(25)襲撃③

 翼人は俯いていた顔を上げ、その麗しい顔を晃と佐智に向けた。確かにその顔はもう一人の佐智が監禁場所から助け出した柴田佳純だった。


 シャープな野性味が加わって、美しさを増しており、顔の印象が変わっていた。また、その瞳の虹彩は紅く瞳孔は黒く縦に裂けて、異形であることを如実に示している。


 目の辺りの朱は塗布ているわけではなく、そこだけ皮膚の色が朱色であるらしかった。


 『何でも出来そうです。』と言った時の佳純の瞳には暗く激しい意志が垣間見え、唇には凄惨な微笑みが浮かんだ。


「。。。うん。そうだね。僕もそう思う。きっと何でも出来るよ。」


 大した経験も無く苦労知らずとまでは言えないものの、同年代の中では比較的苦労している程度だった晃だが、今では、かなりの共感を持って佳純の感想に同意することが出来る程度に精神が磨り減っていた。


 晃は、マルチにタスクを処理することを覚えた時、リサーチが解析した機能や、翻訳した記憶を読み込んで自身に実装、記憶するタスクを用意した。機能や記憶の管理についてリサーチは支援はするが、所有権は"災厄"、つまり晃にあったからだ。


 タスクを用意してから、昼夜を問わず逐次流し込まれて来るようになっており、それらの機能や記憶、なかんずく記憶については晃を常時変質させ続けていた。


 その方向が精神の角を削り取り、こそげ落とす研磨の方向に偏りがちなのは致し方ない。"災厄"自身の記憶は意志と感情が伴わない分、曖昧で、夢想のようなものだったが、それと共に流し込まれる、吸収されたあらゆる生命の生々しい記憶は、生命の一生の経験を幾億幾千の勢いで追体験することと同義であった。話を聞くのでは無く、記憶を流し込まれるとはそう云うことだった。


 さらに、その生命はほぼ一様に"災厄"によって凄惨な最期を迎えている。それを延々と流し込まれれば精神も摩耗する。


 なので、佳純の言葉に対しても、実感のこもった共感を持ち得るだけの経験が、既に晃の中には有った。


「ふふふ、私もそう思う。何でもやりたいことをやれば良いと思う。私達もサポートするから、何でもすれば良いわ。」


 逆に佐智の言葉にはまったく陰が無く、只々事実だけが表明されていた。


「なにせ、私が腕によりをかけてスペックアップしてるから!佳純が元の顔に愛着があるみたいだから翼人本来の少し鳥類寄りの顔は止めて、佳純自身の顔にしたのもポイント高いでしょ?晃ちゃんみたいな性癖の人間だと、絶対萌える〜とか言うよ。」


 最後の性癖云々は不本意だったのか、晃は少し嫌そうな顔をしていた。


「ま、まあ。僕の性癖に関するデマは兎も角、新しい身体になったばかりなのに外に出て活動して大丈夫なの?所謂リハビリ的な何かが必要とか?」


「う~ん?もちろん今までと違うから、違和感はあります。でも事前にレクチャー頂いたので思い通りに動かないとか無いし、仮想のチュートリアルもさせて頂いて、加減なども必要に応じてリサーチ様がフォローを入れてくれるので、不便は無いからリハビリ的な何かは必要無いです。」


 そう言いながら手や足、手足の指先、翼や尾羽など色々と動かして、どうですか?という顔をしてチラッと佐智に視線を向ける佳純。補足は?と言うことだろうか。


「佳純も言うように大丈夫だと思うわ。意識を含め佳純の全ては、痛みを遮断してマスターが消化吸収したし、作った肉体に対する意識のリストアも初めてではない上、佳純の全ては完成した時の状態でアーカイブして定期的にレプリケートするから何かあっても対応出来る。佳純が身体に戸惑うことが無いようにレクチャーは、高速伝送してアタッチしたから戸惑いも最小のはず。念の為にチュートリアルもしたしね。後、元の身体についても情報は全部有るから強化調整して、真っさらで再生して使えるようにしているわよ。翼人で居ても良いけど、元の身体が良い時もあると思うから。そんな感じかな。」


 本当に、つい今朝方まで、筆舌に尽くし難い酷い目にあってきた女性だった。強くなっても、真っさらになっても、癒えきらない部分も有るだろう。だが、そこは佐智の強化と、フォローが、効果的に彼女を助けているようだった。


「そか。じゃあここは任せるよ。せっかく駆けつけてくれたんだからね。」


 かなり楽しみにしていたのだろう。満面の笑みで佳純は答えた。


「はい。マスター。」


 すっと立ち上がった佳純は、うしろで相変わらず唖然としている玉置達を振り向き、やや頤をあげると嫣然と微笑みながら見下し言い放った。


「クズ共、報いをうけなさい。」


 そう言われてもほとんどの男達は何を言われているのか判っていない風であったが、勘の良い玉置は全身を走る怖気に最大級の命の危機を悟った。


 だが、危険を感じて逃げるとしても相手は翼を持つ化物で、既に足になる車は大きく破壊されているのだ、不確実な戦いなど全く本意ではなかったが殺らなければ殺られるなら選択の余地は無かった。


「ク、クソがー!」


 玉置は慌てて懐からサイレンサー社のMaxim9を取り出し、安全装置を外すのももどかしく連射した。カスッ、カスッ、カスッ。拳銃の射撃音とも思えない気の抜ける音がする。


 サイレンサー社のMaxim9は9mm口径のスミス & ウェッソンM&Pをベースに、サプレッサーと、機関部、銃身をひとまとめにしたサプレッサー内蔵の一体型銃だ。専用亜音速弾を使用して発射音をほとんど無音にすることができる。トリガー前方が大きく膨らんだ玩具のレーザー銃のような形状をしている。


 殺しがバレるのを極端に恐れた玉置が、密輸で手に入れたものだった。そんな玉置にとっては、街中で、遮るものの殆ど無い空き地での銃乱射等と気違い沙汰だったが、この状況では他に方法が無かった。


「クソッ!クソッ!クソッ!」


 ・・・カスッ、カスッ、カスッ。程なく弾倉が空になるが、佳純にダメージが入ったようには見えない。何も感じないような顔で立っている。


「クソ!!!どうなってるんだ!!」


 玉置が悪態をついていると、その足元に佳純に叩き込んだはずの弾丸が幾つも転がってくる。空間で堰き止められていた弾丸が、開放されてバラバラと落ち、玉置の方に転がって来たのだ。絶句する玉置。


「くっ!!お前らボーッとしてないで撃て!!」


 玉置は知らなかったが、佳純の監禁されていたマンションで佐智が銃撃された時も、発射された弾丸が透明の壁に突き刺さった様に宙に浮き、佐智には届かなかった。


 これは晃がテンポラリ領域を展開して、ネットワーク機器でパケットフィルタを設定し、パケットを制御するようなことを、空間でも行っている結果だった。


 つまり、パケットフィルタならぬ事象フィルタのようなもので、問題無い事象はpermit(通過)させ、問題のある事象はdeny(破棄)する。佐智や佳純を害するモノ、つまりは弾丸が近付けるはずは無かった。


 もっとも、佐智にしても佳純にしても肉体の強度が人のそれとは大きく違う。拳銃などで撃たれても痛くも痒くも無かったのだが。


 玉置に言われて慌てて手下達も銃撃を始めたが、それが判っていた佳純は乱射されても焦ることもない。


 佳純は、弾が尽き、何の効果もないことに呆然とする玉置達を尻目に掛け、何事もないように白と紅の美しい翼を広げた。


 軽く地面を叩き、地面近くで緩く羽ばたいたかと思うと、少し強めにバサッと翼を地面に叩きつけた。だが、強い羽ばたきで身体が更に上昇することは無く、代わりに左右の翼の前に魔法陣が薄っすらと浮かび上がり、そこから無数の風の刃が撒き散らされる。内側にも事象フィルタは存在するが、敵への攻撃なので、問題無い事象としてpermit(通過)させる。


 巻き散らかされた風の刃は玉置達に襲いかかり盛大に切り刻んだ。風の刃は暫くの間魔法陣から生み出され続け、玉置達を刻み続ける。


「ぎゃー!!」

    「グァー!!」

「!!!!!」

    「うがーー!!」


 標的達ががどんな体勢であっても、拳銃を乱射していても、這いずって逃げ廻っても、それぞれの四肢だけに風の刃が降り注いだ。風の刃自体にそれぞれ意思が有るかのようだった。


 玉置達は、乱射していた拳銃も投げ出して、わけも分からず叩き付けられる痛みの塊に都度都度悲鳴を上げることしか出来なかった。


 風の刃が治まると悲惨極まりない光景が広がっていた。破片で息絶えた一人を除き、晃達を襲撃しに来た全ての組員が、四肢を血塗れにして弱々しく呻いている。


「うぅぅ、痛い、、、」

       「だ、だず、げで、、、、、」

「ぐぎぎ、、、、、」

       「痛でぃ、痛デぇよ〜」


 打つ刃、切る刃、抉る刃、色々な種類の風の刃を織り交ぜて切り刻まれたのだろう。肉は潰れ、爆ぜ、裂かれ、全部が繋がっているのは稀で、何処かしら分断されている。骨は砕かれ、断ち切られ、支柱の意味を為していない。何れにしても四肢は完膚無きまで壊されていた。


 そんな彼らを冷ややかに見つめた佳純は、羽ばたきを止めて地面にすとんと降り立った。


「死なないように加減したから、何とか生きてるわね。太い血管を避けるのは難しかったけど、念入りに潰してあげたから、その手足はもう使えないと思うわよ。これからどうやって生きて行くの?」


 佳純は笑っていたが、男達は痛みでそれどころではなく、佳純の話も聞いていない。もちろんそれは佳純にも判っていたが、クズ共を気持ち良く壊せたので気にならなかった。殺してなどやるものかと言う気持ちなのだろう。


「クズの末路に相応しいわ。」


 呻く男達のこれからを想像して、佳純は嬉しそうに笑った。


「あ、もうお開きの時間みたい。」


 遠くから、間の抜けたパトカーのサイレンが近づいて来るのに気付いて、佐智がそう言った。


「そうみたいですね。マスター、佐智様、私は少し飛んでから帰りますね。」


「ああ、気を付けてね。来てくれてありがとう。助かったよ。」


 自分が来なくとも、何とでもなったことは佳純にも判っていたが、『来てくれてありがとう』と言われて嬉しかったので、佳純は含羞むように笑った。


 そして、「じゃあ、行きます。」と言うと、手を振りながらバサッバサッと翼を打ち鳴らして空高く上がって行った。豆粒ほどの大きさに見える高度で何度か弧を描いた後、何処かに飛び去る。

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