(07)新居②

「ここ、中見れないですか?」


「え?ええ、キーボックスがあるので見れるとは思いますが。」


「じゃあ見せて下さい。」


 晃の意図が判らないまま、キーボックスから鍵を出して、内覧する。予想に違わずホコリが屋内を覆っているので、土足のまま屋内を見て廻る。


 最近、不届き者の侵入があったようで、一部の部屋のガラスが割れ、室内には複数人の足跡が残されていた。ジャンクフードや飲料のゴミが散乱し、一部のゴミは生ゴミで腐敗臭がしている。窓は兎も角、破損する器物などは残っていないので壊しようも無いが、壁にスプレー塗料による品のない落書きが残されていた。侵入した奥まった部屋からその他の部屋にも移動した痕跡はあったが、何も無いことが判り途中で止めたようだ。


 本当に何も残っていないようで、下駄箱の様な造り付けられた家具は残っているものの、ロビーの応接セットや、備品類などは、置かれた場所の床の色の違いで、存在した痕跡だけがあった。


 研修施設と言うより、やはり保養所寄りと言った感じなのだろう。部屋数は10室もないが、各部屋は小ぢんまりとしているとは言え、寝室にリビングルーム(パーラー)が別についた客室で、スイートと言って良いだろう。もちろんベットやテーブルセットなどは撤去されているが、浴室やトイレもあるうえ、小さなキッチンまであった。高級ホテルの最上階スイートのように、寝室が2つ以上、広々としたキッチンや食堂まである、といったことは流石にないが、かつては寛げる空間と言った感じだったのだと思う。


 宿泊施設の他は、フロントやロビー、多目的室や厨房に食堂、大浴場といったものが1階に集まっている。地下にも施設があり、器具は撤去されているがジムとして使っていた部屋とプールがあった。もちろん水は抜かれている。


 全体的に古く、壁や天井は染みが浮いている箇所があり、雨漏りしていそうな感じだ。ドア、窓枠など建付けが悪くなっている印象で、壁紙なども全体的に黄ばんでいて剥げているとこもある。黄ばみは喫煙禁止などの概念も無かった頃から有った為にヤニで変色しているのだろう。コンクリート部分は経年劣化だろうか、クラック(外壁や内壁、基礎などにできる亀裂やひび割れのこと)も目立つ。何れにしても手を入れずに使えそうな感じは無かった。


 一通り見廻って玄関ホールまで戻ってきた晃は不得要領なまま付いて回っていた清水を振り返った。


 「今から僕は必要最低限の掃除をするので、その間に、購入契約をお願いします。土地物件なんだから売地ですよね。父は文句を言わないでしょう。済んだらガスや水道、電気などライフラインの開設処理と、手配して頂いたベットや寝具、机その他の生活必需品、学校関係の諸々など、全て101号に入れてください。部屋には幸い洗濯機置き場もキッチンもあったので、洗濯機も調理器具や冷蔵庫も部屋にお願いします。」


「え?」


「ここにします。ここに住むことにしますので、その手続き等々をお願いします。」


「え?、え?、しかし。。。」


「何か問題がありますか?」


「も、問題はあると思いますが?かなり老朽化が進んで、取壊し前提の土地物件のようですし、、」


「うん。そうみたいですね。でも大丈夫です。現況渡しでしょうから上モノをどうしようが、買主の勝手でしょうし、瑕疵担保を要求する訳でもない。」


「い、いえ、しかし、かなり古くて、有り体に言って廃墟の類です。年代的に、き、旧耐震基準の建造物なので、この建屋を利用するのは昨今の群発地震事情下では危険でもあります。それに動坂下さんはマンションのことがあったので、その辺りは気になるのでは、、、」


「大丈夫です。DIYは得意ですから。最新の耐震基準にも準拠出来るように補強します。」


「DIYって。。。それはちょっと無理なのでは?それに、こ、この広さですから清掃はハウスクリーニングを手配しなければ手が回らないと思います。ご自分で掃除すると言われましても掃除機すら無いのですが、、、」


「大丈夫です。掃除は好きなので、清水さんが手続きを行ってくれてる間に近くのコンビニでモップとかを買ってきて、ぱぱっと済ませます。少々広くてもそれほど労力はかけませんので、問題有りません。」


「。。。」


 結局、晃は清水を絶句させてしまったが、清水が色々と留意した上で晃に翻意を促してくれているのは理解出来た。電話の時に考えた様に清水と言う女性は最適と考えて事務的に対応しているものの、実際には誠意ある人間なのだろう。


「勝手言って申し訳ありません。色々と無理言いますが宜しくお願いしますね。」


 晃に押し切られるように清水は手続きや手配の為に出ていった。おそらく2時間程度はかかるだろうとの話だった。


『では、そこまで拡張しますね。』


 清水が出ていくと、早速リサーチから領域を拡張すると言ってきた。晃がココに住もうかと考え始めた時からスタンバイしていたようだ。今の言葉のニュアンス的に、直ぐにでも到達しそうな感じだったので、おそらく、通信網への侵蝕の一環として、この近くにある共同溝等を既に侵蝕しているのだろう。


 共同溝というのは一般的に幹線共同溝のことで、電話・電気・ガス・水道・下水道などの幹線導管を収容する施設のこと。主として車道の地下に設置されている。


『ご明察です。この一帯の幹線共同溝や供給管共同溝、電線共同溝などのケーブル類が格納された施設は軒並み侵蝕済です。』


 やはりそうだったらしい。直近のソレから侵蝕を拡げて、この地所まで拡張を行なっている最中なのだろう。


『到達しました。』

 

「早いですね。じゃあ、そのまま敷地ごと建屋を取り込んで下さい。その際、ホコリ、ゴミ、害獣、害虫、雑草の類をフィルタして除去してもらって、同時にリサーチさんのナノマシンを敷地や建屋に配布して修繕強化して下さい。」


『了解しました。それから、私のことはリサーチと呼び捨てでお願いしますね。』


「え、はい。判りました。」


 そんな遣り取りの間にも晃は自分自身に敷地や建屋が追加されて行くのを感じていた。"災厄"たる晃にとって、侵蝕するとは他を自身に加えると言うことだ。


 人間の身体に意識がある今のような場合、それは非常に奇妙な感じがする。本体に意識がある時ならば、それほど違和感が無い。自身を拡張していく存在である"災厄"にとっては何でも無いことだからだろう。


 実際には、既に侵蝕済の共同溝や、共同溝からここに至る土地も追加されているのだが、要所と考えられる領域以外はリサーチが制御してくれているので晃は意識していない。


 とは言え、晃とリサーチは、今もって"災厄"の全てを把握してはいなかった。把握しているのは全体との比率から言えば限りなくゼロに近い。いや、ゼロと言って差し支え無い程度だろう。


 この身体を作る前に"災厄"の把握を試みてはみたが、把握の進捗によって意識が希薄化し、意識消滅の恐怖からパニックに襲われ断念したので、出来る範囲で少しずつ把握することにしている。


 考えて見れば当然だ。動坂下晃と言う"災厄"には比ぶべくもない小さすぎる存在であっても、自身の全てを把握してはいなかったのだ。"災厄"などと呼ばれ、宇宙航海種族が"広域を専有するエネルギー生命体"と称する何かを一朝一夕に把握出来るはずもない。


 把握できるのが何年後か、何万年後かは判らないが、言ってみれば時間は幾らでも有る。


 別に世界を喰らったり、破滅させたり、征服したりといった、危険な予定が有るわけでもない。


 なので、現状は、"災厄"がこの世界に入り込んでいる接点のこちら側の全てと、こちら側で拡張していっている部分をリサーチと共に把握し、接点から向こう側は徐々に把握と解析を拡げて行き、それ以外の部分は警戒網と防御だけ生かして、後は休止させている。そう言う状況だった。


 晃にしろリサーチにしろ、一度は無くした命なので、この奇妙な第二の生を焦って乗りこなそうとする必要は無いだろうと結論していた。


『終わりましたね。』


「てっ、早っ?」


 自分に足された家屋を、外に出て見るとはなく見ていたのだが、思いの外ナノマシンによる修復強化が早く終わったらしい。


 コンクリートの圧縮率を上げて追加充填したり、木材部分の含水率を下げて収縮した部分を空隙充填性接着剤で補修したり、鉄筋の補充、筋かいの追加、クラックの充填など、ネットで漁ると出てくる程度のことは、どう言う方法かは置いておいて、全て実施しているようだ。


 さすがに、鉄筋や筋かいの部材までナノマシンに作らせてはいないようで、リサーチが何処からか調達して封入、追加しているらしい。何れは全てを強化素材に差し替えるとのことだが、必要性に疑問が残るだけで、何の問題も無いだろう。


 兎に角見た目が全く違っている。新築?と言った感じで綺麗になっており、取り壊し予定だった建屋とは思えない状態だった。


 内部も綺麗になっていて、見た感じ壁や天井は染みもなく、ヤニの跡もない。恐らく建付けが悪かった箇所も、修繕されているのだろう。例の外部から侵入の形跡があった部屋辺りも綺麗に補修されていて、落書き等も当然全く残っていない。


「凄く綺麗になってますね。ありがとう。リサーチ。」


『いえ、マスターの快適を確保するのは私の義務ですから。』


「あ、ありがとう。」


 普通の高校生だった晃は、ストレートに謙られる(へりくだられる)ことなど無かったので、リサーチの態度には少し困惑している。確かにコミュニケートは関係性の上に成り立つのだろうが、もう少し気安い感じに変えていきたいと思っている。


 何れにしてもリサーチが有能なおかげで、清水が外出して、まだ30分程度しか経っていないのに全て終わってしまった。清水を待つ以外、特にすることも無い晃は、靴を脱いでロビーに上がり、フロントを背に、だらしなく座り込みスマホを弄って時間を潰すことにした。


 ロビーに敷き詰められた絨毯も、往時の毛足と鮮やかな色を取り戻しており、豪勢な感じで直に座っても心地よかった。

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