(10)有馬家②

「薫!警察への連絡は待て!」


 驚いた顔で晃を凝視し、薫が110番に電話しようとするのを慌てて止める基隆。ほぼほぼ接触しないと言っても、自分の子供のことは判ったらしい。


 そんな有馬家の四者四様の様子を無視して、無表情に話し始める晃。いや、少し微笑んでいるように見えなくもない。


「あーー、、、夜分遅く、突然押しかけて申し訳ありません。泥棒や強盗とかではないので、安心して下さい。夜分に失礼かと思いましたが、早目に昼間のお礼をしたかったので、お伺いしました。あ、有馬基隆さん以外の方は初対面ですので自己紹介させていただきますが、僕は動坂下晃と言います。こちらの有馬基隆さんにお世話になっている者です。宜しくお願いします。」


 いきなり闖入して来たのに、自己紹介を始め、何かのお礼に来たと話して、瑕疵のないお辞儀をした奇妙な少年。腹違いの姉二人は毒気を抜かれてポカ〜ンとした。涼子は何か気付いたように、ハッとした表情になり固まった。基隆は、苦虫を噛み潰したような顔だ。


「えーと、僕は先般倒壊事故があったマンションに一人で住んでいたのですが、マンションはご存知の通りの有様で、九死に一生を得たものの、ほぼ着の身着のまま放り出されてしまいました。ですが、こちらの有馬基隆さんのお陰で、生活の目処を立てることが出来ました。本当に助かったので、なるべく早くにお礼に伺うべきと考えまして、不躾とは思いましたが、急な訪問をさせて頂きました。本当にありがとうございました。急な訪問、申し訳ありませんでした。」


 言いたいことを言った晃は再び深々と頭を下げた。有馬一家は暫く絶句していたが、何か言おうとした長女を制して基隆が口を開く。


「晃。こんなことをされては迷惑極まる。昼間の礼と言っているが、恩を仇で返すのとあまり変わらん。相手の都合を無視した礼など、全く礼になっていない。それに、お前、性格が変わってないか?お前は、こんなことをする性格でも、そんなことを言う性格でも無かったはずだ。更に見過すことが出来ないのは、ホームセキュリティなんてチンケなものとは一線を画す厳重なセキュリティのこのマンションにどうやって侵入したのかだ。人知れず侵入出来るような穴が有るならマンションの管理会社や警備保障会社に厳重注意とペナルティを与え、迅速な改善を要求する必要がある。」


 基隆的には晃の今回の行動は許容範囲を越えていたようだった。まあ、基隆でなくても普通に許される範囲を越えているとは言える。基隆のコメカミから髪の生え際付近にかけて青筋が浮き出ている。


「あーー、まぁ迷惑だろうとは思ったんですが、手順を踏むのが面倒だったんで、出来れば、今後とも勘弁してもらえると助かります。性格も言われる通りかもしれません。色々と遠慮や配慮を止めることにしたので、余計にそう見えるかも知れないです。セキュリティの件は説明が面倒くさいので割愛させて下さい。僕にはセキュリティを無意味にすることが出来るとだけ承知して頂ければ助かります。」


 申し訳ないと言いながら、全く基隆の意を汲まず、木で鼻をくくるような言いざまが腹に据えかねたようで、基隆は青筋を更に太くしながら、語気を荒げた。


「晃!誰に向かって口を利いているか判っているのか!そんな不真面目な返事は許さないぞ!!そもそも私は常識的な話しかしていない!!きちんと答えなさい。」


 財閥の一族であり、人の上に立つことが当たり前として生きてきた人間特有の、躊躇がない重々しい叱責。その上、言っていることは至極もっともで真当な話なだけに、余計に有無を言わさない圧があった。


「ん〜ん、長々と説明して判ってもらったとしても、意味が有るか疑問なので、取り敢えず説明は遠慮させてもらいます。感謝を伝えに来ただけなので、その点ご了承下さい。後、重ねて言いますが、このマンションのセキュリティは問題ありません。確認したわけでは無いですが、誰も僕のようには入ってこれないと思いますから(多分)安心して大丈夫だと想います。」


 とは言え、晃には基隆の圧など関係のないことだった。以前の晃であれば全く違っただろうし、そもそもこんなシチュエーションは発生しなかっただろう。


 一応、セキュリティの安全性には言及しているが、木で鼻をくくるような口調は全く変わらず、正に何処吹く風だった。これまでも、今日も、かなりの援助を貰ったはずだが、それすらもどうでも良さそうだったし、事実どうでも良いのだろう。


 もちろん晃の中には、実父に対する複雑な思いは残っているが、このシチュエーションでの感情的な発露は無いようだった。


「ぐぬっ」


 基隆の方は、怒り心頭で絶句、血管が切れそうになっている。おそらく今の晃のような態度を基隆に対してとる人間は皆無だったのだろう。


 正に言葉も出ず、『ぐぬぬぬ』と漫画のような状態だった。


 基隆の様子は滑稽で、表には出さなかったが、晃は心の中で『漫画かよ』と呟き、少し笑ってしまった。


「他に無ければ、帰りますね。」


「ねえ、貴方。パパの知り合いらしいけど、まあそれはどうでもいいわ。セキュリティに問題無いって言ってたけど、それなら貴方がどうやって入って来たのか教えてよ。細かい説明が嫌なら、やってみてくれれば良いわ。せめて入って来た方法を見せてもらわないと、誰にも真似出来ないなんて判らないし私達は怖くて夜も眠れないわよ。」


 帰ろうとする晃に、怒りでフリーズした父親に代わって、母親を庇うように立っていた長女の薫が話しかけてきた。


 危険は少ないと判断してのことだろう。確かに得体は知れないが、一応、父親の知り合いらしいし、興奮して暴れそうな精神状態にも見えない。体格自体も良いとは言えない上、兇器を持っている風も無い。隠し持ったナイフを取り出して、振り回したりしないだろう。


 薫の後ろで、母親の涼子が止める素振りを見せるが、思い直したように上げかけた手を降ろす。涼子も薫と同じように危険は少ないと感じ、薫の話が必要なことだと感じたのだろう。


 薫は晃が珍しい動物ででもあるかのように、上から下まで無遠慮にジロジロと見る。一拍遅れて次女の恵も薫の後ろに隠れるように近寄って来て、同じようにジロジロと晃を品定めし始める。


「で、どうなの?」


 更に問いかける薫。晃は薫の話は確かに一理あると感じた。


「その前に、貴女は誰ですか?」


「私?私はこの家の長女の有馬薫よ。後ろに居るのが次女の有馬恵。ソファーで固まっているのが母親の有馬涼子よ。」


「もう!おネエちゃん、私の個人情報を勝手に開示しないでよね。」


「うるさいわよ、恵は黙っていなさい。で、どうするの?」


 前半は妹の恵に、後半は晃に言ったようだ。


「そうてすね。貴女の言うことはもっともですが、どうやって確認しますか?ここでも可能ですが、貴女達の目から見えなくなりますから、見えなくなった後、目くらましだと言われても特に反論はしないですが、確認出来たことにならないと思います。」


「え、そうなの??それなら、、、それが確認出来るところまで私が一緒について行けば良いじゃない。排気ダクトの中を通るだの、マンションの壁を昇り降りするだの、そんな経路が有ると行けないけど。」


「ああ、そんなアクション映画のようなことはしませんから、連れて行くのは可能です。でも、貴女を連れて行くと、見えなくなった途端に、誘拐だ!とか、貴女のお父さんやお母さんに騒がれると思うのですが、そんなことになると激しく面倒で、かなり嫌なんですが。」


「う〜ん、確かにそうね。だいたいどれくらいで確認出来るのかしら。確認している最中は、スマホでママと通話した状態で行動すれば、ママも安心するんじゃない?」


「なるほど。(行って帰るだけなら、それほど時間はかからないが)10分か、(場所の確認をするのに、帰りはタクシーでも使った方が良いかも、家からここまで)30分くらいですか。」


「じゃあ、そうしましょ。私がママと通話したままで貴方と同行するわ。」


 そう言って、薫は涼子に電話をかけたが、涼子はその着信を切ってしまった。


「勝手なことを言っては駄目よ薫。確認に行くなら皆んなで行くのよ。いきなり出てきてびっくりしたけど、パパの知り合いらしいし、それほど危険は無いでしょう。だからパパ帰って来て。」


 涼子は、そう言って、怒りでフリーズしている基隆を無理矢理引き戻して状況を説明し、納得させようと話始める。そんな訳のわからない確認など必要無い。基隆はそう言っているようだ。


 結局、セキュリティに関わる部分は基隆にも不安だったらしく、そこに進展があると言うことで、消極的にだが説得されつつあった。


 この家は父親が亭主関白で、家族は父親に従う感じなのかと思ったが、違うようだ。今の様子を見ている限り、仕切っているのは母親らしい。やんわり操縦している感じだ。


 しかし、こんな感じの家庭で、良く愛人など囲っていたものだと、晃は妙に感心してしまった。基隆のことを、傲慢で人を人とも思わない人間だと思っていたが、それだけでもないようだ。


 晃の母親が亡くなったので、今でも愛人を囲っているのか、いないのか知らないが、家庭内が殺伐とした家の人間だけが、愛人を囲うと思っていた。いや、逆か。愛人を囲ったりするから、家庭内が殺伐とするのか。何れにしても、家庭内不和イコール愛人ありだと思っていたのだが、違うのだろうか。


 晃が、どうでも良いことを考えている間に、有馬一家の意見は纏まったらしい。


「では晃君。お願いするわ。」


 涼子にやんわり促される。


「判りました。」


 晃はそう言うや否や、有馬一家を人間の手ではなく"災厄"の手で引っ掴んだ。そして、自分の人間の身体と共に、自分の中を移動させる。

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