六月五日


「それではまず、昨年の怨霊トンネルでのアスミさんの様子ですが、こちらから詳しくお聞かせ願いますか?」


「あぁ、あの日。花火をするためにトンネルに行ったんです。この話をするとよく聞かれるんですけど、お酒は飲んでいません。夕方くらいから一緒にいましたけど、アスミは元気そうで、花火をしている時だって携帯で動画を撮りながらはしゃいでいました」


「アスミさんに異変が起こった時、何か変わったことは? それとアスミさんは具体的にどのような状態になりましたか?」


アイスコーヒーで舌を濡らすと、衛藤はバッグから煙草の箱を取り出しアイコンタクトで俺に伺う。

手の平で「どうぞ」と示した。


「変わった事は何も。普通に花火をしていただけです。アスミの状態も、花火の光と煙しか見えない状況だったのでよく見ていません。

車のライトを付けた時には目が真っ赤で、鼻にしわを寄せながら奥歯を噛み締めている感じで。なんか、鬼みたいな顔。アスミの顔ではなかった」


A氏が怨霊トンネルでの出来事を俺に話していた時と同様に、衛藤の吸う細い煙草の先も微妙に揺れていた。

男も女も関係なく、思い出しただけで震えてしまう顔とは一体どんな形相だったのか。

そしてそれは一体誰の顔だったのか。


「知人の男性の話では、その後もアスミさんの様子に違和感があったとか?」


「はい、今年の春の終わりくらい。同じく高校の後輩で、アスミと同じ大学に通っている子が、最近アスミを見ないと言っていたので、気になってアスミのアパートへ行きました。そしたらあの子、すごく痩せちゃっていて。元々スリムな子でしたけど、その時は骨と皮って感じ。体調が悪くて大学を休んでいるなんて言っていたんですけどね、やたらよく喋って酔っ払っているのかってくらいハイテンションで。そうかと思えばいきなり怒りだしたりするんです。煙草を吸わせてもらおうと換気扇の下で火をつけたら、叫ぶんですよ。ウシオニ? がきているから駄目だとかって」


その瞬間微量の電流が背筋を駆け抜け、悪寒めいた感覚が体中に広がった。

雑踏の中で不意に聞こえたあのクリアな声がまた甦ってくる。

「牛鬼にやられたんじゃないかな」

息を呑んだ。


「その、牛鬼なんですけど、私も最近別件で聞きました。衛藤さんは何のことだかご存知ですか?」


「私は牛鬼と聞いたら“牛鬼様”の事しか浮かばないんですけど……。“こっくりさん”とか“ひとりかくれんぼ”みたいな遊びのことです。その事を言っているのかと思ったんですけど場所はアスミの部屋だし、関係ないかも」


ガラスの割れる音が店内に響き、心臓が貫かれる。

見ると空いたテーブルを片付けていた先のウエイトレスがカップを落としてしまったようだ。新聞を読んでいたサラリーマンが不服そうに舌打ちをした。

咳払いをして場を戻す。


「参考までに牛鬼様がどんな内容なのかお聞かせ下さい」


「えぇと確か……」


記憶がおぼろげなのか説明が前後するツギハギな内容だったため、手帳を取り出し、聞き返しながら要点をまとめた。



・ 用意する物は“花”と“線香”と“生米”。この三つを持参して深夜、鬼門に位置する公園へ行く。

・ 園内にある木の下に花を添えて線香を焚く。儀式に参加している人数分の線香に火をつける。

・ 線香が燃え尽きるまでの間、クラクションあるいはパトカーや救急車などのサイレンが聞こえたら鬼門が開き、牛鬼が公園へ向かってきている合図であり召喚は成功。

・ お礼に生米を線香の灰の下に埋める。

・ 牛鬼の力により儀式に参加した人間には一週間程、心霊現象が頻発するようになる。

・ しかし牛鬼が要求する生米の数が足りないと一週間以内に死亡する。

・ 要求される数はその都度違うため、賭け的要素がある。



「よくあるやったら死ぬ系の降霊術ゲームですね」


ペンを止めて衛藤を見る。

フィルターに口紅の跡がついた吸殻を物憂げに見下ろしていた。


「アスミは恐がりだし、こんな面倒な遊びをわざわざするはずないです。しかも心霊現象が起きるか死ぬかって、何のメリットがある遊びなんですかね」


「こういうのって実際にやるより、やったらどんな恐いことが起きるか想像して楽しむのが目的の、亜種的怪談なんですよ」


言いながらアスミ、それから屋上から落ちた放火少女と牛鬼の関連を考えてみた。

結びつくのはどちらも異なった状況でパニック状態を呈していることだけだ。

アスミは心霊スポット、少女は繁華街のダーツバー。

少女はアルコールで説明できるがアスミは酒に酔ってはいない。

少女を調べれば関連する事柄がもっと見えてくるのだろうか。

少し暗い気持ちになり意識を衛藤に戻す。


「そういえば、アスミさんの部屋にはベビー用品があったという話もありましたが、アスミさんにパートナーは?」


「あぁ」と息を漏らして衛藤が笑った。

二本目に火をつけるようでテーブルの下の手をゴソゴソと動かしている。


「私と入れ違いで部屋に行ったアスミの親が本人にその事について聞いたら、ベビー用品店でバイトをしていて、可愛いと思った物をつい買ってしまったという説明をされたそうです。彼氏は多分いないと思います。アスミの親、特に父親が結構過保護で、昔からそういう類のことに厳しい人でしたから。アスミはよく、思春期に恋愛の仕方を学べなかったから、恋愛の始め方がわからないって愚痴を言っていました」


「お父さんは厳格な人なんですか?」


「いや、物腰の柔らかい知的な感じの人ですよ。ただ、内気であまり自分の意見を言えない一人娘を過剰に心配しているんです」


「わかります。私にも娘がいるので」


衛藤が煙を吐く口を意図して丸く作る。そして女狐の目をする。


「なんだ残念、ご結婚されているんですか。ワイルドで素敵なのに指輪がないので不思議だったんです」


娘を持つならこの衛藤のように場数を踏み、男をあしらう術を持つ女に育ってくれた方が実は安心なのかもしれない。

父親の思い通りに生娘へと仕立て上げても、いつかは必ず雑菌だらけの社会へ送り出さなければいけないのだから。

無菌状態では免疫は育たない。


「いや、恥ずかしながら妻とは別れまして。所謂こぶ付きの役は妻なので、寂しい独り者です」


「へぇ事故物件ですか。質より安さ派の私には益々魅力的」


言った後で「ごめんなさい」と誘い笑いをする衛藤に、つい頬が緩む。

こいつの上司が少し羨ましい。


「こりゃどうも。そしたら手がかりの一つとして、アスミさんがアルバイトをしていたというベビー用品店を教えて下さい」


「それなんですけどどこなのかは聞いていないみたいです」


「それではアスミさんの友人を当たってみます。通っている大学を教えて下さい」


衛藤が丁寧に場所の詳細まで添えた大学名を手帳に書き込む。

隣の台東区にある所在地を聞く必要のない有名な私立大学だ。

これでアスミのイメージは完全に音楽家庭の箱入り娘として固まった。


「あの、雨宮さん。この、トンネルでの話を記事にするんですか?」


アイスコーヒーがはいっていたグラスを小さな氷のみにして、衛藤がかしこまった様子で言った。

俺は上目遣いから目を逸らす。


「え、まぁ載せるつもりで聞いた怨霊トンネルの怪談がアスミさんの話を聞く入り口だったので。ただ怪談の肝の役目にあるアスミさんの無事が確認できないのであれば、お蔵入りも検討しています」


衛藤が安堵したような笑顔を見せる。

やけに芝居がかった感じだがこれがこの女の武器なのだろう。


「よかった。トンネルの話が記事になってそれをアスミの両親が読んだら辛くなっちゃうだろうから、アスミが見つかるまで記事にはしないでほしいってお願いするつもりだったんです」


俺の記事をアスミの親が読む?

俺を歴史と威厳ある情報週刊誌の敏腕ライターだとでも思っているのか?

世に出れば可能性はないと言い切れないが、俺が尾川や桐瀬にアスミの両親に配慮して記事を見送るなんて言えば「自惚れるな」と怒鳴られてしまうぞ。

これはあくまで交渉上手なキレ者の、相手を上げつつ要望を飲ませるやり方だと解釈して頷いた。


「雨宮さんが取材した私の友達が言っていたんですけど、記事を書かなきゃいけないのってホラー系の雑誌なんですよね? トンネルの話をなくしてもらう代わりに面白そうな話が一個あるんですけど、どうですか?」


「えぇ。まぁオカルトってやつです。だからってベントラベントラ・スペースピープルは駄目ですよ? ああいうのは今の時代ではコミック要素が強すぎる」


UFOを呼ぶ呪文が伝わらなかったのか微妙な間があいてしまい、衛藤が俺の言葉をなかったことにして話し出す。

昭和後期のオカルトの象徴は、本当に宇宙の彼方へ消えてしまったのかもしれない。


「台東区ってSNSでちょっと話題なんですよ」


とりあえず相槌を打つ。


「ちょっと前から意味不明なマークだけが描いてある張り紙が台東区中に貼られているんです。私もアスミがいなくなってから部屋に様子を見に行った時、何回か見ました。アレすごい不気味なんですよ。話題性もあるし、雨宮さんが調べて取り上げたらきっと注目されますよ」


腕時計を一瞥した衛藤に合わせる形で伝票を取り、席を立つ。

店主らしき初老の男が礼を張り上げてレジに移動した。


「昔も似たようなのがありましたね。力士シールだったかな? 銀座の辺りにいっぱい。その類のイタズラかもしれない」


背後で財布を取り出した衛藤を手で制す。

無論ただ財布を見せただけなのはわかっている。


「力士シール? へぇそんなのあったんですね。酔狂な人ってどういう人生観なんだろ。楽しいのかな」


花火をやるためにわざわざ怨霊トンネルへ行くのも俺から言わせりゃ充分酔狂だが、昼下がりの青空に向かって軽く伸びをするZ世代の女にとっては明確な違いがあるのかもしれない。


「でも不気味なことは変わりないですし、アスミさんの友人に会いに行くついでに見に行ってみます」


「絶対書いてくださいね。私は教養がないので文章を読むって苦手で敬遠していたんですけど、雨宮さんが書くものだったら読んでみたい。それが私も気になっていた張り紙についてだったら最高」


俺を支持する読者が一人でも増えたら俺だって最高だ。

ただ仮に張り紙の記事がメインを飾っても、衛藤が本屋でアヤカシを探すビジョンが全く見えない。これもきっと武器だからだ。


「怨霊トンネルでアスミさんが花火の様子を撮影していたと言っていましたけど、もし動画をお持ちならいただけませんか?」


衛藤が低いヒールの音を響かせて振り向き、店内でも見せた女狐の目を作った。

カラーコンタクトを褒めてやれば返事になるか。


「じゃ連絡先交換しましょう。名刺の番号でいいですよね? ワン切りします。番号登録してもらえばメッセージアプリの友達に私が追加されます」


携帯のメモリーを一つ増やした後、近くの社屋まで歩くという衛藤にしばらく付き合い、信号をきっかけにして別れた。


歩道の手前にある児童公園のイチョウの葉がカサカサと揺れている。

その木漏れ日を見上げながら台東区が鬼門の位置にあることを思い出していた。


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