第3話・六月五日



「桐瀬とはどうしてそんなにウマが合わないんだ?」


電話口から聞こえる尾川のたしなめる声が、通話を押した途端にカフェのレトロなBGMの上に覆いかぶさった。

間髪いれず要点から入るのは職業病かもしれない。


「どんな文句を言っていました?」


照明の淡いオレンジの光がカップの中で息づくアチェコーヒーに降り注いでいる。

上を見ると木製のシーリングファンがノスタルジーな店内の雰囲気を音もなく優しく混ぜていた。

ハイソな匂いが持つ魔力によって、余裕のある男を演じやすい。


「いや文句は言っていない。ただ今後も緊急の時は雨宮に撮影を任せようかと提案したら昼休憩の間にカメラを買ってきていたよ」


「それウマが合わないっていうか、俺が単に嫌われているって話じゃないでしょうか。写真の件で尚更、完璧に」


「それよく言うけど、別に桐瀬は雨宮を嫌ってはいないと思うぞ。桐瀬は基本的に誰に対してもあんな感じだ」


「そこに惚れたわけですか」


そう言って練習中のニヒルな笑みを空席の向かい側に投げかけた。

待ち合わせ相手が時間を厳守する人間なら十分後には来る。


「惚れた、ライターの素質に。俺がウチに誘った頃だと桐瀬はまだ既婚者だったからその冗談は良くないな」


ほう、それは意外だった。

あの桐瀬も男を愛して屈託なく笑い、心が躍動する度に抱き締め合ったりするのか。

侮蔑する意図はなく素直にアンドロイドだと疑っていた。


「なるほど。バツ付き同士そりが合わないのかもしれません」


「ま、桐瀬の場合はちょっと特殊な別れ方だったけどな。とりあえず写真の件はわかった。主役が未成年者であることに配慮したい雨宮の意向を尊重するよ。昔のこともあるしな」


ありがとうございます、と返事をしながら胸の中で溜め息をつく。


写真を誌面に載せなくても、そんなことは無駄だろうな。

結局は別の媒体で顔だけを隠された少女の姿は全国に広がる。

インターネットでは少女のプロフィールはすぐに出回る。

きっと尾川もそれをわかった上で俺の安いプライドに甘い顔をしたのだろう。

大きな流れを止めることはできなくても、せめて自分だけはその流れの一部にはならず逆らうプライドだ。


出入り口のドアベルを遠慮がちに鳴らし女が入ってくる。

鎖骨に乗せたロングの髪をほつれたロープのようにうねらせた、勝気な眉毛が印象的な女だ。どこかの会社の制服を着ている。

尾川との電話を丁重に終わらせてから、中腰になって視線を送った。

女もこちらに気付き、小さく会釈をして向かってくる。


「あの、雨宮さんですか?」


顔の筋肉を全て溶かすイメージで笑い、用意していた名刺を出した。


「はい、ライターの雨宮洋峰あまみやひろみねと申します。失礼、衛藤さんでよろしいですか?」


女がはにかみ「衛藤です」と言い、着席した。

水とおしぼりを持ってきた中年のウエイトレスと短い挨拶を交わして「いつもので」と慣れた調子で言う。

衛藤が指定したこの洒落たカフェは、彼女の行きつけのようだ。


「貴重な休憩時間を割いていただき恐れ入ります。手短に努めますのでよろしくお願いします」


渡した名刺を隅に置き、衛藤が笑顔を崩さず胸元の髪をどかした。

シャンプーかヘアオイルの類の、鼻をくすぐる匂いがする。


「いえ、アスミのことを探してくれる方にはできるだけ協力します」


一瞬だけ返事に困ったが、仕方なく肯定して頭を下げた。

怨霊トンネルの怪談を持ってきたA氏はどうやら、行方不明にあるアスミの先輩の衛藤に、取材依頼だとは説明していないらしい。

誤魔化さないと話を受けてはくれなかったのかもしれないが。


ウエイトレスがテーブルに置いたアイスコーヒーにミルクを溶かし、ストローでジャラジャラとかき混ぜながら衛藤が続ける。


「家族も捜索願は出しているんですけどね。一般家出人って警察は積極的に動いてくれないから、みんな気を揉んでいます。でも、記者さんが協力してくれるなんて、びっくりです」


愛想笑いをしてコーヒーを啜った。

身近な行方不明者を探す雑誌の企画だと出まかせを言おうとしたがやめた。

本気にされて毎度進捗を聞く連絡がきたら堪らない。


「今日のことを伝えてもらった衛藤さんの知人男性に、怨霊トンネルの話をもらったのがきっかけです。アスミさんにもインタビューをとりたいという邪な理由ですが、手を尽くします」


「どんな理由でも結構です。探そうとしてくれる人がこうしていてくれることが、私にもアスミの親にもありがたいことなんです」


そう思うなら興信所に駆け込め。

表情に出さず「恐縮です」と頭を掻いた。


衛藤が「先に」と言い、テーブルの上に紙を滑らせた。


「アスミの写真です。顔がわからないと見つけられないですよね」


居酒屋らしき店内を背景に、甘そうな色のリキュールが入ったグラスを持って笑顔を作る女が写っている。

胸上まで伸びた栗色の髪と二重の丸い目がとりあえずの特徴といったところか。

垢抜けた化粧をしているが幼さはまだ目立つ。

どこにでもいる可愛い娘なのだと思う。


「アスミさんがいなくなったのは正確にはいつですか?」


「先月の終わり、私が気付いたのは五月の二十一、二かな」


今日が六月五日。A氏の言う通り行方不明になって約二週間か。

ここからわかることは、衛藤はアスミが消えてすぐにA氏に連絡をとったということ。そしてA氏はすぐ俺にコンタクトをとってきた。


礼を言って手帳に写真を挟み、許可を取ってからボイスレコーダーのスイッチを入れた。

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