(29)潰滅前夜

 でっぷりと太り、坊主頭で目つきの悪い男が、押し潰す勢いでソファーに体重を預けている。正に凶悪なヤクザの親分と言った雰囲気の男は、視線を対面に座る男に向けながら言う。


「いったい、どういうことなんじゃ。」


 聞き取り難くドスの効いたガラガラ声だった。一般人が聞けば震え上がるたろう。対面に座る痩せ気味で七三分け、銀縁眼鏡の男にとっては長年聞いてきた声だったので、特に怯えることも、内容を聞き間違えることも無かったが、回答に困ってしまい、躊躇い勝ちに口を開く。


「。。。判らん。」


 太った男は怪訝な顔になる。生まれてからずっと一緒だったとも言える自分の弟は、一を聞いて十を知るタイプで、判らないこと、曖昧なことが嫌いで、判らないなどとは滅多に言わない男だった。


「判らんとは、お前の言葉とも思えんな。」


 兄である指定暴力団銀杏会組長の丹原司に言われ、銀杏会系二次団体黒水組組長の丹原巧は、確かに自分が滅多に吐かない言葉だと同意した。


「そうだな。だが、何か悪質な状況が起こっているとしか言えん。さっき簡単に話した通り、今日一日で1人が死んで19人が廃人になった。文字通りだ。どの組員も一生一人では何も出来ん体になってやがる。何人かは、このまま死ぬかもしれん。何処のどいつがウチの組の者をこんな目にあわせやがったのか。何処かと抗争してたって、こんな酷い有様には中々ならん。」


「しかし、聞いた話だと、全員意識が無いわけじゃあねえんじゃろうが?何処のどいつか、当たりぐらいつけられるんじゃあねえのか。」


「兄貴。組員は俺の持ち物だ。壊すにしても、場所、日時、壊れ方、何から何まで全て俺が決めるべきなんだ。なのに勝手に壊しやがって、俺は腸が煮えくり返ったよ。だから真っ先に聞いた。何処のどいつがやりやがったってな。最初の4人は、女がトカゲ人間に変身して、尻尾でめちゃくちゃにやられたと言った。後の15人は、空から鳥人間が降りて来て、風で切り捲られ(まくられ)たと言う。ショックで気でもふれやがったかとも思ったが、錯乱気味の奴もそうでない奴も、同じことを言うんじゃあ出鱈目ってわけでも無いんだろう。だが、その話、兄貴なら意味が判るか?」


 トカゲ人間やら鳥人間やらの話は、司には初耳だった。目を剥いて、こんな時に冗談を言うなと怒鳴りかけるが、巧は至って真面目な表情で、冗談で言っているわけでは無さそうだった。


 ヤクザなんて商売は、現実的でなければやって行けない。弟はその上、経済ヤクザなんて言う部類の人種で、尚更現実的な質だった。その場に居合わせたわけでは無いだろうが、裏くらいは取った上での話なのだろう。


 そこまで考えると絶句し、2人の間に重苦しい沈黙が落ちた。自分たちヤクザに損害を与えたのだから、是が非でも責任を取らせる必要があるが、この悪質な出来事の責任を取らせる先が判らないのだ。そこに同席していた田所浩二が口を開いた。


「確かに意味不明ですが、何れも幹さんに関係しているんですよね。つまりはそう言うことなのではないですか?彼、子供のくせに遣りたい放題で、裏では何でも有り、理も非も無くて、ヤクザもビックリですから。トカゲとか鳥は兎も角、多分怨恨の線なんでしょうね。だからこそ残虐なやられ方をしているんだと思いますよ。長く苦しむように。何時かこんなことが有ると思ってました。規模は想像の外でしたけどね。正直、幹さんのような身内は、早々に切ってしまった方が良いと思いますよ。」


 にやにや笑いながらそんなことを言い出した田所に、丹原兄弟の視線が突き刺さる。丹原司が眉間にシワを寄せ、咎めるように言う。


「おい、そんなこと出来んのは判っとるじゃろおが。滅多なことを言うな。幹は樹兄貴の息子で、俺たちの甥っ子なんじゃ、お前、本当に歯に衣着せなさすぎじゃ。樹兄貴との関係を密にすることはあっても、関係を切るとか出来ん相談じゃ。」


「そうだな。兄貴の言う通りだ。しかもお前、判ってて言ってやがるから質が悪い。それに問題はそこじゃあないだろうが。問題は、責任を取らせる先が判らないってことだ。これだけのことをウチの会にした奴には、是が非でも責任を取らせなくちゃあなんないだろうが。ところで、念のために聞くが、田所は何で幹の依頼を断ったんだ?あん時は、お前にも都合が有るんだろうと深く考えなかったが、まさかこうなることを判っていたのか?」


 相手が判らないことに苛ついて、無いとは判っているものの、疑心暗鬼気味に田所にまで疑惑を感じているらしい。凄まじい目付きで田所を睨みつけている。一般人であれば失禁しかねないような目付きだ。しかし田所は何時もと変わらないどこ吹く風でにやにや笑っている。


「まさか。そんな訳無いでしょう。あの時断ったのは、話が怪しかったにも関わらず調査期間も頂けなかったからです。我々はそんなリスクは取れませんからね。それだけの話です。」


 田所の話は、彼に何度も依頼を出している丹原兄弟には肯ける話ではあった。田所はどんな簡単そうな依頼でも、事前の調査を行った上でなければ仕事を受けないことを知っていたからだ。


「まあ、調査が出来たら出来たで、安全サイドを採って受けなかったでしょうが。」


 続けて田所がぼそぼそ呟いた言葉に、丹原巧が反応する。


「どういう意味だ。」


「いや〜、話が流れた後も気になったので調査を行ったんですよ。そうしたら、漫画みたいな話になりそうだったので、受けなくて良かったと思って。」


「だから、それはどういう意味なんだ。思わせ振りな話し方をするんじゃあねえよ。きちんと詳しく話せ。」


 丹原巧が怒気を募らせて重ねて問う。


「そうですね、話すのは良いんですが、話を聞いて、そんな話は信用出来ないとかゴネないで下さいよ。私は私の調査チームに信を置いてるので、その調査結果も、そこからの分析結果も信用していますから。」


「御託は良いから、早く話せ。」


 苛ついて促す丹原兄弟に、やれやれ判りましたよと言った素振りで肩を竦めると田所は話し始める。


「幹さんから聞いた少年との諍いは、ちょっと現実離れした内容を含んでいたので、調査期間が頂けないなら受けられないとお断りしました。涼しい顔で90kgもある生徒を片手で釣り上げ、暫くブラブラさせた上で放り投げたとか、常識的にあり得ないでしょう。しかも、少年は160cm程度の身長で中肉中背、身体も出来ていない16歳と言うじゃないですか。幹さんは薬物で強化とか簡単に考えていましたが、そんな薬はありませんから。」


 そんな薬は無いと言いながら、軽く首を横に振り、シニカルに口角を歪める。何時ものにやにや笑いとは違う、田所の内面を垣間見せるような冷笑だった。


「で、ここからは依頼を断った後に調査した内容です。昨日の今日なので大したことは調べられなかったのですが、その少年のスポーツテストの結果を手に入れ、確認したところ、中学の時から全体的に平均をやや下回った数値だったことが判りました。聞き取った肉体的な特徴からも判ることですが、幹さんが話したようなことは、とても出来そうも無いと言えます。更に例のマンション倒壊の被害者で、倒壊前後で人が変わったとの話がありましたので、警備会社に残っていた、少年が暮らしていたマンションの入退映像を入手しました。ネットがマンション倒壊でズタズタになって画像が切れる時まで残ってましたよ。少年は倒壊事故の時に外出して難を逃れたことになっていますが、何度調べても当日学校から帰宅してマンションに入る映像しか残っていませんでした。これは、事故当時、少年がマンションに居たと考えられる傍証と言えます。」


 丹原兄弟は驚いた顔をしたが、どういうことか判らん、それがどうかしたのかと言う表情だ。


「更に、幹さんに最後通牒として少年が提示した動画ですが、非常に鮮明なもので、しかも最適な映像を得るために、アングルや視点が動いていることが判ります。隠し撮りをどうやったらこんな風に撮れるのか、私のような稼業の人間にも判らないレベルのものでした。また、この件に関連して、私の方で動画の流出を防ぐ為の手立てをすると言っていましたが難航しています。有線ネットワークは無いようでしたので、携帯キャリアの工作だけだったのですが、キャリアのサーバにハッキングすることは出来ても、件の少年のデータに手を付けようとすると、読み取りすら出来ず、途端にこちらの機器がクラッシュさせられて、手が付けられない状態になります。我々も色々な手段で攻略を試みましたが、何れも返り討ちにあいました。これはキャリアのセキュリティシステムに出来る挙動では無く、有能なセキュリティ管理者が付きっきりでモニタして始めて可能なレベルのことです。しかし、キャリア内部でそう言う動きは全く有りませんでした。驚くべきことですが、外部から侵入し、その対応を行っているとしか考えられず、少なくとも件の少年には素振りもありませんでしたから、何らかの組織的な背景が推測されます。昼夜問わず対応しており、単独では無く、組織と言わずとも、中々有能な複数人以上のチームがあることは確実です。」


 丹原司が顔をしかめて「つまり、いったいどういうことなんじゃ?」と、わざとらしく溜める田所に先を促す。


「つまり、本当の動坂下晃はマンション倒壊事故で既に死んでおり、今の動坂下晃は本人で無い、人間離れした能力を持った別人の可能性が高いと考えられます。整形なのか変装なのかは判りませんが。これは多分、幹さんを釣るための撒き餌の一部でしょう。」


 あ然とする丹原兄弟。いったいどう言うこと?と言った表情だ、田所は更に話を続ける。


「今回の組員の死傷。最初は、悪事の証拠流出を恐れた幹さんが、拉致監禁していた女性を処分しようとして4人が廃人にされ、次は、同じく悪事の証拠流出を恐れた幹さんが、証人の口を塞ぐ目的で件の少年を亡き者にしようとして、1人が死に15人が廃人にされました。20人が幹さんの関連で死傷したわけです。組員達の話を聞くと、トカゲ人間や鳥人間が出てきたと言っています。夢でも見たのかと誰もが思ったでしょうが、現実として、その打撃力は本物で侮れないものです。短い時間しか無かったので、推測に推測を重ねざる得ませんが、私達の分析結果は、幹さんに恨みを持つ何者かが、何らかのチーム、あるいは組織に、幹さんとその周辺への復讐を依頼した。その一端が件の少年で、一連の出来事の理由だと考えています。トカゲや鳥は、ここも推測になってしまいますが、類似した機能を有した強化装備をその来歴を隠蔽する目的で、脳神経系に作用して幻覚をもたらす薬剤の散布と併用して使ったと推測しています。あー、それから、件の少年も何らかの補助装備を装着しているか、強化装置を体内留置している可能性があります。所謂、サイボーグですね。まとめると、何らかのチーム乃至組織には、そこそこ強力な打撃力があること。そのチーム乃至組織は、我々とは既に敵対関係であること。今後の展開として、銀杏会にあちらからの襲撃があると予想されること。となります。尚、襲撃は、銀杏会は既に幹さん側と認識されており、打撃力のある相手としては、攻撃を待って反撃するだけでは無く、攻撃を仕掛けることもあり得るという単純な予想です。どうですか?漫画みたいな話になって来たでしょ?」


 バギッ!丹原司がソファーセットの机を力任せに殴り付けた。机は呆気なく割れてしまい、机に置いてあった天然石製の灰皿、ライター、その台座が衝撃で辺りに散乱し、落ちた拍子に台座は割れ、灰皿にもヒビが入ってしまった。


「ふ、ふざげ、る、な!!!!!」


 丹原司の大音声が部屋に響き渡る。顔を真っ赤にして、こめかみでぶっとい血管がピクピクしている。


「じゃあ何か?ガキのイタズラを恨んだ阿呆に唆されて、身の程知らずの馬鹿共が、ウチの組員を攻撃して、使い物にならなくしやがったってことなのか?ざけやがって!!!」


 田所の話がようやく理解出来ると、丹原司は激怒した。


 甥っ子が犯している凶悪で悪質な犯罪を、ガキのイタズラのような軽い言葉で片付け、それを恨みに思った者を阿呆と罵る。更に20人の構成員が何をしようとして死傷したかも判っていて、使い物にならなくされたことに、ひたすら腹を立てているようだ。いずれを見ても筋金入りのクズとしか言えない。


「何処の馬の骨とも判らない木っ端野郎が、銀杏会にカチコミかけるだと!舐めやがって!来るなら来いや!!!銀杏会を敵に回したことを必ず後悔させてやる。殺して下さいと懇願するまで甚振ってやる!!」


 激昂してまくしたてる丹原司を見ながら、丹原巧が田所に問う。


「田所、ここにカチコミが入るとなると、お前のところの白水会も無関係とはいかん。当然対応に参加するんだよな。」


「まあ、拠点に押しかけられたら、流石に情報が無いから対応出来無いとか言ってられないですね。司さんや巧さん同様、ウチも評判は大事ですから。そう言うことなので、うちの会が使わせてもらっている訓練施設のある地階を提供しますよ。かなり補強していますから、大抵の無茶が利きますし、色々仕掛けも有るので敵を迎えるには最適でしょう。時間が無さすぎて相手の素性も規模も装備も判らないことは不安要素でしか無いですが、支部とはいえ、我が社として何が有っても対応出来る最低限の体制は用意しているので、まず問題無いでしょう。無理なら端からどうしょうもないです。で、一応面子があるでしょうから巧さんと司さんでメインの対応をして頂く感じで、我々はフォローと言うことで良いでしょうか。」


 田所は丹原巧の質問に答えながら、最後は、丹原司に向かって体制の確認を行った。


「当たり前じゃ!嬲り殺しにしてやる!!うちからも100人は出す。今夜中にこっちに移動させるから、その100人と巧の舎弟でかち込んで来た奴等は半殺しじゃ。配置や装備は田所が仕切れ。巧、幹も今夜のうちにここに来させとけ。自分の撒いた種なんだから、餌の役くらいはさせろ!」


 さすがに今夜の襲撃は無いだろうが、いつ来られても大丈夫な様に、準備が始まった。


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