過ぎたり甘過ぎることもなく、どの料理も素材の味が生きている。


 ご飯は、もっちりとした粘り気と、強い旨みがあり、ほんのり甘い。塩焼きに至っては、これは寒鰆(かんざわら)だろうか、非常に脂が乗った新鮮な素材に完璧な塩加減の一品で、これだけでも食べる価値があると思われた。何とも朝から幸せな気分にさせてくれる朝食だった。


 自分の分を用意して、一緒に食事を始めた佳純は、佐智や晃に褒めそやされて、寂しそうに笑っていた。恐らく、死んだ恋人にも同じように言われていたことを思い出していたのだろう。


**********


 その日は学校の行き帰りに暴力団組員が現れることは無かった。帰宅して、今後どうやって遠山幹を詰めるか佳純と話そうとした時、悠長なことをやっていられない事態が発生した。


 晃達が帰宅し、玄関ロビーに入ると子供が出て来て、トコトコと晃の方にやって来た。


 その女児は、ヒトと異なる特徴があった。


 一見、8、9歳くらい、茶色い髪色のショートカットで、身長が120cm程の痩せ型の女の子に見える。迷彩柄のワンピースを着ている。


 目が異様に大きく、虹彩も大きい上に赤い。白い強膜の部分は、ほぼ見えない。牛眼と言う先天性の緑内障は、角膜や眼球自体が拡大するが、それと比しても大きいだろう。眼球を納める眼窩の上の部分、その延長線上のこめかみの辺には、角と言う程には硬質な感じは無いものの、ヒトには無い突起が存在している。目と目の間の目交(まなかい)は広く、かなり目が離れている印象を受ける。鼻梁は子供にしても低いし、鼻自体の造りも小さい。鼻の下のくぼみ、人中、上唇溝と言われるものは見当たらず、薄い唇の口は人間としてはバランスを欠くぼど幅が広い。自然な状態で口角が上がっていて、何時も笑っているように見える。容貌だけでは無く手足や、指も形状が異なっているようで、関節の数や可動域も違うのかも知れない。服に隠れているが、尻尾らしきものが見え隠れしている。


 この女児は『二足歩行って美しくないし〜、強くないと思うの〜。』と言っていたエダハヘラオヤモリのミカの二足歩行体だった。人間体が有る方が何かと便利だからと説得されはしたものの、そのまま人間体を作るのは嫌だったらしく、1からデザインして、この二足歩行体を作った。


 晃達も、まあ良いかなと、特に異を唱えなかったので、必要に応じて、ミカはこの身体を使っている。


「あるじ〜、白水会の田所が、馬鹿な指示を出したの~」


 ミカは晃の前に立つと、そう切り出した。


「え?」

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