六月九日
駅のコインパーキングにルーミーを駐車し、そこから歩いて大学へと向かった。
学舎には見えない肉厚な四角のビルまでは十分とかからない。
待ち合わせに指定されたのは大学前のバス停の、道路を挟んだ向かいにある児童公園だった。
檻のように緑のフェンスで囲まれた敷地に入り、手前のベンチに腰を下ろす。
ベンチの中央には肘掛の様相をした隔たりがあるというのに桐瀬は俺の隣には座らず、隙間に苔が詰まった石畳を木の下で冷たい顔のまま見下ろしている。
公園でのその様は、待ちぼうけをくらっている誰かの恋人に見えた。
きっとこの恋人は泣くことも怒ることもなく、すぐに見切りをつけて颯爽と立ち去っていくのだろう。
「そういえばさっき聞きそびれたけど、放火の女の子のことで独自にわかったことって何かある?」
俺が調べているアスミと桐瀬のネタの少女に牛鬼という微少ながら異質な関連がある以上、情報共有は怠りたくない。
そのための協定でもあるというのに、情報を全て与えたのは今のところ俺だけだ。
「都内の定時制高校に通う十六歳で、中流家庭の末っ子です。中学時代のクラス内で起こった些細なトラブルを理由に中学二年生の頃から不登校気味になっていたそうです。その頃から別の学校の生徒や高校生などとSNSを通じて知り合い、素行不良も目立ち始めたといいます」
石畳を見下ろしたまま台詞の練習のように桐瀬が淡々と答えた。
氏名もわかっているのだろうが、俺の余計な一言を予期して省いたのだろう。
「その子、補導歴はあった?」
「飲酒など、ありがちなものはほぼ。日も浅いので裁判ではかなり影響するでしょうね。そうではなくても重罪ですが」
少女の親が頭に浮かぶ。
名も顔も知らないためオーソドックスな恰好をした後ろ姿だが、精根尽きたのだと背中でわかる。それはきっとすぐそこの未来で現実になる二人の後ろ姿なのだ。
黙り込む俺に、桐瀬が久しぶりに視線を合わせてくる。
「編集長が写真の件の際に言っていたのですが、お子さんがいるそうですね。しかもこの少女と歳が近いようで」
「なんだ知っていたの。そう、だから娘と重なる子の事件を知ると他人事には思えなかったりするわけだ」
桐瀬が桃色の唇を微妙に前へ突き出し、逡巡をこちらに伝える。
誘い水のつもりで眉を上げてみた。
「お子さんが都内にいらっしゃるなら行動に注意した方がいいですよ。別々に暮らしている以上難しいとは思いますが」
「いや娘は元嫁の実家だから地方だけど、何に注意するの?」
「学校や家庭で問題が生じた十代の子供達が、逃避の一環として集う場所があるそうです。件の少女も不登校児となってからその場所に入り浸り、不特定多数の仲間を作ったらしいです。場所は子供達の終着駅になぞって、北区の……」
言いながら桐瀬が俺の背後に視線を向けた。
見ると公園の入り口に若い女が数名、一個体のように固まって眩しそうな表情をしている。
中央にいるレースカーディガンを羽織った女が一歩前に出る。
「えぇと、衛藤先輩から頼まれた友島と申しますが、アメミヤさん? アマミヤさん? でよろしいですか?」
友島と名乗る女が俺と桐瀬どちらともなく言った。
また営業スマイルを作ってやる。
友島の後ろにいる恰幅のいい女が遠慮もなく怪訝な顔をした。
「どちらでもいいですよ。病院などでどちらを呼ばれても訂正をしないくらいどうでもいいので。しっくりくる方で呼んで下さい」
そう態度を柔らかく見せかけて忍ばせていた名刺を友島に差し出す。
女達は愛想笑いもせず直立不動で、窓口役の友島も会釈もせず名刺を受け取った。
量産型の桐瀬と対峙している気分だ。
「アスミについて調べていると聞きましたが、そっちに行って聞き込みをした方が有益かと思いますよ」
警戒なのか早く戻りたいという気持ちの表れなのか、友島は園内に踏み入ることなく乾いた態度で入り口からシャットアウトした。
「ん? そっちとは?」
「え、今、北橋界隈の話をしていましたよね。わかっているなら北橋にいる人達にコンタクトを取った方がいいです。私達よりアスミのこと知っていると思います」
助け舟を求めるため振り向くと、桐瀬はいつの間にか俺の斜め後ろまで歩み寄っていた。俺には一瞥もくれず女達を見据えていた。
「取材をさせていただきます、編集者の桐瀬と申します。先ほどのお話ですが、つまりアスミさんが北橋キッズだということでしょうか?」
桐瀬が微笑みを携えている。
ただそれは雪融けのように分かり易いものではなく、感じるならみぞれに近い。
要するに微妙に温度は上がったがまだ冷たい。
それでも大した進歩だと褒めてやりたいが、よく考えれば桐瀬の瞳の中の春夏秋冬で真冬にいるのは俺だけなのかもしれない。しかも極寒の雪の夜。
夏男の俺でも融かせない。
「そうです。あそこに入り浸るようになってから私達はアスミを敬遠していたのであまり力にはなれないと思います」
友島の言葉を互いに認めるように女達が頷いた。
顔を見合わせながら「やばい」や「危ない」などと囁き合う。
「北橋キッズはよくないバイトをしていると聞きます。アスミも突然お金を持ち始めていたので手を出していたのでしょう」
俺に怪訝な顔を向けていた恰幅のいい女Aが校内放送を思い出す声で発言のバトンを握った。赤ん坊のリンゴ頬をしている。
「アスミが大学に来ていないことも、アスミの様子を聞かれたから衛藤先輩に話しただけで心配したわけじゃないです」
今や行方不明となり影も形も存在していない同級生を、高校時代からの付き合いだという友島が無慈悲にも突き放す。
曲がりなりにも探し出そうとしている人間を前にしても見つからなくてもいいという声なき言葉を発し自らの嫌悪感を優先させている。
それは無関心ではなくもはや攻撃だ。
「失礼。友島さんあるいは後ろの方々とアスミさんとの間にトラブルはありましたか?」
男に免疫がないのか単純に俺が、このヒゲ面がまずいのか、桐瀬から視線が動いた友島の目が中年にとって痛みを感じる光を放つ。
再会すれば娘の祢桜にもこんな目を向けられてしまうのだろうか。
「直接的なトラブルはないです。まぁただ、私達を含め学部内の学生にパパ活の勧誘を始めた頃から口は利かなくなりました。今回いなくなったのも、パパ活に関連した原因があるんじゃないですか?」
パパ活? またも桐瀬を見る。
桐瀬は意地でも俺を黒目の中に入れてやろうとしない。
もうこれは一周回って俺を見ている。
「北橋界隈から派生したパパ活ならその実態は肉体関係が基本の援助交際ですね。腑に落ちないのは勧誘という点です。アスミさん個人がお金を稼ぐための手段だとしたら女の子は少ないほど都合が良いはずです。このことから読み取れるのは元締めのような存在がいた可能性ですが、そこについてご存知のことはありますか?」
「最初に勧誘を受けた時は、パパ活ってワードは使わずアルバイトって言っていて、その時何度かオーナーっていう言葉は出てきていましたけど、それ以上のことは知りません」
集団の一人が友島に向かって「そろそろ」と小声で終了を促す。
友島は腕時計を一瞥した後、俺と桐瀬を交互に見た。
「もう講義が始まるので失礼します。あの、私達は詳しいことは知らず話せないので以降の取材はご遠慮下さい。仲間だと周りに思われるのも迷惑なので」
桐瀬が丁重に頭を下げ社交辞令の礼を述べると、それに倣おうとする俺を待たず友島一向は踵を返して逃げるように離れていった。
大人ぶった恰好をしていてもこうして見送る背中は高校生と大差はない。
ほんの少し前まではアスミも同じ背中を友島の隣に並べていたのだろう。
それがいつしか金銭で繋がった男の隣を選ぶようになり、青空の似合わない背中を街角に消した。
友人と袂を分かつにはあまりに安すぎる金のために。
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