(13)ネック・ハンギング・ツリー②

「えっ??きゃーーーーっ!!あ、あ、泡吹いてるじゃない!!」


 全員が固まってしまったような教室に、悲鳴と共に駆け込んできたのは、養護教諭の烏谷美鳥。異様な空気を全く感知せず、目の前にある自身の職掌での一大事にパニック気味だ。


 悲鳴をあげて登場とは、教師としても養護教諭としても、あるまじき失態だが、誰もそこに突っ込む雰囲気には無かった。


 当の烏谷とて、周りの目など気にするどころでは無い。焦りで交感神経が活性化し、精神性発汗が濃い目の化粧を押し流すようにダラダラと流れるに任せ、山崎に駆け寄り必死で状態を確認する。


「み、脈あり!」


「こ、呼吸あり!」


「が、外傷は、、、あー皮下出血が若干。あと、これって吉川線かな?ま、と、取り敢えず、死んで無ければ何でも良いか。そ、側臥位、回復体位に、して、、、」


「君!えーと、彼の名前は?え?ヤマサキ?ヤマザキ?ヤマザキくんね。おーい!!山崎くん?!判る?!」


「や~ま~ざ~き〜ぃ~!!!」


「う、う、う、、、」


 烏谷の呼びかけに、微かに応答する山崎。


「、、うわ、けっこう意識障害が重篤っ!半昏睡気味。。」


「う~ん。状況から、酸欠による一過性意識消失発作だと思うんだけど、兎に角一度病院で検査をしないと。救急車、救急車!」


 烏谷が、慌ただしく状況を確認し、携帯電話で119番に電話をしようとしたところで、担任の河野が再起動した。


「ま、待って。待って下さい烏谷先生。救急車は、い、要らないのでは?取り敢えず保健室で休ませて様子を見た方が良いのでは?」


 おそらく河野としては、話が大きくなるのを恐れての発言と思われるが、それを聞いた烏谷は、信じられないモノを見るように河野を見て、強い口調で言い放った。


「冗談言わないで下さい!酸欠による失神だと推測出来ますが、意識障害の度合も高い半昏睡なんですよ!深刻な後遺症が残る可能性だって無くは無いんです!!病院で一通りの検査は必須です!!!」


 烏谷はそう言い切ると、話は終わったと、それ以上河野に取り合わず119番に電話をした。


 既にパニックから立ち直って、この件に関するスタンスをしっかり考えていた烏谷は、内心『冗談やめてよね!!そりゃあ単なる失神程度なら、保健室で様子見ってと言うのもありだけれど、こんなイジメ絡みっぽい危険案件で、もし万が一後遺症でも出た時に誰の責任になると思ってんのよ!!後遺症の可能性が低くても、遣るべきことをしなかったって騒ぎ立てる奴だって居るのに。分かれよ!!使えない奴だと思ってたけど、ホント使えない。私が電話する前に救急車くらい呼んどけっつーの!!』と、毒突いていた。


 河野はそれ以上反論することも出来ず、「ど、どうすれば、どうすれば、、」と、青褪めた顔で、オロオロするだけだった。


 実を言えばそんな河野の内心を、烏谷は容易に推測出来てもいた。駆け込んできた生徒の断片的な話からでも、イジメっ子とイジメられっ子の窮鼠猫を嚙む的なトラブルだとわかったからだ。


 イジメられっ子が、イジメっ子を片手で宙釣りにしたって話は、一寸信じられなかったが、何れにしても、そんな話であれば、河野のような事勿れ主義者は事を小さく収めようとするのは当然で、烏谷だって、それを否定するものではなかった。ただし、烏谷に被害が及ばない限りでだ。


 ほどなく遠くから救急車のサイレンが近づいて来る音が聞こえ、サイレンが校舎の前で止まったのが判った。


「じゃあ、河野先生、救急車来たみたいなので、私は病院まで生徒に付き添います。報告等はお願いしますね。」


 そう言い捨てると、さっさと救急隊員を迎えに行き、教室まで案内して来た。


 状況を救急隊員と共有しつつも、晃との揉め事をストレートに話して『警察を〜』とか言われないように、オブラートに包むことも忘れない。山崎の荷物の在処を生徒に聞き、それを持って担架で運ばれた山崎と救急車に乗って行ってしまった。


 救急車の到着に、何事かと駆け付けた学年主任の藤田浩介に、何があったのかと聞かれた時も、さあ、と首を傾げ、「私は生徒がこんな状態になって呼ばれたので詳しくは分かりかねます。取り合えず付き添って病院に行きますので、着いたら連絡しますね。親御さんへの連絡は病院が決まってからが良いかもしれませんね。その辺の判断はお任せします。経緯は多分ですが、河野先生が分かってると思います。では~」と言って、救急車に乗り込んで行ったらしい。


 呆然としていた河野だったが、烏谷の話を聞いて教室にやって来た学年主任にどうなってるのか?と、問い詰められたため、生徒に自習を言い渡して学年主任と職員室に戻り、間仕切りした応接間でしどろもどろになりながら、事の経緯を説明した。


「け、経緯を生徒達に確認したのですが、ど、どうやらこれまでも山崎が動坂下をよくイジっていたようで、いえ、イジると言うかじゃれ合うと言う感じで、さ、先程も山崎がじゃれて行き、動坂下が止めるように言い、それを聞いた山崎が何を思ったか、動坂下に駆け寄って、ぶつかりそうになったのを動坂下が避けて、はずみてコケた山崎が頭を強打して失神した。」


 そう言う感じだったようです。と、生徒に聴き取りをすれば直ぐに嘘がバレるような、実状と全く合致していない説明を行った。


 学年主任の藤田は、挙動不審な河野をしばらく無言で見つめ、噛んで含めるように問い質した。


「河野君。失礼かもしれないが、君の様子を見るに、何か話以上の事が起こったように感じるんだが。それは私の気の所為なのかね?」


「!!・・・」


 痛い所を衝かれ、黙り込んでしまう河野。しかし、だからといって認める訳にもいかなかった。この件を穏便に対処しなければ、過去の職務怠慢を証拠付きて晒すと、脅されているようなものなのだから。


「い、いえ、そんなことはありませんよ。た、確かに少し動揺してますが、ビックリしただけです。まあ、実際の所、山崎が何で動坂下に駆け寄ったのか判りませんが、暴力的な意図を持っていたとしても、自分でコケて頭を打って気絶とか、問題に出来そうもないですよね。ハ、ハハハハ。あ、危ないから教室で走らないように後で注意して、暴力沙汰はご法度と釘を刺しておきますよ。ハ、ハハハ。」


 無理矢理に笑いを絞り出す河野を見て、何時に無く強情だと感じた藤田は、それ以上追求することは諦めた。


「そうですか、なら良いんですがね。二人のケアはきちんとする様にお願いしますよ。」


 今後も何かありそうな感じだな。根拠は無いものの藤田はそんな感想を持った。


 しかし、生徒に対して、担任の頭越しに聴き取りを行うと言うのも悪手だ。どうしたものだろうなと考えながら、河野には教室に戻るように言い、藤田自身もこの騒動で中断していた書類仕事を片付けるため、自分の机に向かった。


 何とか危機を脱した河野は、グッタリして教室に戻った。しかし、生徒達は大人しく自習しているかと思いきや、そこには望んでもいない、お代わりが展開されていた。


「おい、何黙ってんの?お前みたいなチビがどうやって山拓を病院送りにしたのかって聞いてんの?!!」


 窓際で、前から2番目の席に座った動坂下を、複数の生徒が取り囲んでいる。


「お前何か変な空気出しててキモイんだよ。毒でも吹き出しながら歩いてんじゃんじゃねーの?何とか言えよ!おーい。おーい。聞いてますか~!!」


 やばいやばいやばい。河野の頭でけたたましく警報が鳴り響く。


 せっかく藤田を騙くらかして、危機を脱したって言うのに。ここでモメてまた誰かが病院送りになったりしようもんなら、全部が台無しだった。


 動坂下を囲む生徒達の馬鹿さ加減に絶望した。どう考えても、そいつは普通じゃない。以前の気弱でおとなしい動坂下とは別物だ。分かれよ!


 河野が心の中で悪態を付いていると、別の少年が、にやにやしながら晃を囲む生徒を掻き分けて前に出た。


「おいおい、ちょっと待てよ、そんなにガーガー言うと動坂下だって返事出来ないよ。なあ?動坂下。僕ら何時も仲良くやってるのにどうしたんだよ?」


 物腰の柔らかいイケメンが、他の生徒を制して動坂下に話しかけている。


「何て言うか寂しいよね、友達同士でモメるのって。動坂下だってそう思うだろ。こいつらも同じ気持ちなんだよ。こいつら頭に血が上って殺気立ってるけど、山拓が病院に運ばれて心配でしょうがないからなんだ。勘弁してやってよ。だからね、誤解とかあったら解いとかないと。どう?僕になら話せるでしょ、何があったのか。」


 いや、ホントにまずい。山崎がカースト天辺の遠山のグループだったのを失念していた。


 今、おためごかしに話しかけているのは遠山幹だった。


 成績優秀でサッカー部のホープ。整った容姿で資産家の子息と、非の打ち所がない生徒だ。クラスのカーストで天辺を形成しているグループのボス的な存在だった。


 しかし、この遠山という少年は単なるお山の大将と評すのが躊躇われる、非常にやっかいな生徒だった。


 問題に発展しないように計算しながら、動坂下など、おとなしめの生徒を虐げて遊んでおり、嗜虐的な性格を遺憾なく発揮している。


 更に資産家と言われる親は、遠山興業という不動産業を営んでおり、地元では大手とされる会社ではあるのだが、反社のフロントであるとの噂が絶えない会社だ。


 噂の域を出ないが、遠山の怒りを買ってガラの悪い奴等に連れて行かれ、そのまま行方知らずの人間もいるとか。いないとか。


 当然ながら、素行に関する疑義として、内申に記載するつもりなどない。そんな危険なことはする筈も無い。


 こんな生徒と動坂下との間で、胃が痛くなるような対応をしたくない。勘弁して。などと河野が後ろ向きの思考を玩んでいる間にも事態は動いている。


 取り囲んで威圧しても、おためごかしに話かけても、思ったように動坂下が反応しない。遠山の取り巻きはもちろん、余裕の態度だった遠山自身も募る苛立ちが隠せなくなり、結局全員で動坂下を責め立てていた。


「僕は結構気が長い方なんだけど、動坂下にはちょっと付き合いきれないかな。。。いい加減に何とか言えよ!クソが!」


 既に口調は荒れ、吐き捨てるようになっており、どんどん遠山達の空気が険悪になってゆく。


 一方で我関せずの感じだった動坂下も、実は辟易していたらしく、ここに至りようやく反応を示した。


 おもむろに遠山達をねめつけ、声を潜めることもなく言い放つ。


「・・・お前ら、本当に山崎に輪をかけて鬱陶しいな。まとめて潰すかなぁ。」


「なっ!!」


 教室の空気が一瞬で凍り付いた。取り囲んで動坂下を威圧していた遠山達も、固唾をのんで成り行きを見守っていた生徒達も、一歩を踏み出せずに入り口で固まっていた河野教諭も、皆が皆、動坂下の一言に絶句した。


「チョロチョロ目障りで、鬱陶しいことばかりする上に、何かドブ臭いのは、性格の悪さが匂ってるからか?チョロチョロしてドブ臭いってことは、ドブネズミ?ドブネズミなら駆除しないとな。」


 更に毒を吐く。


 それはマンション倒壊事故前の晃とは別人だと確信できる、容赦ない毒と傲岸不遜な精神がダダ漏れな言葉だった。いや、誰もが枷を取り払えば、晃のようになるのかもしれない。

 

 大勢に取り囲まれても全く委縮してもおらず、虚勢を張っているようには見えない。ましてや必死に勇気を振り絞って答えたといった風でもない。ただ、思ったことを毒をたっぷりまぶして吐き出しているだけ。あらゆる他者が彼に圧を与えることは叶わないのだと誰もが感じ取った。


「(ひぃ〜〜!やばいやばいやばい)ホ、ホームルームをするぞ!!」


 流石にこの状況で何時までも空気になっている訳にも行かず、今来たような顔をして慌てて河野が教壇に立った。


 教壇に立った河野を見て、生徒達がハッと我に返って三々五々に自分達の席に着いて行く。こわごわと、遠山達や動坂下を盗み見ながら。


 勿論、動坂下を囲んでいた生徒達も例外では無い。ただ、他の生徒とは違い、ドブネズミ扱いされた怒りで、絶対許さないと言う顔をしている。


 基本この学校は進学校であり、生徒達は総じて行儀が良い。遠山達のように教師的には問題のある生徒とは言っても、表立って教師に逆らうような頭の悪い生徒は居ないのだ。


 動坂下も廻りで騒ぐ人間が居なくなるのなら特に不満は無いのか、あれ以上は言葉を重ねること無く、大人しく自分の席に着席していた。


 ただ、遠山だけは怒りに血走った目で憎々しげに動坂下を睨み付け、なかなか自席に戻ろうとはしなかった。


「と、遠山、ど、どした?ホームルームはじめるぞ?」


 わざとらしく声をかける河野に目を向けることなく、動坂下を執拗に睨み続けながら、遠山は渋々と言った感じで自分の席に戻った。


 河野としては、自分のテリトリーで問題を起こされなければ、もう何でも良いと言う心境だった。


 間違いなく問題は起きる。それは確実だ。その時は、頼むから俺のテリトリーの外でやってくれ。そう願わずにはいられなかった。


 これからほとぼりが冷めるまで、その爆心から何とか避難することに腐心する日々かと、ウンザリしながら、取り敢えずは何とかこの場を切り抜けたと、胸を撫で下ろした。

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