(11)有馬家③

 晃が自宅から有馬家に移動した時もそうだったが、この移動は全く感覚に履歴を残さない。何の圧迫感も浮遊感もバランスの変化も無く、総合的な移動感も無い。いきなり視覚だけ切り替わる。


「着きました。直ぐ引き返しますか?それともタクシーでも呼んで確認しながら引き返しますか?玄関の突っ掛けは、履いて帰ってもらっても構わないので。ちなみに今居る場所は、西山町の僕の新しい家の玄関ですね。」


 え、何言ってんのコイツ、と有馬家全員が同じ表情で晃を見た。常識的にはもっともな話だ。さっきまで居た有馬家のマンションは、市の中心に位置する城山から東へ数キロの地区に有るが、西山町は同じく城山から西へ数キロの地区の外れに有るのだから。


 しかし、そんな表情も一瞬のこと。言われて気付けば、辺りは自分達が良く知る自宅のリビングとは全く違う。見覚えのない、言ってみれば、これから備品を設置してオープンする予定の新しいホテルのロビー、と言った感じの場所だ。困惑顔になる有馬一家。


「え?何処だ?ここは。」


 我に返って、基隆が問う。


「西山町の僕の新しい家の玄関です。」


 晃は辛抱強く同じことを繰り返す。


「は?西山町?嘘?」


 それを聞いて、薫が呟き、恵と顔を見合わせる。涼子も困惑顔になる。


「外に出て確認してもらって構わないです。玄関の突っ掛けを使って下さい。」


 玄関にあるクロックス風の下履きを指して、外に出て確認する様に促す晃に、狐につままれたような顔で玄関から表に出る有馬家の面々。


「こんなことはありえん。。。」


 基隆は頭が固く、非常識なことは中々受け入れ難い方だ。財閥の創業者一族の出身であり、優等生タイプ。理詰めと大きな資産の運用で成功を積み重ねてきた。年齢も年齢であるため、そういう傾向が強いのは仕方が無いだろう。


 例えば創業を担い、柔軟な発想を持つ起業家タイプなら、反応も違ったかもしれないが、基隆はそうではなかった。しきりとコメカミを揉んで、ありえんと何度も呟いている。


「おネエちゃん、ここアソコだよね。前におネエちゃんが付き合ってた、マーくんの高校の前の通りだよね。」


 恵は玄関を出て、敷地の外の景色を見て、見覚えのあるその景色に興奮し、あんびり〜ばぼ〜とか言っている。


「マーくん?ああ、学ね。そう言えばそうだったわね。」


「おネエちゃん。テンション低すぎ!!この子、ありえないことに、エスビーって奴だよ。テンプテーションしちゃたよ!」


「ん?ん???ああ、エスビーじゃなくて、エスパーね。エスビーは加工食品メーカーの名前よ。語感が全然違うじゃあない。テンプテーションじゃあなくて、テレポーテーションだから。テンプテーションは誘惑とか、衝動、誘惑するもの、魅力的なもののことよ。」


「おネエちゃん、細かい〜。そんなこと、どうでもイイよ!すごくない?素でアンビリーバボーなんだよ!すごいよ!!」


 受け答える薫は平静そうに答えているが、しきりと考えを巡らせているようだ。


「。。。」


 涼子は興味深そうに晃を見つめている。


「どうやら、当初の目的は果たされたようなので引き返しますか?ここにタクシーを呼んでも良いですが、どうします?」


 晃が熱のない声音で問いかける。見せて納得すれば説明はしない約束だったので、用は済んだと思ったのだろう。あとは帰宅するのに晃が送るか、自分で帰るか選べと言うことだ。


「晃くんて言ったっけ。君って何歳?」


「16ですが?」


 薫が真剣な顔付きで問いかけるので、訝しげではあるが、晃は素直に答える。


「あら、思ったより年齢高目なのね。でも、早いほうが良いわね。2年後、貴方が18になったら私と結婚しましょう。」


「え?!」


 唐突な話に、晃をはじめ、ここに居る全員が何を言っているのか判らず固まった。


「えっと、薫さんでしたっけ、聞き間違いじゃあ無ければ、僕が18になったら僕と薫さんで結婚しようと言いましたか?さっきが初対面ですよね?冗談にしてはぶっ飛んでますね。それとも何か怪しい薬でも服用してるんでしょうか?」


 ようやく晃が反応して、辛辣な返しをするが、心持ち頬に血の気がさしている。どんな今があったとしても、少年であることに代わりはないと言うことだろうか。


「そんなわけ無いじゃない。冗談じゃあないし、変な薬で、正常な判断力が出来なくなっているわけでもないわ。私ね、今日はたまたま実家に居たけど、何時もは都内に住んでるの。都内に住んで、市ヶ谷にある防衛省の情報本部分析部って所に勤務して、分析業務に携わっているのよ。そこは防衛省の機関で、国の防衛の要のような場所だから、一般人が考える以上に色んな情報が集まって来るわ。もちろんこの手の話も無いわけでは無いけれど、たいていは詐欺や勘違いね。そうでない場合でも、微々たる兆候や発露と言う感じで、研究のネタになるかも微妙という程度なのよ。でも、貴方は違うわ。正真正銘、人類が出遭ったことの無いチカラの明らかな発現だわ。そんな事象とたまたま実家に寄っていた私が遭遇したの。有り得ない確率でしょ。そんな縁をみすみす逃すなんて、馬鹿げているわ。あらゆる手段で自分に繋ぎ止めるのは、当たり前じゃない。人間関係の接続において、婚姻は血縁が無い状態なら、かなり強固な繋がりの部類でしょ。だから結婚しようと思ったの。私は自慢じゃ無いけど、たいていの他者から容姿には高い評価を貰っているし、必要なことに力の出し惜しみはしないから、貴方に尽くしまくるわよ。貴方にとっても悪くない話のはずだわ。だから、今から役所に行きましょう。婚姻届の窓口は365日、24時間受付ているはずよ。ああ、蛇足だけど、パパの知り合いってのもポイント高いわね。パパは私にとっては父親ってだけではあるけど、世間的に見て、パパの知り合いってだけで信用度は上がるから。それに私にとっても一歩踏み出す要因ではあるしね。」


 一気に捲し立てる薫。平静に見えて一番興奮していたのは薫だったようだ。家族も晃も啞然としている。


 最初に我に返ったのは恵だった。


「だ、だめだよー。おネエちゃん。私だって凄い子だと思ってたしー、だから私の彼氏になってもらうよ!歳だって私の方が近いし。ね、ね、晃君、そうしよーよ。私も皆んなに可愛いって言われるよ。」


 何時にない姉の剣幕に、コレは正真正銘掘り出し物と確信したらしい恵も、乗り遅れたら負けとばかりに参戦を表明した。


 啞然としたままの基隆と晃だが、そこで冷静な声がかかった。


「薫、恵。それは駄目よ。」


 妙に平静な様子で駄目を出す涼子。瞳は暗い色を放っているように見える。


 一呼吸の後、「何でー?!」と声を揃えて抗議する姉妹に被せるように涼子が言う。


「多分だけど、彼、貴女達の弟だと思うわよ。私は産んでないけど。もしそうなら、付き合うとか無理でしょ?」


 固まる有馬一家。とは言え、主に固まっているのは基隆で、娘二人は驚いてはいるが、パパなら有り得るかも。と言った表情だ。


「そうなんでしょ?パパ?」


 涼子に問い詰められ、息を呑む基隆。晃に見せる日頃の傲慢な表情が、嘘のように真っ青になっている。


「何を、言って、るんだ、彼は、古い、友人の息子だよ。既に、他界した、友人に、頼まれて、面倒を、見ている、だけだ。」


 言葉を不自然に区切って、絞り出すように答える基隆。晃は、そんな基隆の様子を見て、少し笑ってしまった。


「あら?そうなの?その程度の話なら、私が知ってないのはおかしいわね。ねえ、晃君、パパの言ってるのは本当?」


 矛先が晃に周って来た。どうやらこの展開を望んで来たと思われたらしい。晃はため息を吐いた。


「涼子さんがどう思っているか知りませんが、今日お邪魔したのは本当にお礼のためです。子供の頃からお世話になっていますが、非常に横柄で不愉快な態度を取られていましたので、こちらも自然と不愉快な態度で接していた記憶しかありませんでしたが、こんな時くらい、きちんとお礼をしないといけないだろうと思ったまでです。古い知り合い云々は、お帰りになってからご家族で議論して下さい。選択権もない僕のような立ち位置の人間に言われても困ります。今となっては僕にはどうでも良いことですし。本当はどうなのかなんて、僕には知りようも無いのはお判り頂けると思います。もし、今回のことで関係を解消すると言うことになるのでしたら、それも良いと思いますし、結婚やお付き合いの話については、まあ、落ち着いてから、もう一度よく考えた上で同じ結論なら、またお話しを下さっても良いと思います。ある程度前向きに考えてはみます。」


 基隆や涼子が思っていた回答と違ったようで、二人とも驚いた表情を浮かべていたが、基隆は、驚いた表情を苦々しげな表情に変え、不機嫌そうに押し黙った。一方、涼子は驚いた表情を、訝しげな表情に変え、晃に話しかけた。


「ちょっと驚いたんだけど、晃君は姉かもしれない薫や恵とお付き合い出来るの?普通は忌避とまでは言わなくても、何ていうのかしら、躊躇?するものじゃあないの?」


「え?そうですか?今まで一緒に暮らしたこともないので、他人と言う認識で、特に躊躇する理由は無いですけど。僕は女の人と付き合ったことが無いので、どうして良いか判らない部分は多々ありますが、御本人達の言うように甲乙付け難い、可愛らしい人達ですし。」


 混乱している姉妹が少し頬を赤らめる。


「いえ、そう言う話じゃあ無くて、親等が近いと婚姻が法律上許されないし、許されないのにはそれなりに理由があるのは知ってるでしょ。」


「ああ、そう言う話ですか。それは大丈夫です。僕は私生児でひとりっ子なので、誰と婚姻関係を結んだとしても法律上の問題はありません。親等の近い異性と性行為を行った結果として相手が妊娠し、万が一、遺伝子上のエラーが発生したとしても、それを修正する術が僕には有ります。発現前の調査修正も可能です。」


 大真面目な顔で、大丈夫と話す晃を、目を丸くして見つめた涼子だったが、耐え兼ねたように吹き出した。


「ぶはっ!はっははははは。斜め上?三歩前?何て言えば良いのか判らないわ。自分は私生児だがら大丈夫とか、大真面目に言うこと?す、術っていったい何なの?そんな淡々と、ドヤ顔で話すってことは、本当に遺伝子異常を治療したり、事前調査&修正する方法が有るってこと?いったい何なの君は?この瞬間移動っていうの?コレが無ければ頭の弱い可哀相な子供で済ませたんだけどねぇ。」


 上品そうな奥さんにしか見えなかったが、笑い声は元気なおっさんだった。


「見せるけど、説明はしない、って約束だったですよね。タクシー呼ばないなら僕の方で送ります。」


「そうだったわね。じゃあ、お手数かけて申し訳ないけれど、送ってもらえるかしら。」


「判りました。」


 そう言うや否や、晃と有馬一家は有馬家のリビングに戻っていた。不思議なことに下履きは何時の間にか脱げていた。


「本当に凄いわね。コレは。只々便利ね。」


 感じ入ったように頷く涼子。当然だ。ここから晃の新しい家までの距離は10km程度あり、車でも30分はかかる距離だ。それが瞬きする間に移動してしまうのだ。


「ありがとうございます。では、僕の目的は達成されたので、お暇しますね。突然押しかけて申し訳ありませんでした。では、失礼します。」


「あ、待って、連絡先を教えといて頂戴。」


「あ、ママ、ズルいわ、私にも教えてよ。」


「わたしも!!」


 口々に言う有馬家の女性達。彼女達が持つ携帯に着信音が鳴る。


「入れました。」


 言うや否や、応答する間も与えずに、晃は霞のように消えた。何の余韻も残さず、立ち去ったのだ。一方の有馬一家は、晃が消える前に立っていた場所を見て皆が押し黙る。やはり有り得ない。一様にそんな表情だった。


 基隆については、有り得ない、と言うより愕然としていると言った方が正しいだろう。基隆にとってあまり興味のない子供だった。それでもある程度は知っていると思っていた子供だった。しかし、実際には、驚天動地の化け物じみた能力を持っていた。愕然とするのも致し方ない。いや、その能力と印象が酷く変わっていることを合わせて考えると、全く知らない何かと差し替わってしまったことさえ考え得る。


 もし晃が、全く見ず知らずの他人であれば、損得を考慮して、懐柔して、脅して、金を使って取り込むか、人知れず抹殺するか、色々とビジネスとして検討することも可能だったが、身内、それも隠し子で私生児ともなると色々と難しすぎた。いや、自分だけしか知らなければ身内だろうと関係無かったかもしれないが、妻にも子供たちにも知れてしまった。


「さあ、晃君が帰ったから家族会議ね。パパには聞きたいことがたくさん有るから。」


 色々と懊悩する基隆に、涼子が楽しげに話しかける。顔を引き攣らせて青褪める基隆。


 基隆は絶望した。

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