(12)ネック・ハンギング・ツリー①

 所謂、底辺。気が付けば、そんなことになっていた。


 身体は年齢にしては小さめで、痩せ気味。性格は穏やかで、自己主張もあまりしない。そんなところを狙われたのだと思う。或いは家庭環境について知られたのかもしれない。


 最初は軽いイジり、次にからかい、いつの間にかパシらされ、殴られ、リンチも何回か受けた。所謂、イジメの標的になっていたのだ。


 なんで僕が。そう繰り返し思っていた。それが動坂下晃の状況だった。しかし、あの日を堺にそれは過去のことになる。


 もちろん未曾有の災害となったマンション倒壊事故の被害者であり、数少ない生存者(?)であったために、同情が集まると言うのもある。


 しかし、それは些細なことに過ぎない。


 かつては、空気のように扱われることさえあった晃だったが、今は真逆の影響を周囲に振りまいている。晃が居ると、空気は粘性を帯び、重力が重くのしかかるのを誰もが体感し、わけも分からず脂汗を流す。皆が、晃は危険だと確信する。


 他人から受けるプレッシャーの類いは、そういうものではない。もっと判り易いものだ。


 服装や態度、体格、或いは目付き。大きな声、荒い言葉遣い。断定的な会話。そういった視覚情報や聴覚情報を媒体にして、経験や知識から心理的に脅威と体感するのが、威圧感やプレッシャーというものだ。晃は、そういった判り易い視覚情報や聴覚情報は無く、ただプレッシャーだけを辺りに叩き付けてきた。


 正にホラーや、SF、ファンタジーの世界だ。


 確かにそれは正しい。晃は自身の領域を校内にまで拡張していなかったが、テンポラリとして領域を周囲に展開していた。つまり晃にとって、敵地と感じる場所では、周囲を一時的、つまりテンポラリな自身の領域として確保し、その領域内に居る者を威嚇してのだ。それが、プレッシャーの正体だった。


 まあ、それくらい校内では不愉快な思いをさせられた。そういうことだった。


 そんな特異な人間を空気のように扱うなど、出来るものではないし、その普通ではあり得ない雰囲気に、晃のことを知らない人間は、危険を感じて近付こうとはしなかった。


 一方で、以前から晃を知っていた者たちは、これまで感じたことの無い圧迫感に戸惑った。


 その中でも穏当な者たちは、晃のことを知らない人間と同じような反応を示し、距離を取った。


 動坂下君どうしたんだろう。いきなり変わったよな。悪い仲間に入ったって噂だよ。などと噂しているようだ。まあ、晃がイジメの標的になった時点で距離を取っていた人間たちなので、同じ行動を継続しているにすぎなかったが。


 彼らの噂話もあながち間違いでもなかった。得体の知れない悪いモノに食い散らかされ、取り込まれ、色々弄られてぺっと吐き出されたのが、今の動坂下晃だったのだからだ。


 だが、積極的に晃を虐げていた者たちは、晃にビビっていると周りに思われたくないが為に、愚かな選択を行うことになる。


 マンション倒壊事故後、初めて登校した日のこと、教室に足を踏み入れた晃に対して、生徒の1人が、悪意を含んだ声をかけて来た。


「おいおい、動坂下っ!!お前、何、勝手に休んでんだよ〜」


 山崎拓人。晃の同級生で、晃に対して何かと辛く当たっていたグループの一人だ。つまり、イジメっ子だ。


 山崎は、晃など何でも無いと言わんばかりに、教室に入って自分の席に向かおうとした晃に、何時も以上に横柄な態度で声をかけて来た。


 晃が醸し出す圧迫感を本当に感じていない可能性もある。想像力が欠如した人間は、あらゆることを自分の都合が良いように解釈するものだ。不気味な力の発露とは見ず、多くを考えること無く、自身への挑戦とだけ受け取ったのかも知れない。


 当然、そこにはマンション倒壊と言う大災害で、被害を受けた人間に対する気遣いも無い。


「パシリが居ないと迷惑すんだよ!迷惑料を出せよなー!」


 晃より頭一つ身長が高い山崎が、額をぶつけんばかりに顔を近付け、意味不明なことをがなりたてる。まるでヤクザ者のような振る舞い。口元には鬱陶しいニヤニヤ笑いが張り付いている。


 以前、この鬱陶しさに接する度に、様々な思いが去来したと晃は記憶している。理不尽な発言に対する怒り。暴力に対する恐怖。面倒事を無難に回避したいという思い。


 結局、暴力に対する恐怖に、声や身体が震え、理不尽な発言に対する怒りも萎み、何とか反論するものの、畳み掛けるように、何度も威圧されることで、相手の意志に沿うように行動せざる得なかった。


 その時は自己嫌悪や悔しさで懊悩したが、今なら何の感慨もなく、同じ方法で、面倒事を回避することも出来ると分かっていた。ただ、そんな迂遠なことをする気は既に無いが。


「・・・鬱陶しい。僕に近付くなよ。」


 無表情に、思ったことを簡潔に言って晃は背を向けた。


 一瞬、啞然とした山崎だったが、言われたことが脳に染み込むと、「ざっ、ざけんなよ!底辺が!」と怒鳴り、顔を真っ赤にして、席に向かう晃に駆け寄った。


 そのまま乱暴に晃の肩に掴みかかったのだが、その手はあっさり空を切る。晃が振り向きながら半身になって山崎の手を躱したからだ。別に掴みかかられたとしても、突き飛ばされたとしても、微動だにしなかったが、クソみたいな奴に触られたくなかった。


 そのまま晃は、蛇の鎌首が獲物を捕らえるように腕を伸ばし、山崎の首を鷲掴みにした。こちらからの攻撃で触れるのは問題無い。とは言え、領域のレイヤーは分けた。


「グエッ?!」


 山崎自身が駆け寄った勢いもプラスされ、カエルが潰されるような苦鳴をあげる。


 それに反して晃は押し込まれて、後退ることも無く、苦もなく山崎の勢いと体重の重量を消してしまった。


 さらに驚くべきことに、そこから特に力を入れる風もなく、ヒョイっと言う感じで山崎を片手で持ち上げてしまう。そして、次の動作をしようとした晃だが、途中で思い直して動きを止めた。


 小さな声で、「やっば、叩き付けそうになったよ。躊躇が無くなっているなぁ。まあ、良いちゃあ良いんだけど、一応、気を付けよ。」と呟く。


 首を鷲掴みにされて、宙吊りの状態の山崎の方はそれどころでは無く、呟きにも気付かず、掴み潰されそうな首の痛みと、呼吸を阻害されていることでパニックに陥っている。


 わけも分からず、必死で晃の腕に爪を立て、拘束を外そうとし、足をバタつかせる。


 重い物を持っている素振りもなく、バタついている山崎を冷ややかに見ている晃とは対照的だ。


 それは正に異様な光景だった。小柄な晃が頭一つ大きい山崎の首を鷲掴み、軽々と宙吊りにしているのだ。


 晃は身長160cm少々で、小柄な痩せ型。山崎は身長180cm程でがっちりした骨の太そうな体格で、少し脂肪も付いている。その体格が逆だとしても、人間一人を片手で吊し上げるのはかなり難しい。


 例えば労働省通達では、男子労働者が人力のみにより取り扱う重量は、55kg以下とされている。産業医などでは体重の40%かつ22kg以下を推奨している。それ以上は人体に及ぼす負担が看過できないと言うことだ。勿論これは両手で、且つそれなりの体勢で持つ重量である。


 肥満気味の山崎の体重は、どう見ても標準体重を越えており(180cmの場合、71.28kg)、90kgはありそうだ。一方の晃は50kg程度だろうか。


 50kg晃が、体重の180%の重量を片手で持ち上げて平然としている。


 全く有り得ない光景に教室の生徒達は言葉を失い、ただ見つめていたが、晃の方では、どうしたものかと山崎をぶらぶらさせたまま思案していた。


 そのうち、呆然としたまま、固唾を呑んて観ていたギャラリーが、我に返ってざわめきはじめた。


「お、おい。あれ大丈夫なのか?」


「え、あ!あ、あれは、ヤバいな。ブラブラしてる!」


「え?片手で山崎くん吊り下げてる!!動坂下くん、すごいー!?」


「おい、山崎のこと、心配してやれや。あのままだと死ぬんじゃね?まじで。」


 確かに、最初は激しくバタバタしていた山崎だったが、今は晃の手を支点にブラブラ揺れながら、ピクピクと断続的に痙攣するだけになっている。


 それでも晃は気にした風もなく思案顔だ。


 そこへ、ばたばたと室内に飛び込んで来て、息を呑む気配がした。


「ど、ど、動坂下ー!!な、何してるんだ!」


 教室に飛び込んできたのは、1年3組の担任である河野健だった。晃と山崎を忙しなく見廻す。


「いや、と、兎に角、山崎を降ろすんだ!!は、早く!早く降ろせーー!!」


 どうやら、誰かが担任を呼びに行ったらしい。


 担任の河野は頬がコケた顔から目ン玉をこぼれんばかりにひん剥いて叫んでいる。


 ギャーギャーとうるさい担任に少し視線をくれたあと、ま、良いかと言った感じて、掴んでいた山崎の首を離した。


 ドサっと倒れ込む山崎。うんともすんとも言うこと無く、涙、鼻水、涎を垂れ流しながら泡まで吹いてピクピクしている。下半身からは尿も垂れ流しているようだ。


「だ、誰か、誰か烏谷先生を呼んて来い!!」


 ピクピクしている山崎を見て、手に負えないと思ったのだろう。河野は養護教諭を呼んて来るように生徒に指示した。


 誰かが、はいとか、ひゃいとか叫んでバタバタと走って行ったので、程なく養護教諭が来るだろう。


「ど、どういうことだ、動坂下!!や、山崎を殺すつもりだったのか?!」


 相変わらず、目ン玉がこぼれそうたが、顔を赤くしているので、騒ぎを起こした晃に腹を立てているのかもしれない。動転しすぎて、晃のような小柄な少年が、山崎のような大柄な少年を吊るしていたことの異常さには、意識が行っていないようだ。ただただ動揺し、腹を立てて喚いているように見える。


 しかし、晃は平然として、返事をすることも無く担任である河野を見返している。


「な、何とか言えー!!」


「『じゃれてただけですよ。イジメ?俺たち高校生ですよ?小学生じゃああるまいし、そんなことあるわけないじゃあないですか。』『山崎はそう言ってたが、それで良いよな?面倒事はゴメンだからな。』以前そう言ってたよな?今回も同じ対応で良いと思うよ?」


 晃は亀裂のような薄いカーブで微笑みながら囁いた。


「ああ、あの時の音声データや診断書は当然残ってるから、変にキレても言い逃れ出来ないんで、キチンと処理しろよ。」


 更に河野にだけ聞こえる小さな声で、ぞんざいに言い放つ。


「なっ?!」


 先程まで、顔を赤くして怒っていた河野だったが、そう囁かれるや、一気に青褪めた。


 先々月の話だが、晃は山崎のグループから暴行を受けていた。些細なことで因縁を付けられ、殴る蹴るの暴行を数人から受けたのだ。


 それまでも、殴られたり蹴られたりする嫌がらせはあったが、あくまでも単発のことで、その時のように、数人から囲まれて暴行を受けるのは始めてのことだった。


 山崎達は、顔面など目に見える箇所に対する攻撃は控える狡猾さを見せ、執拗に晃をいたぶった。


 入院には至らなかったものの、全身の打撲と、肋骨のヒビで、全治1ヶ月との診断も受けた。おかげで、数週間コルセットが手放せなかった。


 嫌がらせの域を超えた、数人でのリンチに晃は恐怖した。痛みに恐怖し、叩き付けられる悪意に恐怖し、他者に理不尽な暴行を行うことを楽しむ山崎達に恐怖し、エスカレートして行く山崎達の悪意ある行為の行き着く先に恐怖した。


 その時、この男にも相談したのだが、面倒臭そうに、先に言った言葉を返され、当時の晃は愕然として、更に絶望した。そう言う経緯があった。


 それからも何度か同じようなことがあったが、この男には話していない。


 当時の経緯自体、今となってはどうでも良い話ではあったが、過去の晃が小心で泣き寝入りしがちだったのを良いことに、黙殺で問題無いと判断したことは、何れツケを払わせるつもりだ。


 今の晃の根底には、あらゆる世界を貪ってきた"災厄"の慣性が常に脈動している。どんな状況でも、天秤は、自身に限り無く傾かせることが正しい。"災厄"的に、相手側に傾くとか、釣り合うとかは有り得ず、間違っているのだ。


 今は、まだ何も思い付かないので、面倒事の後始末をさせよう。と言うか、この教師の方針に基づき処理するように言っただけなので、晃が何かさせようということにはあたらないだろう。


 そんなことを考えながら、痙攣中の山崎の顔を跨いで歩き、何事も無かったように自分の席に着いた。


 河野は青褪めたまま、そんな晃を目で追い、立ちつくしている。


 廻りで成り行きを見守っていた生徒達は、ゴミでも捨てるように山崎を放り捨て、人を人とも思わない体で、痙攣する山崎を跨いで自席に着席する晃と、晃と二言三言会話した途端に真っ青になり固まってしまった河野、そして泡を吹いて痙攣している山崎の三者三様を啞然と見るしか無かった。


 晃の傍若無人さに対して反感を顕にするような生徒も居なかった。それは、晃の化け物じみた身体能力と、昆虫のような無機的なメンタルに対して、決して触れては駄目だと各人が理解した結果だったかも知れないし、山崎が属するグループの人間が誰も居なかったからかも知れない。おそらく、両方だったのだろう。

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