(18)動坂下佐智②
その日の職員朝会では大きな申し送りも無かった。進行役の教頭が「ではこの辺りで終了しますが、何かありますか?」と言った直後、ガラガラっと職員室前の扉が開いて生徒が無言で入って来た。
生徒は男女二人で男子生徒については何人かの教師は見覚えがあった。しかし、女子生徒の顔は誰も知らなかった。
普段生徒に対する当りがキツイ生活指導の教師達も二人があまりに泰然としていて、会議中にも関わらず、不躾に入室した戸惑いも遠慮も無く、何か意図があって入室したような気負った様子も無いためどう判断するのか分からず黙っている。
「ど、動坂下。。。な、何か用事か?」
もちろん二人の生徒は晃と佐智だった。晃が自分のクラスの生徒であり、極めつけの要注意人物であると認識している河野が、正に恐る恐ると言った体で声をかけた。
晃はその声に反応せず、代わりに女生徒が一歩前に出て、きれいなお辞儀をしながら言った。
「動坂下晃の姉の動坂下佐智です。弟が何時もお世話になっております。今日から私も1年3組でお世話になります。宜しくお願いします。」
満面の笑みで自己紹介をする少女を、河野を始め全ての教職員がポカンとして見ている。見たことも無い美しい少女であることも理由の1つだが、何より今しがた終わりそうだった職員朝会でも何の申し送りも無かったので『え?転校生?一切聞いてないんだが』となるのは当然だった。最初に我に返ったのは1年1組担任兼学年主任の藤田だった。
「教頭、これはいったい?少なくとも私は転校生の話は聞いておりませんが。」
そう問われ、思い当たることが無い教頭の三嶋は戸惑った顔で校長の脇本に視線を送る。しかし、脇本も知らないようで、三嶋の問いかける視線に首を横に振った。
こんなことは初めてのことで、どう対処したものか、誰もが困惑していると、晃が口を開いた。
「佐智。先生達が困っているのをニヤニヤ見てるだけなら僕は教室に行くけど?」
「えー、ちょっと待って。久々の対人対話なの。私にとって凄く感慨深いのよ。徒や疎かに出来ない場面だわ。それに今回の件については、互いの行き違いを埋める遣り取りが必要なの!」
「何を言ってるんだ。実時間は兎も角、喰われて直ぐにアーカイブされてたんだから、対人対話の無かった体感時間はごくごく短いだろ?それに行き違いって何だよ。一方的に佐智が無理を押し付けるだけだよね。そう言うのは行き違いとは言わないと思うよ。」
「チェ、晃ちゃんたら、つまらないこと言うのね。それを言っちゃあオシマイよ!!これから先生方を煙に巻いて、その上で、ってつもりだったのに。」
「先に行く。」
「あー、待って待って。execution(実行)!!」
佐智の一声で職員室は白い光に包まれた。それと同時に職員室の空中一杯に巨大で複雑な魔法陣が描き出される。単なる飾りらしいが。
教師たちは席に着いたまま固まっている。最初は驚愕を貼り付けていた顔の表情も、程なく弛緩し、虚ろな表情に変わっている。既に意識は無くなっていると思われる。
教師達の頭部は何時の間にか光の粒子に覆われており、粒子は点滅しているように見える。あれが励起状態の神々の残滓、つまり魔素なのだろう。
あの光の粒子が海馬のエングラム(記憶の実体)を書き換えてるのかと思うと不思議な感じがする。まあ、神の御業と言うことなんだろうか。
数分後、魔法陣は消え、教師たちの頭部に集まっていた光の粒子も職員室を覆っていた白い光も霧散した。しかし教師達は相変わらず虚ろな表情のままだ。
「どうした佐智、先生達が呆けたまんまだが、もしかして失敗したのか?」
「どうかな?呆けたまんまなのは確認の為に最後はポーズ(一時停止)になるようにマクロを組んでたからだから問題ないの。ちょっと今確認する。」
そう言うと、教師を一人づつチェックし始めた。どうやってるのかは知らないが、記憶の改竄が正常に行われているか確認しているのだろう。
一通り回り終えると、佐智は驚いた顔で言った。
「ビックリした。全員成功してるみたい。5割位は失敗してもおかしくないと思ってたんだけど。魔法の有用性を上方修正しないといけないわ。確かに間違い無いほど明確にすることが大事ではあるけれど最終的には願いによる補正がかなり大きいかも。」
晃は佐智の言い草に呆れると共に、佐智の行動が自分の意識の反映と考えると、思った以上に自身が人間嫌いだったのかもと認識を改める必要を感じた。
と言うよりも、幾ら佐智が人間を軽視しているとしても、例え保険があるにしても、5割の成功率を予想しての人体実験は鬼畜すぎる気がしたのだ。
そういったことを容認できる自分の心理的背景と、自分が制御機構に専任された得体の知れない"災厄"と言う存在の元々の性質を併せると、容易にジェノサイドが引き起こされそうで恐ろしくなった。
そんな考えは当然佐智にも届いたようで、慌てたように佐智が説明する。本当に慌てたようで口調がリサーチの口調に戻っている。
「あぁ、マスター。そう言うことでは無いんです。私が5割の成功率を予想した状況でも改変作業を行ったのは、堅牢な退避環境があってのことです。マスターの心情や、私の軽視傾向などは余り関係がありません。この退避環境が有れば、何か問題が発生しても、切り戻し(古いシステムから、新しいシステムへの移行などで、移行作業が正常に行えず、新しいシステム稼働が出来ない時、移行を中止して、元の状態に戻すこと)は100%可能というのが最大の理由です。説明不足で誤解させて申し訳ありません。」
申し訳無さそうに話す佐智には、嘘や誤魔化しは無いようだった。安心出来た晃は先に教室に行くことにする。
「そうか、判った。ヤバいと思っちゃってたから、少し安心出来たよ。じゃあ、特に問題ないなら僕は先に教室に行くから。」
「うん待っててね。晃ちゃん。」
リサーチの口調から、余所行きの口調に戻した佐智に頷いて、晃は職員室を出て教室に向かった。
職員室を出て少し歩くと『disposal(廃棄)』と言う佐智の声が聞こえた。この身体は以前と比べようが無いほど基本性能が優れている。既に職員室がら結構離れたにも関わらず、佐智が術式の後始末をしている声が聞こえるのだ。
少し間を置いて、佐智が何か話はじめた?
『原則、指示有るまで現状維持。マスターと私のことは一般の生徒と同様に扱うこと。河野教諭は、この後マスターのクラスで私を転校生として紹介。三嶋教頭は私に関する転入資料の作成にあたるように。尚、資料作成上、外部との整合が必要な部分があれば申し出ること。私の方で処理する。以上解散。』
。。。佐智が転校して来たと言う記憶の改鼠をメインにした、軽い洗脳的な何かを行うのかと思っていたが、違ったようだ。一石二鳥と言わんばかりに教師達を従属させるような、がっつりとした洗脳を実施したらしい。
しかし、これでは河野に意趣返し出来ないな。まあ、良いけど。と、晃は独り言た。
**********
教卓で転校生のことを告げた後、河野はわざわざ教室前の扉まで戻って恭しく引戸を開き、目上の人物の入室を待つように頭を垂れた。ように晃には見えた。
他の生徒にどう見えたかは知らないが、一様に怪訝な表情なのは違和感が有るからだろう。いったいどんな洗脳を施したのやら。
臣下にかしずかれながら入室。そんな感じで佐智が教室に入って来る。入った直後、一度立ち止まって教室を見廻し微笑んだ。晃が見ても、それは美しい微笑みだった。当然クラスの全員が息を呑み教室の空気は全て抜き取られたようになる。クラス中の視線は佐智に釘付けになった。
普段からチャラい印象の生徒や、無駄に口数の多い生徒も沈黙したままなのは、佐智の美貌に圧倒されたからなのか。そのまま無言で一段高くなった教壇に上がり、中央にある教卓まで佐智が歩く間、咳き一つ無い。
教卓の前に佐智が立つと、芝居がかった体で河野が佐智を紹介した。
「今日、転校してきた動坂下佐智さんだ。名前で判ると思うが、クラスの動坂下晃君のご姉弟(きょうだい)で、佐智さんがお姉さんだそうだ。では佐智様にご挨拶を頂く。」
晃は心の中で『おいおい。佐智様にご挨拶とか言ってるよ。』と、駄目出ししたが、佐智も河野も不味いとも思っていないようで、平気な顔で佐智は挨拶をはじめ、河野はうっとりと拝聴している。
「始めまして。只今紹介頂いた、動坂下佐智です。晃ちゃんの姉です。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます