(09)有馬家①

 晃は、清水が帰った後、新品で、スプリングの効いたベットに、同じく新品の寝具を手ずからベットメイクして、真新しいシーツの上で横になった。


「ふ〜」


 別に疲れてはいなかった。はっきり言って、この身体は疲れることなど無さそうに感じる。まだ使い始めだが、負荷を感じることが無いのだ。


 リサーチに言わせると元の生活を再開するために、社会生活に支障が起きない常識的な作りになっているらしい。從って、リサーチの思い描く完璧には程遠いとぼやいていた。


 そう言うことなので、全く負荷を感じないわけではない筈だ。リサーチの考えは兎も角、人間として疲労や負担を感じる境界、しきい値が他者に比べて異常に高い、そう言うことだと思う。


 それが、心肺機能の向上、血中酸素飽和度の向上、酸素による糖分解能の向上、乳酸解糖能の向上、何れを持って実現しているのか、または全く異なる方法で実現しているのかは判らない。


 たしか、色々な医療用の検査機器で精査されても健康である以上のことは判らないように作っているとも言っていた。流石に遺伝子検査とかをされると倍数体だと判ると思うが、先天奇形としてあり得るし、奇跡的に成育したことに驚かれる程度だろうとのことだった。


 そんな具合に身体は全く疲れていない。


 しかし、一昨日、訳の判らない怪物に喰われ、一度は間違いなく死んでいる。昨日、僥倖にもこの新しい身体を手に入れることが出来て、今日、何くわぬ顔で倒壊事故の難を逃れたと言って舞い戻ってきた。そんな経緯は自分の中で間違いなくストレスになっていると思う。


 そう思って、横になって改めて自身を点検するが、、、ストレスの兆候は見当たらなかった。


 ストレスによって体に現れる変化として、身体変化があると言う。が、動悸や震え、息苦しさ、等など、この新しい身体はそんなことは何年経っても起こりそうもない。さすがに情動変化は有るかと省みる。が、不安、怒り、失望、恐怖、この身体を獲る前は頻繁に感じたネガティブな情動だが、この身体になってから常に平静すぎてそのことにイライラする位だ。


 詰まる所、身体的にも情動的にも極めて安定しており、ストレスの兆候は無く、結局休む必要は全く無いと結論せざる得なかった。晃はかつての自分自身の仕様と全く違う仕様に戸惑いつつ、仕方がないので、起きて父親の所にお礼を言いに行くことにした。


 これまで晃の生活を支援し、今回も生活基盤の再構築に骨を折ってくれたのは清水だったが、それはあくまでも晃の父親の指示の下に行ってくれたことで、費用も全て父親が負担してくれている。


 もちろん今日会った感じだと個人的に力になりたいと思ってくれている節はあったが、それはそれとして父親には感謝すべきだろう。


 かつて晃は、父親のことを激しく嫌っていた。もちろん今でも嫌っている記憶は継続している。


 母である動坂下弥生に対する尊大で鼻持ちならない態度は、今でも忘れられない。幼い頃の晃は、父である有馬基隆のことを、母に意地悪をする男とだけ認識していた。


 そのような認識だったので、晃の父に対する態度は反抗的で、よく「お父さんにそんな態度をとっては駄目よ。」と母にたしなめられていた。最も晃のそんな態度を有馬基隆は歯牙にもかけなかったが。


 聡い子供だった晃は、9歳前後には、父と母、そして自分の関係性を正確に理解するに至っていた。漏れ聞く父母の会話や行為、行動、偶に苦言を呈しに現れる母の親族と母親の会話、ネットから得た情報等々。色々なことから推測して、説明を受ける前にそれと察した。


 すなわち、母が有馬基隆の愛人で、晃は愛人である母の生んだ認知されていない子供。つまり私生児だと。当然だが、晃の態度は一層頑なになった。


 そして、10歳の頃、母親が交通事故で死んだ時、父の冷ややかな態度に、憎しみが膨れ上がったのを覚えている。と言っても『なんで涙の1つも無いんだよ!お母さん死んじゃったんだぞ!!クソクソクソ!』そんな感じの八つ当たりじみたものだったが。


 母親や晃に対する態度から、有馬基隆は冷たい人間だと晃は確信していたが、面倒事を避けるためなのか、全てを持つ者の矜持なのか、或いは余裕なのか、母親の死後も有馬基隆は晃を支援し続けた。


 実の子供かもしれないが、晃は私生児。つまり認知されていない。母の死後、児童福祉施設に晃を委せることも可能だったはずだ。と言うか、認知していないのだから、勝手に扶養出来ないはずで、里親制度でも利用しない限り児童福祉施設に任せるしか無いはずなのだ。


 しかし、有馬基隆はそうしないで、どうやったのか晃が母親と住んていたマンションでそのまま暮らせるように手配した。自分の秘書の一人である清水を支援者として当て、清水を通してハウスキーパーを用意し、学校の対応、日用品や必需品の手配等を過不足無く行った。児童福祉施設の良し悪しなど経験したことが無い晃には判らないが、施設で子供一人当たりに割り当てられる予算は、晃が享受している環境下で消費される金額とは比べるまでも無いはずだ。


 その上、今回の件、顔こそ見せる気も無いようだが、全ての要望に応えてくれており、土地(古家あり)を含め、実は二千万円前後の出費だったはずなのだ。


 どんな意図なのか晃には判らないが、感情的な部分を抜きにせずとも、只々ありがたい話だった。


 かつての晃であれば、懐かないガキに対するにしては破格の待遇だと頭で理解できたとしても、あんなクソ野郎に礼などするか!で、終わっていたかもしれない。しかし、今の晃は、激することが難しくなっている。なので、かつて嫌悪しか感じなかった相手であっても、冷静に考えれば感謝すべきだと判断すれば、お礼の一つもするわけだ。


「リサーチ。」


『大丈夫です。マスターの家族の住むマンションまで既に拡張してあります。』


 常に晃の思考をトレースしているリサーチには、改めてお願いする必要もないようだ。


「はは、家族とは言えないけど、ありがとうございます。」


 そう言って、父とその家族の住むマンションに移動した。自分の中を移動するのは正に一瞬だ。


 家族に隠し事はしない。出来る出来ないは兎も角、そうしなくては駄目だという気持ちが晃の中に有るのだが、そもそも母が死んだ後、晃は自分に家族は居ないと思っている。当然ながら父と、その家族を家族とは考えていない。父は後見人で、父の家族は後見人の家族と言う認識しかない。だから、隠し事をすることに躊躇は無いし、問題も無かった。


 ただ、そのこととは別に、この数日の出来事の結果として可能になった色々なことを、誰に対しても、隠す気はさらさら無かった。


 隠す気は無いが、説明する気も無いと言った思考停止的なスタンスを採ることにしている。それによって引き起こされる問題があるのならば無視、或いは都度対応すれば良い。そう考えている。清水がどんな報告を父にしているか判らないが、父と清水、何れかに説明が必要になったとしたら、清水の方に、より説明意欲が湧くだろう。


 屋内から屋内への移動なので、外履きは履いていない。一応、礼儀として、玄関の上がり框の段上に移動した。家主に了解も得ずに家に上がり込んでおいて、礼儀もクソも無いとは思うが。


 そう言う図々しい感じなので、当然のように特に息を潜めたりすることもなく、父とその家族が食後に寛いているリビングに向かった。


 父の住むマンションはトイレが4基あり、浴室が3室に設置されている、バス付きのメイドルームをも含む6LDK+LDK+Sという訳の判らない間取り構成で、マンション最上階を占有していた。今は独立した長男を除く家族4人で住んでおり、食事を済ましてリビングで揃ってくつろいでいるところだ。


「ガチャ」


 特に躊躇することも遠慮することも無く、玄関からリビングに向かい、観音開きのリビングのドアを開けた。


 25畳もあるだだっ広いフローリングのリビングに、黒い革製のソファーセットが置かれ、そこで思い思いにくつろぐ有馬一家。


 晃の父である基隆は、ソファーに深く体を沈め膝に置いたノートパソコンで何やら資料を査読中。或いは清水の報告書を読んでいるのかもしれない。基隆の妻の涼子と長女の薫は、時々ソファーテーブルの紅茶を飲みながら、80インチの8Kテレビで女性に人気があるハリウッド俳優の映画を見て、ときたま二人で寸評しあっている。次女の恵はソファーの上で体育座りになり、スマホを弄りながら体を揺らしていた。


 最初にドアが開く音に反応したのは次女の恵だった。ドアが開く音に反応して、スマホから目を離し、ドアの方に何の気なしに視線を向ける。


 かなりしっかりしたセキュリティを備えた億ションなので、侵入者があることなど思いもしなかったろうが、視線の先には自分より少し年下に見える見知らぬ少年が立っていた。


 目が合った少年は、あたかも知り合いが道で偶々出会ったかのように、軽く頭を下げ会釈した。


 ギョッとした恵は「え?えー?!あ、あなた、誰よ!!何処から入ったのよ!!」と、悲鳴混じりの声をあげた。ソファーからバランスを崩しそうになりながら、慌てて降りる。その際も視線は晃に残したままだ。


 パソコンの画面に集中していた基隆も、映画に熱中していた涼子と薫も、恵の只ならぬ声に気付いて視線を向け、さらに恵の視線を追って、その先に居る少年に気付く。


「え?!ど、泥棒??」


 見ず知らずの人間が、自分の住む家の中に突然現れたことにびっくりして、ソファからずり落ちかける涼子。


「ママ!大丈夫?警察!!警察呼ばなきゃ!!」


 咄嗟に母親を庇う体制に為りながら、厳しい表情で、ソファーテーブルのスマホを掴む薫。


「薫!警察への連絡は待て!」

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