(28)パブ高天原

 海岸線を県境に持つこの地域でも、流石に港は中心地から外れている。港があるのは市の中心街から、郊外電車で30分ほどの場所だ。


 そのパブは、港がある駅から2つ前の駅と3つ前の駅の丁度中間辺り、住宅街の線路沿いにある「高天原(たかまがはら)」という大層な名前の店だった。


 2つある近隣の駅から等しく離れており、店に客を呼ぶ気があるとは思えない立地で、非常にうらぶれている雰囲気はあった。


 しかし、何年経っても潰れる様子が無いのは、それなりに常連が付いているからなのだろうか。


 元々英国パブのホワイトスワンを志向したのか、件のパブの建屋を小さくしたような家屋が異彩を放っている。それならいっそ、店名を白鳥にでもすれば良かったのに、と思わないではない。


 時間的に会社帰りだろうか。今もスーツ姿の女性が1人、店の扉を潜って行く。


 店に入った女性は、店内を見回すことも無く、店主らしき女性が立つカウンタに真っ直ぐ足を運び、その女性の前にあるスツールに腰かけた。


 店内までホワイトスワンを模している訳ではないらしく、普通に落ち着いた感じの内装で、バーカウンターと、いくつかのテーブル席がある、こじんまりとした体裁だった。


 カウンターに居る、緩いウェーブのかかったセミロングで黒髪の女性が店主らしい。20歳そこそこにしか見えないが、薄い眉と、切れ長と言うより深い亀裂の様に切れ上がった、印象的な目を持つ女性だ。鼻梁は少し低めだが、小さく整い、唇は薄く広い。全体的なバランスは独特ではあるが、他に無い美しさがあった。


 アメリカンスリーブの簡素な白いドレスを着ており、小さな顔と首筋から肩の華奢なラインが美しく、ドレスが良く似合っていた。


 背丈は低めだが、ドレス越しでも判る鞭のような靭やか(しなやか)な肢体は、筋金が入ったように真っ直ぐで、地に生えたような立ち姿は、水商売の女性とは思えない力強さがあった。


 カウンタのスツールに座った客の女性も、同年代に見えた。店主らしき女性によく似た面差しで、少しマイルドにした様な容姿をしている。或いは血縁なのかも知れない。


 今は他の客も居ないようで、女性客がカウンター内の女性に話の続きをするように話しかけた。


「鈿女(ウズメ)様。今日、ギリシャから私の携帯に電話がありまして、凄い剣幕で詰問と言うか叱責?されたんですが。勿論、朝方ご連絡した気象庁からの報告の件です。取り敢えず調査するとは伝えましたが、どうしましょうかね?」


 カウンター内の女性は、スツールに座った女性にとって、かなり目上の女性のようだった。しかし、最上級の敬称で話しかけられたものの、鈿女と呼ばれた女性は、何か気に入らないことがあったようだ。質問には答えず、不機嫌そうに薄い眉を顰めた。


「ん?稗田の阿礼か。久しぶりだね。それにしても舎人のクセに、用件の前に挨拶くらいはしないか。失礼にも程がある!」


「鈿女様、耄碌が過ぎます。挨拶はしました。それに私は、阿礼ではありません稗田阿基です。舎人でもありません。稗田阿礼なんて千年以上前のご先祖様と混同されては困ります。それに久しぶりも何も週に何度も来ているじゃないですか。」


「だから稗田の阿基と言ったではないか。全く挨拶も出来ない上に無礼とは、我が末裔ながら本当に困ったものだ。私で無ければ頭から喰らわれてもおかしくないぞ。我が一族は結構悪食だしな。まあ良い、寛大な吾に感謝することだ。で?」


 我が始祖ながら何と身勝手で我儘な。挨拶はしたと言っているのに。と心中悪態を付きながら、大きく溜息をついた阿基は…ギリシャからの国際電話の件に意識を戻した。


「はい。今日、ギリシャのフィリッポスさんから電話があって、未登録の神気がお前の国で噴出していたが何事かと。凄い剣幕でした。」


「何だってギリシャが?それにフィリッポス?って誰だ?」


「フィリッポスさんはヨーロッパの今季持ち回り担当です。家系的にはマケドニア王家の流れを汲むヘラクレスさん家の当代ですね。何世なのかは知りません。」


「ふむ。何世どころか、名前も知らんな。で?」


「知らんって(汗)、ま、まあ良いです。気象庁から、無人自動観測所(アメダス観測網を構成する観測所)に併設したセンサに、強烈な反応があったと連絡が来たのが今朝のことですが、フィリッポスさんの話も同じ件でした。何でも衛星のセンサで神気の噴出が観測され、パターンがデータベースに登録されてないものだったとか。なので、フィリッポスさんからの電話を切った後に、再度、気象庁の神気観測センターに調査進捗を問い合わせました。」


「ぬ。ESA(欧州宇宙機関) のインテグラルで出歯亀してたのかのう?そろそろ燃料が尽きて、スペースデブリのガイドラインに沿って、大気圏に落下させたと思ったが?」


「再突入は2029年で、まだ数年あるはずです。それより前に燃料が尽きるでしょうが。それにガンマ線観測人工衛星でピーピングトムしてるかどうかは判りかねます。」


「まあ、そうか。しかし、時差が8時間くらいだから、件の件が起こった時にギリシャは深夜。叩き起こされてバタバタしたんだろうな。気の毒に。それで、気象庁は何と言っておる?」


「機器の故障の線で調査中だったそうです。フィリッポスさんからの話で、故障の可能性は低くなりましたので、詳細を調査するようにアドバイスはしました。一応、外務省にヨーロッパが監視してることは伝えました。どうやって監視しているのかは兎も角、気象庁で観測していた案件をリアルタイムでヨーロッパでも把握していたと言うことは知らせた方が良いと思いましたので。そう言う意味では他からも私の預かり知らない経路で問い合わせがあったかも知れません。あ、それから、気象庁が故障と判断した理由ですが、城東にある公立高校の敷地内で数分間だけ観測され、それ以降は全く観測されていないこと。地脈が通っている土地でも無かったこと。何らかの理由でパワースポット化した痕跡があった訳でも無かったこと。そう言った理由からだそうです。」


 阿基の話を聞いて鈿女は眉間にシワを寄せて考え込んでいる。視線は虚空を見詰めており、神域の主神と相談でもしているのだろうか。


「阿基よ。お前が知っているかどうかは判らないが、気象庁が展開している神気センサや、ヨーロッパの衛星に仕込まれているであろうセンサは、厳密には神気を感知していない。神気が周囲に及ぼす状態を感知しているに過ぎない。従って神気も感知はするが、神気以外によって発生する同様な状態も感知するということだ。この話を最初に聞いた時に吾も気象庁と同じように故障だと考えた。それは感知時間とか場所とかでは無く、神気自体を感じ得る吾がそれを感知出来なかったからだ。」


「それはつまり、感知されたのは神気とは似て非なる何かであると言うことでしょうか?」


「いや、そうとも言えん。吾が感じ得ない神気も無いとは言えんからな。件の高校に程近いタワーマンションで大規模な倒壊事故が有ったのは知っておろう。」


 一瞬、唐突に話が変わったように感じた阿基だったが、「まさか。。。」と呟く。


「うむ。吾の意がそちらに流れるのでな。十中八九そこが基点なのだろう。」


「。。。いったい何があったのでしょう。」


「おそらく、、、あるとすればマレビトだろうな。但し、常世とかではなく、我らが全くあずかり知らぬ何処からかの。故に吾が感じ得ない神気を持つ。」


「マレビト。。。」


 阿基も言葉としては知っていた。他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義した、ある学者の学問体系上の用語だ。現存する民間伝承や、記紀の記述からの推定ではあるが、鈿女の口振ではあながち間違いではないのだろう。


「どんな存在が。。。」


「さあな。吾は多くのものを感じて知ることが出来る。それが根の国のものであっても、この世の理の中にあれば知り得るし感じ得る。しかし、この世の理の外から来たものを知ること、感じることはできん。ただ、、、」


 鈿女の眉間のシワが深くなる。


「ただ、あの事故で多くの命が失われた。その命は結果として失われただけなのか、あるいは、、、贄として供されたのか。前者が良いわけではないが、後者であればかなり不味いことになるかもしれんな。」


 事故で犠牲になった住民は1000人以上に上っている。それを全て贄として誰が何を願ったのか。そうと決まったわけでは無いが、阿基は言葉を失い青ざめた。


「神々が世界に不干渉になって久しいが、流石にこの件を放置するわけにもいかんかもな。さてどうしたものか。なにはともあれ阿基よ、事故のこと、高校での神気のこと、委細漏らさず調査するように手配しなさい。猿女共を全て動員だな。」


 調査を行うことについては厭うものでは無かったが、猿女と聞いて阿基は思わず眉を顰めた。実を言えは阿基は猿女君たちが苦手だった。阿基のように理で思考する人間には彼女達のように感覚で全てを決めることに違和感しか無かったからだ。


 そんな阿基を見透かすように。


「阿基は何時になっても心得違いが直らんな。お前とて猿女ではないか。巫術を能くするのが猿女ではない。我らに能く仕えるのが猿女なのだ。かつて阿礼もお前と同じように他の猿女に苦手意識があったようでな、聡明で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはないと言われて、大海人に重用され、舎人になったが、あ奴にとっては、一般の臣に紛れて勤めるほうが気楽だったのだろうな。」


 全く、困ったものだ。そう言う素振りの鈿女に見つめられて、阿基はバツが悪そうに目を逸らした。


「も、申し訳ありません。調査の手配は早速行います。」


「うむ。この件に関して我らとて盲いた状態だが、間接的に支援することは可能だろう。報告をこまめにな。最悪なのか大した話でも無いのか、それすらはっきりとはせん。なので、徒や疎かにはできんが、あまり深刻にもなるな。」


「はい。」


 そんな会話の後、阿基は店を後にし、携帯で関係各所に連絡を入れつつ、鈿女との会話を思い出して言いしれぬ不安を覚えながら家路を急いだ。


 一方の鈿女も神として発生してこの方、岩戸隠れの時以上に心が乱れるのは初めてのことだった。


 このまま不干渉でいるべきなのか、介入すべきなのか。そもそも介入可能なのか。思いは千地に乱れた。


 しばし黙考の後、思兼に相談すべきだな。そう結論し、早々に店をクローズして奥に入っていった。

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