第5話・六月十二日
東京メトロ千代田線の列車内で、自作のファイルを広げた。
通勤ラッシュですし詰めとなるこの路線も、昼下がりとなれば座席でファイルを広げられる余裕がある。
ファイルは三日前の取材後に桐瀬と別れてから台東区中を歩き回り撮り溜めた謎の張り紙の写真と、規則性を探るため昨日もう一度台東区へ出向いて書き連ねたメモと考察で埋まっている。
雑な文字だが自分の整理用なので問題はない。
調べた結果、張り紙のサイズはどれも一律であり張られている区域はまばらだった。張られているのが路地裏や人気のない公衆トイレなどあまり人目につかない場所という特徴はあったもののそれは他が除去されたことを考慮すると規則性とは言い難い。
現に数は多くなく、台東区のどの場所に集中的に張られていたのかは、ブログやSNSで写真を上げていたネットユーザーの情報を漁ってみても仮説すら導き出せず仕舞いだ。
張り紙が出現したのは大体先月の半ばから終わり頃。
統計をとって導き出せたのはそれくらいだ。
付近の住人や店の従業員などへの聞き込みで得た情報は錯綜しておりどれも材料としての力は乏しい。
誰かによればアートで誰かによればバンドメンバーの募集で、剣呑な雰囲気の怪しい集団を見かけたと言う者もいれば夜中に中学生くらいの子供が不審な動きをしていたと言う者もいた。
せめて大まかにでも共通したオカルトめいた噂が頻出すれば写真にその話を備え、客観性を重視した考察でまとめれば記事としては成立するが、結局そういった話は出てこなかった。
そんな矢先、件の張り紙が今度は港区に散見されている事をSNSから知り得たのだ。
目撃情報が上がったのは港区の赤坂区域で、アップロードされた画像にはポストや金網など比較的目に付く場所に張られている、黒い背景に白い眼が浮かぶ張り紙が確かにあった。
唯一台東区で見られていた張り紙と異なるのは、瞳の中央に描かれていた鳥居が桜のマークに変わっていた点だ。
規則性は未だ不明ではあるが、その小さな変化が何らかの意味を孕んでいると踏み、牛鬼の件はどうするのだと難色を示した編集長の尾川を説得して半強制的にゴーを出させた。
牛鬼については台東区でも有益な情報は一切得られなかったため、牛鬼と関連するアスミと放火少女が入り浸っていた北橋界隈で今日も取材を続けている桐瀬から報告があり次第動く予定だと落とし込んだのだ。
SNSでアップロードされていた張り紙のある場所は、駅から地上へ出てすぐのTBSが見下ろす赤坂通りの外灯の柱をはじめ、氷川坂にあるポスト、檜町公園内のバスケットゴールを囲う金網、数ヶ所のコンビニ周辺などであり、張られてから日が浅いためかどれも未だ健在だった。
スタンプラリーのような張り紙巡りを終えた次にSNS上では未発見の張り紙を探すため二時間ほど辺りを彷徨い歩き、新たに二枚の張り紙を写真に収めた。
それで遂に脚力が限界を向かえ、堪らずブロック塀の張り紙の下で糸が切れたように座り込む。
見ているだけで童謡が聞こえてきそうな園児の散歩の列が俺の目の前をゆっくりと横切っていく。
引率の若い女の目が頭上にある張り紙の目を真似ているかのように白い。
視線に負け、別に見たくもない初夏の曇り空に顔を向けてみる。
散歩の列が長いのか歩幅が短いためなのか中々行ってくれない。
散歩か……。
こうして張り紙巡りをしてみると、張り紙の場所には特別な意味はなく、気まぐれに辺りを歩き人目を盗めるタイミングがやってきた時、去り行き際素知らぬ顔で張っているイメージが湧いた。
サイズがハガキより少し大きい程度であるため可能であると思うし、張り方がどれも丁重ではなくほぼ真横に近い状態の張り紙もあったことからそんな想像をしたのだ。
台東区では残されていた張り紙が人気のない場所であったためか赤坂とは異なり綺麗だったことも後押ししている。
そして張り紙の主は恐らく一人だ。
もし複数人いるとすれば新たな張り紙の発見に脚にダメージを負うほどの時間を要することはなかったはずだし、最初に発見されてから日が浅いとはいえ港区の赤坂区域を出ていないという点が、先の台東区は限定的ではなかったことを踏まえて腑に落ちない。
まるで散歩の傍ら適当にばらまいている、そんな気がする。
そうだとして、肝心の目的はなんだ?
目的さえもない酔狂や愉快犯か、自分の行いにより世間が騒ぐことで承認欲求を満たしている愚者か、稀有なフェティシズムか、あるいは不気味なイメージ通りに呪詛の類なのか。
俺に相槌を打つように電線にとまったカラスが短く鳴いた。
もし呪術だという何らかの裏づけを取ることができれば、事実はどうであれあくまで考察として記事にすることはできる。
そう思案していると、頭の片隅にある暗がりに眼鏡をかけた好々爺の顔が浮かんできた。この好々爺なら呪詛についても詳しいはず。
そういえばA氏と会っている彼はアスミの件に少しだけ関わっている人物でもある。A氏が俺に語らなかった話もあるかもしれない。
ショルダーバッグから携帯を取り出し、案徳玄治郎の名を押した。
コール音は一緒に取り出した煙草の箱から一本抜き出してすぐ途切れた。
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