(08)新居③
それから1時間を少し超えた頃、外でエンジン音が聞こえた。清水が戻ったのだろう。既に晃の領域に入って来ているので、清水の様子は手に取るように判った。
「えっ?えっ?えええーーー!??」
車から困った顔で降りてきた清水だったが、様変わりして、新築のようになった建屋や、綺麗に整えられた敷地に気付き、一瞬ギョっと驚愕の表情を見せ、キョロキョロと見廻して困惑の声を上げている。
最初の困った顔は晃を翻意させるにはどうすれば良いか悩んでの表情だったのだと思う。それが建屋の様変わりで吹っ飛んた。
「まあ、普通のリアクションかな。」
『そうですね。』
観音開きの扉をいささか乱暴に開いて清水が入ってきた。綺麗になったフロアをさらなる驚きの目でキョロキョロと見廻し、フロントの前でだらしなく座り込みスマホで動画を見ている晃に視線を止め「何をっ」と言いかけて一度止まり、深呼吸した。
「ど、動坂下さん。な、何をしたんですか?」
清水は当たり前だが驚愕していた。
つい2時間前までは老朽化が進んでいて住むのは厳しい。もし本当に住むつもりならば、かなり大規模に手を入れなくてはならない。そんな古い保養所であったものが、2時間、目を離した間に、建屋の内も外も、敷地全域も、保養所がオープンした時のようなピカピカの状態に変わっている。誰でも驚くだろう。何をしたのか聞かざる得なかった。
「え?掃除とDIYです。」
清水の言葉にスマホの画面から視線を上げた晃は困ったように答えた。
「に、2時間足らずでこの保養所の内も外も、掃除とDIYで綺麗にしたと言うんですか?例えワンルームだったとしても、ここまでするのは無理だと思うのですが。」
「いえ、だいたい30分位でしたね。」
更に無茶苦茶なことを言う。
「さ、30分?無い、有り得ない。。。」
納得できる説明があるとは思えなかったが、晃もこれ以上の説明をするつもりは無いようだった。
「すみません。説明が面倒臭いので、これ以上は勘弁して下さい。そのうち機会があれば話すかもしれません。それより、ここの契約やライフライン開通、生活用品の手配とかはどうなりました?」
説明が面倒だから、これ以上は聞いてくれるなと言う。納得できるものではないが、清水は、ぐっと堪えて質問に答える。
「、、、こ、ここは弊社子会社の保有物件なので契約は問題有りません。社長の指示で名義は何時でも動坂下さんに変更出来るように仮契約の状態になっています。ライフラインについてですが、水道は即日開通することが出来ましたが、電気については明日、ガスについては3日後に開通します。家具、家電、寝具、厨房器具、食器、生活雑貨、学校関係の諸々などについてはご要望のものを掻き集めましたので、もうすぐ届くと思います。」
手間がかかっているようには聞こえないかもしれないが、本来、ライフライン開通はもう少し時間がかかるし、要望のものを短時間に掻き集めるのも、それなりに骨が折れた。
「え。普通、電気、水道は3、4日、ガスは1週間以上かかるとネットに出ていたんですが、そうとう無理を言ってもらったみたいですね。それに色々頼んた物も、あの短い時間で全て揃うとは思っていませんでした。無理させたみたいで、申し訳ありません。ありがとうございます。仮契約は本契約にしておいて下さい。」
清水は、有り得ない状況で、もやもやした気分のまま問われたことに答えた。しかし、あながち嘘ではない感じの謝罪と感謝を送られたことで、ずいぶん気分が良くなった。我ながら単純だとは思ったが、この保養所での出来事は、取り敢えず自分の胸に納め、話しても良いと晃が思うまで待つのも有りかと考えることにした。
もちろん、どうしたらあんな老朽化した建屋がこんな短時間で綺麗になるのか、荒れ果てた敷地が整然と整うのか、問い詰めたいのは山々だった。その衝動は燻ぶっていたが、タイムリミットが来たようだ。
「荷物が届いたようです。」
外にエンジンの音がしたので、手配していた荷物が届いたのだろう。
「じゃあ、僕の方で搬入をお願いしてきます。まあ、基本は全部101号に入れて貰うだけなんですが。完了のサインとか清水さんじゃないと駄目だと思うので、作業が済むまで少し待って下さい。」
晃は、そう言うや、「判りました。お待ちしています。」と答える清水にお辞儀をして、作業員の方に、指示を出し始めた。
「その靴と傘と自転車は玄関口に置いておいて下さい。下駄箱の前に邪魔にならないように置いてくれれば良いです。大きい家電や家具は台車に載せてエレベータで順次上げて下さい。養生シートとか有るなら使ってもらった方が良いですけど、無ければ無いで大丈夫です。小さいものや軽いものは階段でお願いします。何れも101号室に。」
それを聞いて、電気の開通日を晃が勘違いしていると思った清水は、慌てて止めようとした。大変だが、全部階段で上げてもらうようにお願いするしか無いかと考えながら。しかし止める前に、「判ってます清水さん。大丈夫ですから。」と晃に機制を制されてしまった。
この建物は屋上、2階、1階、地下1階を繋ぐエレベータが有る。この階数なら必要無いくらいなのだが、建屋自体の規模の割に籠も大き目なものが用意されていた。
流石に電気が来ていないので、動くはずもないし、長くメンテナンスをしていないはずなので、電気が来ても危なくて使えない。そもそも通電しても動かないのではないかと思っていた。
しかし、清水を制した晃が上ボタンを押すと電気も来ていない筈なのに、お馴染みのチーンという音をたててエレベータの扉が開いてしまう。中は建屋同様綺麗なもので、蛍光灯も点灯している。
あ然とする清水に気付くこと無く、作業員は台車に家電を載せて、晃とエレベータで2階へ上がって行った。
それから何度か台車を押した作業員が1階と2階をエレベータで往復したが、晃は降りて来なかった。多分2階で配置や取付の指示をしていたのだと思う。
清水には全くわけが判らなかった。
あの未曾有の倒壊事故は夜間のことだったので、朝のニュースを聞いて、出社後、社長の出社を待って社長室に飛び込んだ。社長は既に知っていたにも関わらず、何もしていなかった。清水は問い合わせると言ったのだが、被害者の身元が判ればマンション契約時に緊急連絡先になっている清水に連絡があるだろう。問い合わせても混乱していてろくな回答は無い。時間の無駄。社長はそう言って、清水の話に取り合わなかった。
そう言われても、世話を任されていて、薄いながらも繋がりのある少年に対して無関心ではいられない。何とか繋がった110番では社長の言う通りの対応だったので、学生時代の知人の雲形が所轄の警察署勤めなのを思い出し、状況を教えてくれと連絡した。何とか調べようとしてくれたようだが、結局判らず、連絡を待つように言われた。
あのマンションは会社的な繋がりは無かったものの、知人が住んでいると言う人間も社内にいて、その日は1日中社内がざわついていた。
そして今朝、いきなり晃から連絡があった。無事だったと判り安心したのだが、当然ながら倒壊で何もかも無くしてしまい、生活の再構築支援をお願いされた。社長に状況を話して許可を得、色々手配して、少し待たせたが、ようやく迎えに来れた。
だがしかし、何やら雰囲気がおかしい。その生い立ちから中々人と馴れ合わない少年という印象だったが、清水に対する時、たまに見せる少年らしい含羞は好感がもてたものだった。それが今回は全く無い。
無礼ではないが、以前より余計に慇懃になっている感じで、人を寄せ付けない雰囲気だ。何か威圧感まで感じる。恥ずかしがりで人に傷付けられることを恐れてはいても、それほどには他者を拒絶してはいなかった筈なのに、そんな佇まい(たたずまい)は霧散し、硬質で取り付く島のない、全てを遮断したような雰囲気に変わっていた。
いったい何があれば、これ程変わるのか。晃が言う通りのことしか無ければ、これ程は変わったりしないと思う。最初に『お前は誰だ!?』と思ったのだが、今の有り得ない状況を考えると、あながち間違いでは無かったのかもしれない。
もしこの状況を説明するのに思い付くことがあるとすれば、悪巫山戯(わるふざけ)な番組によるドッキリの企画ぐらいだろうか。しかし、流石にそれは無いだろう。一般人で、しかも倒壊事故の被害者なのだ。
では他には何が?ホラーやサスペンスには聞かない展開だ。SFかファンタジーだろうか。また、最初と同じような思考になってしまっている。何れであっても清水には手に余った。
「清水さん。今日は色々手配して下さって、本当にありがとうございます。おかげで、寛げる場所を確保出来ました。」
作業員が、一通りの作業を終えて帰って行ったので、清水も会社に引き揚げることにした。晃にはゆっくり休むように言った後、この物件の鍵を渡して、今は自身のハリアーの運転席で晃のお礼を聞いている。
「いえ、お世話するのが私の仕事ですので、お気になさらないで下さい。昨日はゆっくり出来なかったでしょうから、今日はゆっくりお休み下さい。何かあれば連絡頂ければ対応しますので。」
清水は内心のモヤモヤする気持を押し殺し、穏当な大人としての言葉を無理して絞りだした。
「はい。その時は宜しくお願いします。あ〜、それと清水さん。色々あるにはあるんですが、僕は動坂下晃で間違い無いですから。お前は誰だ!?って顔は勘弁して下さいね。すっかり鉄面皮になったことは認めますけど、何時もお世話になっていた清水さんにそう言う顔をされるのはかなりキツいので。詳細を話せる時が来るか判りませんが、少なくとも今は無理なのでご容赦下さい。だからと言って積極的に隠蔽する気も無いんですが。はははっ。」
「っ!!」
清水は肝を冷やし絶句する。それほどあからさまに顔に出てただろうか。きっと出てたのだろう。自覚もあった。
青褪めるとともに、羞恥に頬を赤らめると言う器用なことを自分がやっているのを意識した。
「え?!あー、ごめんなさい。どうも不意打ち過ぎでした。すみません。」
清水の予想以上の動揺っぷりに驚いた晃が、慌てて頭を下げて謝罪した。晃の前では感情を表さないことを常としていた清水だったので、少し驚く程度だろうと晃は思っていたのだ。それが、案に相違して激しく動揺したものだから、逆に晃の方が驚いてしまった。
「い、いえ。だ、大丈夫です。」
「さっきは、ああ言いましたが、ダメージとか全く無いので、大丈夫ですから。既に気付いたとは思いますが、結構精神的に図太くなっているので問題は有りません。色々と怪しい行動や素振りで清水さんに疑念を持たせるようにしたのは自分なので、辛いとか言える立場ではないのは承知していますし、あくまでも冗談のつもりだったので、本当にごめんなさい。」
根本的に変わったのは間違いないだろう。清水の動揺を見て狼狽えたように見える晃だったが、実際にはそんなことは無さそうで、狼狽するような様子の裏側では、そよとも動かない凪いだ心があり、清水を静かに観察しているようだった。
ただ、清水の動揺に責任を感じ、心からの謝罪の意を示しているのは本心であるように見えた。話の中で何時もお世話になっていると言っていたが、清水をからかうために嘘まで言う必要こそ無いだろうと思う。おそらく、何時も世話になっていると言う気持を持ってくれているからこその謝罪なのだろう。清水はそう結論して、自分を立て直した。
車から降り、「謝罪を受け入れます。」と言って、深々と頭を下げ、「何時も世話になっていると思ってくれていたことに感謝します。」と言った。
「仕事の一環でお世話をしている私としては過分な言葉です。感情移入を避けてきたつもりでしたが、そうは行かなったようで、違う印象の動坂下さんに動揺して醜態を晒したことをお詫びします。色々とご事情がお有りのようですので、不躾な質問は致しませんが、今後とも支援が必要であれば仰って下さい。本日はこれにて失礼します。先程も言いましたが、ごゆっくりお休み下さい。」
そう続け、ニッコリと笑って、ハリアーを運転して帰って行った。
「清水さん、思ってた以上に出来る人そうだし、切り替えも早い。なかなか信頼も出来そうだ。」
晃は新しい自分の視点で清水を見直し、信頼感を新たにした。
『そうですね。ああいう方なら、洗脳せずに協力関係を構築出来るかもしれませんね。』
「洗脳?」
『ええ、そうです。敵対的、或いは潜在的に敵対が予想される個人や組織を黙らせるには有効ですから。科学的手法、魔術、仙術、神術、霊術的手法など各種可能なので。』
「。。。なるほど。まあ、ほどほどでお願いしますね。」
顔をしかめて、勘弁してよというジェスチャーをした晃だったが、完全否定はしなかった。自身の安寧に他者の不利益を選択肢として持つ発想は以前の晃には無い部分だった。
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