(14)最後通牒を出す①

「あ、天井にヤモリが居る。」


 休み時間、廊下で雑談していた生徒の一人が天井を見てそう言った。


「え?ヤモリって何だよ?どこにいんの?」


「え?ヤモリ知らねーのかよ。トカゲだよ。爬虫類。ほらあそこの天井のシミがあるところ。」


 生徒が指す先には灰色の体色をした10cmほどのニホンヤモリが張り付いていた。通常の壁色ならもっと判り難いが、シミになった場所に張り付いているので気付いたのだろう。


「あ?おっ?!あれか!!確かにトカゲっぽい形してるな。あれがヤモリ?」


「お前、本当にヤモリ知らんの?夜とか家の窓ガラスに張り付いてることとか無い?最近は、何でか学校の中でもよく見るけど。」


「ん〜?ウチはマンションの上の方だからか?あんなの見たこと無いなぁ。」


「出たよ、出た!金持ち自慢!!ウチはタワマンの、さ、い、じ、ょ、う、かぁ〜い!!」


「いや、最上階では無い。だが、金は有る方だと思う!!」


「ぎゃはははっ!!ムカつく(笑)!!」


 そんな生徒達の会話を、天井の小さな爬虫類がじっと見ていた。


**********


「これだろ動坂下の体操着。」


「そだな。」


 次の授業はコンピューター室での実習であるため、他の生徒達はすでに移動しており、今教室に居るのは2人だけだった。


「マ○クの紙袋に突っ込んで、ゴミ保管所に放り込んでから行くから、先生にトイレ行ってて遅れるとか、適当に言っといてくれよ。」


「おう。了解。」


 動坂下の体操着袋を持った生徒は、先にコンピューター室に向かった生徒を見送ると、マ○クの紙袋に体操着袋を乱暴に突っ込み、コンピューター室とは逆の方向にある屋外のゴミ保管所に向かった。


 ゴミ保管所は以前焼却炉が設置されていた学校敷地内の、奥まった所にあるプレハブだ。焼却炉があれば良かったのだが、ダイオキシンが発生するからとかで撤去されてしまったらしい。


 ゴミ保管所に保管された幾つかのゴミ袋から1つを適当に選んで開き、マ○クの袋を放り込んで、きつく締め直すと、「ざまぁ!!」と憎々しげに呟き、ゴミ保管所を出て、コンピューター室に向かった。


 生徒達の行動の一部始終を、教室で、ゴミ保管所で、あらゆる場所で、小さな爬虫類がじっと見ていた。


**********


 動物がモノを見る時、視細胞と言う感覚細胞で光シグナルを神経情報へと変換している。


 ヒトの場合は2種類の視細胞で物を見ている。1つ目は錐体細胞で、色を見分けることが出来、(ほとんどの場合)赤と青と緑の3色型色覚で色を見分けているが、感度が低く、暗い所ではほとんど働かない。もう1つは桿体細胞で、色を感じることができないが、感度が高く、暗い所で見ることができる。


 一方、夜行性のヤモリは、他の生物が暗い所で使っている桿体細胞を持っていない。その代わりに、錐体細胞がヒトの350倍もの感度を持っていて、暗い所でも色を見分けることが出来、赤と青と緑と紫の4色型色覚で色を見分けている。


 また、暗いところでたくさん光を集めるために大きなレンズが必要で、網膜に像を結ぶためにはレンズと網膜の距離を短くする厚いレンズが必要になるが、レンズが厚いと色収差が起きて像がにじんでしまう難点がある。


 ヒトの場合にも色収差はあるが、大きくないため瞳の調節機構でカバー出来ている。ヤモリのレンズは、場所によって焦点距離が違う非球面レンズになっていて、広い波長の範囲で焦点を結ぶことが可能な仕組みになっており、その仕組みで大きな色収差を解消している。


 ヤモリはこのように、かなり優れた視覚を持っているのだ。


********** 


 山崎が救急車で運ばれた日から、遠山グループと動坂下晃との関係性は悪化の一途を辿った。


 元々、容姿に華があり、勉強やスポーツも出来る遠山幹を中心に集まり、クラスでの高いカーストを保持していた。


 しかし、そういった華やかなイメージの裏で、弱いと目星を付けた人間に対して、表で軽くイジって気安い仲をアピールし、裏では悪意増々で悪辣な仕打ちを繰り返す、悪質なグループだった。ターゲットがどんどん憔悴して行くさまを見るのが楽しいとか嘯く始末だ。


 そういったクソのような生徒達だったが、その生徒達の、ここ最近のお気に入りの玩具だったのが晃だった。特に、遠山幹は晃に対して含むところがあるのかと思うほど、苛烈で悪質な嫌がらせを行っていた。


 しかし、あの日を境に晃は遠山達が思うようには反応しなくなってしまった。


 軽くからかってもガン無視する。


 パシらせようにも、「自分で行け。」と、にべもない態度をとる。


 陰湿な嫌がらせも試みたが、何故か全く成功しない。


 何気ない風を装い、肉体的な攻撃を試みても鮮やかに躱され、逆に手痛いしっぺ返しを受け、こちらが悲鳴を上げる始末。


 進学校なので、内申を維持する必要があり、気に入らないからと言って、場所も考えずに暴行する訳にもいかない。以前、何度か人気の無い場所で集団で暴行に及んだが、そんなことが出来るシチュエーションに持ち込むスキは皆無だ。


 失笑するしかないが、そんな状況に遠山達はどんどんストレスが溜まって行った。


 晃に舐められていると感じていたし、繰り返す失態は人の目を引き、ナニアレカッコワリィ。となるのは当たり前で、クラスの中でも遠山達は軽く見られ始めていた。


 そんな状態が続いているので、どんどん面目を無くしており、苛ついて突発的なリンチでも起こしそうなくらい酷い空気が流れ始めていた。


 しかし、それ以前に、どんな奥の手を使ってでも逆らえないようにするしかない!!!遠山幹にそう思わせる事態が発生した。


 その日、4時限目の体育が体育館で行われ、終了時に、遠山幹と、退院した山崎拓人、その他の取り巻き達が、更衣室に引き上げようとする晃を呼び止めた。


「動坂下。お前、いい加減ウザいんだよね。僕らに逆らうのは止めて貰えないかな?このまま行くと僕らも後に引けなくなるし、動坂下もつまんないことになると思うよ。ホントの話。」


 遠山達の鬱憤はどんどん溜まって行くのに、動坂下晃はどこ吹く風であることに業を煮やし、間接的な行動では埒が明かないと、直接的な説得(?)を試みるしか無くなったと言った感じの行動だった。


 もちろん塩な対応は予想出来たので、『この後のこと』も視野に入れていたが、そうなると遠山達の手を離れかねないので、その前に上手く用具室に押し込めれば、以前と同じように囲んで痛い目にあわせてやれるんだが。くらいの思惑だった。


「お前ら、本当に面白いな。」


 そう言った晃は、何の表情も浮かべず無表情なまま振り返った。


 以前、遠山達のちょっかいが始まる前はクラスにも晃と仲の良い人間が何人か居て、その友人達と談笑する時は普通に笑顔だった。


 しかし、度重なる嫌がらせに、自分達にも災難が降りかかるのを恐れた者達は離れて行き、それと共に晃が談笑することも、表情を動かすことも無くなった。


 もっとも、晃自身が曰く言い難い存在になり、常にテンポラリの領域をまとって、威嚇を発動しており、感情が希釈されている、無感動になったと感じていたので、友人が離れて行った理由も含め、遠山達のせいばかりとは断言できなかった。


 遠山達のちょっかいが始まって7割が離れ、人が変わって残りも離れたと言うのが正解だろうか。


 いずれにしろ、遠山達との確執と事故後の激変が相まって、高い確率で面倒なことが起こり得る危険な焦点と目されており『触れてはならない』そんな風な存在だと認識されるに至っていた。


 因みに『アンタチャブル』と言う言葉はインドのアウトカーストである不可触民のことや、アル・カポネ時代の連邦調査局員のことを指すが、その意味は不浄であるため、買収が効かないため『触れることのできない』と目される存在を言う。


「おい!何が面白いんだ!馬鹿にしてんのか?!また前みたいに可愛がって欲しいってか!!」


 比較的沸点の低い一人が食ってかかる。


「いや、何度も何度も不毛なことに時間を費やして懲りないなと思って。面白すぎだろ。それに、前みたいなこと?それは、止めといた方が良いと思うよ。なあ、山崎?」


 突然、話を振られた山崎は、ビクッと身じろぎした。


 退院してからこっち、遠山達と一緒に行動してはいるが、晃へのちょっかいに積極的に関わって来る様子は無かった。今日も青ざめた顔をして、一歩引いている。


 話を振られたことで、更に血の気が引いたように見える。


「。。。止めとけ。そいつはバケモノだ。」


 そう言うのが精一杯といった感じだった。おそらく晃は山崎にとって強烈なトラウマになっているのだろう。為す術もなく吊り上げられ、抗う術も無く、徐々に意識が薄れ、命が消えて行くと思える感覚は恐怖でしか無かったのだろう。思い出して小刻みに震えているようだった。


 晃は内心少し鼻白んだ。既に自分は化物だと自認はしていたが、面と向かって指摘されるのは不愉快らしい。自分勝手だと思うが、望んで化物になったわけでもないし、腹を立てても許されるだろう。それに、既に人間とは言えないかもしれない。そう考えると、悲しくもあって、複雑な気分にさせられた。


「はぁ〜今更だけど、山拓が動坂下にやられたのはホントなんだなって思うわ。もう震える子犬みたいに成ってるよ。でもホントだとしても動坂下は調子に乗り過ぎじゃね?何かヤバい薬とか使ってると思うんだけど。そうだとしても人間一人位ならいくらでも対処のしようがあるからね。」


 ここ最近、イライラし通しだった遠山幹が、少し余裕の出来た感じで山崎と晃を交互に見比べながら前に出てきた。


 山崎の様子を見て、やはりこのままだとどうしようも無いと判断し、『この後のこと』に気持ちをシフトさせたのかもしれない。


「まあ良いや、兎に角、話をするのはこれで最後だから。おとなしく言うことを聞いとけば良かったって後で言っても駄目だからね。」


 久々にマウントが取れたと思ったのか、やはり遠山幹の機嫌は良くなったように見える。


「本当にお前ら面白いな。教訓と言う言葉を知らないだろ。山崎も骨折り損のくたびれ儲けだったな。まあ、自業自得だけどな。」


 特に面白くも無さそうに、晃は魔法のように何処からともなく携帯を取り出して操作しはじめた。体育の授業に携帯を持ち込むのは禁止だが、そもそも何処から取り出したのか。


 え?何処から出したんだと、戸惑っている遠山達を尻目に懸けながら操作を終えた。


「遠山、最後通牒か何か知らないが、メールを送ってやったから、それを見てしっかり反省しろよ。もう僕の方が付き合いきれないからな。メールは僕の方の最後通牒だ。」


 そう言うと、晃は遠山の返事も待たず、更衣室へ引き揚げていった。その手には何時の間にか携帯は消えていた。


 これから晃に降りかかる不幸について、回避方法も含めて教えてやるつもりだった遠山は呆気にとられて立ち尽くしていた。

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