六月十二日


「はいはい」


顔に似合わない低い声が返事をする。

声帯が石なのかと思わせるゴロゴロとした質感だ。


「お忙しい所恐れ入ります。雨宮です」


「はい、どうも。またお客さん持ってきてくれるの?」


「いやいや」


自らの名刺に心霊研究家と印字している案徳は祖母が恐山のイタコだと自称する還暦を過ぎたオカルトマニアだ。

霊による悩みを抱えた人をターゲットとする霊障相談窓口なる活動の傍ら、自身で起こした会社で運営している移動式お化け屋敷のプロデューサーを務めている。

最近では資金繰りの悪さから一枚百円で心霊写真の供養を請け負うという罰当たりな商売も始めたと聞く。

これが意外にも需要があるらしく、全国から写真だけではなく曰く付きの品まで途切れることなく会社に送られてくるといい、これに欲をかいて古いお守りなど処分に困る神聖な品も受付け始めている。

案徳は、時々送り主が同封してくるという写真や品にまつわる話をまとめて本を出版することが目下の狙いだと笑っていた。

逞しいというか俗物というか、穏やかで一応の倫理観は持ち合わせている人間ではなかったら絶対に付き合ってはいない。


「今日はちょっと相談が。案徳先生のお知恵を頼らせていただきたいわけです」


俺ならいつでも無料だと高笑いする案徳の声が途切れたタイミングで、台東区と赤坂の張り紙について話した。

心地の良い相槌から相談窓口が半端なものではないことがわかる。


「なるほど。まずは、雨宮くんも今言ったけど一昔前の力士シールだ」


目を閉じた二つの人間の顔が片目を共有する形で結合したイラストのそのシールは2008年頃から都内各地で多く見受けられ、分厚い二重顎などの特徴から力士シールと名が付き、オカルトのにおいがたちこめる不気味さから一時話題となった。

判明しているのはイラストを描いたアーティストだけであり、今回の張り紙と同様に誰がどんな目的で貼っていたのかは現在でも謎のままである。


「えぇ、それが何か?」


「あれについては僕らのような霊識者の間でもよく意見交換をしていた時期があってね。僕らの間では呪い返しのためだという説が有力だったね」


「確か当時のネット上では結界説なんてものもあったと記憶していますが、呪い返しですか? 文字通り何らかの呪詛をはね返す術ということですかね」


「雨宮くんは形代をご存知かな?」


神道ではこの世にある全ての物には神や霊または人の魂が宿るとされており、その対象は依り代と呼ばれる。形代はその依り代の一つで、平たくいえば自らの厄や穢れを引き受け祓ってくれる自分の身代わりだ。氏名と生年月日を記入した人型の紙を撫でて厄を移し、息を三回吹きかけ封じ込めてから川に流して災いを取り除くという。

雛人形も形代のために作られたものだ。


「身代わりですか。祭事なんかもありますね」


「そう犠牲になってくれる自分に見立てた人形のことだ。それを攻撃に転換したのが藁人形に五寸釘を打って相手を呪う丑の刻参りというわけだ。藁人形という形代に釘を打つことで生身の人間に災いをもたらすことが可能なら、自分にやってくる呪いを形代へ流すことも可能だ」


「それで呪いを返すとは?」


「憶測の範疇ではあるけれどね、力士シールに髪や血などの自分の一部を付着させれば人面の形代として成立する。それを都内各所に点在させることにより送られた呪いがあちらこちらを迷う。そんなことを露知らぬ呪術者は懲りずに呪いを放ち続け、やがて行き場を失った呪いは返っていくというわけ」


非現実的な考察ではあるが、もし呪いの類を本気で信じている者が呪いを返すため、あるいは心の安寧のために貼り付けていたとすれば一つの仮説として悪くはない。


「今回の張り紙も呪い返しの可能性があるということですか?」


「うん、そう。今の話ね、昔よくネットの番組で話したり掲示板に書いていたから水面下では通説になっていると思うのよ。どこかで僕らの見解を知った人が試しているのかもしれない」


自分の影響力を過信しているような気もするが、案徳はマイナーなオカルトビデオなんかにも度々出演しておりそれなりに名はあるため発信源になり得るのかもしれない。


「描かれている瞳の中の、鳥居と桜のマークについてはどうお考えですか?」


「鳥居には神域と俗界を隔てる門の役割があって、災いを跳ね返す結界と言ってもいい。桜は儚く散ることから死を連想させる花という見方もあって、つまり鳥居で飛ばされた呪いを防ぎ、桜という死で新たな呪いを返しているのかもしれない」


「なるほど。それでは力士シールの話も合わせて、案徳先生のその見解を記事にしてもよろしいですか?」


「構いませんよ。ちゃんと僕の名前をきっちり載せて心霊研究家案徳を売ってくれるのなら」


「えぇ、それはもう。案徳先生の事業の全てもばっちり宣伝します」


豪快な笑い声が耳にぶつかる。

可愛げのある富と名声の亡者だ。


「あ、書くならさ、鬼門についても触れたら? 最初は台東区で今は港区でしょ? 江戸城の千代田区を中心として鬼門と裏鬼門に張り紙があるよ」


体中の毛穴に突き刺さる細い電流を感じた。

頭の中で都内のおぼろげな地図が浮かび上がる。


「裏鬼門ですか。この件と平行しているネタに関連して台東区が鬼門の位置にあることは念頭にあったのですが、鬼門を結んでいるとは気付きませんでした」


「あら、もう一つ抱えているの?」


「えぇ。少し前に案徳先生へ繋いだ若い男性から派生したネタです。怨霊トンネルの件ですよ」


手に持ったままになっていた煙草をくわえ火をつけた。

吐き出した紫煙の先から黒いアルファードがクリープで迫ってきている。

ヘッドライトがまるで俺を睨みつけているみたいだ。


「あぁ彼ね。怨霊トンネルはもう原稿を書き終えたのでは?」


「それなんですけどね、霊障を受けたとされる女性にもインタビューを取ろうとしたのですが、行方がわからなくなっているそうで。案徳先生に除霊を頼んだ彼、何か話していませんでした? たとえば牛鬼というワードはありましたか?」


「あの妖怪の? 彼は西日本の出なのかな?」


アルファードが路肩に停まり、数人の男が一様に俺を見ながら降りてきた。

ノーネクタイでワイシャツを着ている男もいれば股の辺りまで裾が下がったTシャツの男もいる。どの男もベーシックな印象はなく、柄や色が派手だ。


「いえ牛鬼伝説のことではないです。取材を進める中で牛鬼が頻出しているので彼も口にしたか確認しました。牛鬼についてわかったのは牛鬼様という降霊術ゲームがあるということくらいで。鬼門も牛鬼様においてキーワードでした」


気もそぞろで案徳に言葉を返した。

男達は明らかに俺への敵愾心を剥きだしにしているようだが車の周辺から動こうとしない。

電話を警戒しているのだろうか。

Tシャツの下に長袖を着ていると思っていた手前にいる男の腕が、手首まで伸びたタトゥーで覆われていることに気付き緊張感がさらに増す。


「あぁ牛鬼様なら私も知っているよ。そういえば怨霊トンネルも降霊術が主軸の怪談だったね。ちょっと似ているとこもあるね」


煙草を踏み消すためにゆっくりと腰を浮かした。

四十年近く男として生きてきた経験則が、逃走が吉だと判断した。


「似ている? と言いますと?」


俺が煙草を踏んだと同時に男達が一斉に動き出す。

逃走の企図を見透かされているのか、扇状のフォーメーションをとっている。


「怨霊トンネルは降霊に参加する人数分のクラクションを鳴らすし、それが牛鬼様でも人数分の線香を焚くでしょう? それに禁忌も類似している。怨霊トンネルでの禁忌は火で、牛鬼様では煙だ。線香の煙に何か他の煙を混じらせてはいけない。たとえば、煙草とかね」


「牛鬼様の禁忌が煙? 牛鬼様の話をしてくれた方がルールについてうろ覚えだったので、その情報は知らなかったです」


牛鬼と怨霊の接点に納得しようにも、遂に俺を囲んだ男達について頭がいっぱいになる。

暴力の気配が見えない靄になって俺の全身を包んでいた。


「力士シールに引っ張られたことだけど、米を捧げるって聞くとお金を払うみたいだよねぇ」


「失礼、客がきました。かけ直します」


案徳の返事を待たず通話を切り、携帯をバッグへ押し込んだ。

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