第2話・六月三日
A氏から折り返しの電話をもらったのは正午を過ぎた頃だった。
昨日プロダクションから帰宅してすぐ控えていた番号に電話をかけたが留守だったため伝言をいれておいたのだ。
A氏は都内のイベント会社の社員で今は少し遅めの昼休憩だという。
酒の残った寝起きの重い頭を起こすため、ボロアパートには不釣合いながら取り付けたブラインドをあけ日光を部屋に招きいれる。
舞い踊る埃が粉雪のようにキラキラと光った。
「雨宮さんに教えてもらった案徳先生って、心霊研究家じゃないですか。一応やってもらいましたけど、あの人除霊なんてできるんですか?」
半分怒気を含んだ声が飲食店の喧騒を纏って耳に届く。
近くのテーブルに女子高生の団体がいるようで頭痛の核を刺激した。
「案徳先生なら心配ないですよ。何でも祖母が恐山のイタコですから。それより伝言の件ですが、Bさんへの取材大丈夫そうですか?」
「あぁ」と相槌を打つA氏の声がやけに暗く沈む。
トンネルでの実体験を語った際の声色と似ている。
「言いませんでしたか? アスミちゃんなら行方不明ですよ。しばらく学校にも来なくて引きこもっていたらしいけど、そしたら最近になって友達から連絡があったんです。どこにいるか知らないかって」
煙草を取り出そうしていた手を止める。
「え、それはいつ頃から?」
「先月の終わりくらいですかね。なので二週間くらいになります。俺、それ聞いて恐くなっちゃって」
「ほう、恐くなったとは?」
「アスミちゃんを連れてきた友達曰くあの子トンネルに行ってあんなことになってから挙動が少しおかしくなっていたみたいで。その上で行方知らずでしょ? 去年のことが原因なのかなって」
ペンを取り、催促状の封筒を裏返してメモ用紙代わりにする。
面倒なので携帯はスピーカーにした。
「どんな風におかしかったのか聞いていますか?」
「えぇと、体調が悪いとかで部屋に閉じこもり気味になって、心配して部屋を訪ねたら妊娠しているわけじゃないのにベビー用品がいっぱいあったそうです。それに今までは換気をすれば煙草を吸わせてくれたのに、ライターを見ただけで激しく拒否したとか。火を怖がっているように感じたらしいです」
「あの、それは隠していただけで本当にご懐妊だったのでは?」
「いやでも酒は山ほど飲んでいたみたいですよ。他にもインターホンが鳴るとびびったり、外に連れて行くと頻繁に後ろを振り向いて何かを気にしていたそうです」
「うーん。怨霊トンネルの女性の霊は一説によると妊娠が原因の痴情のもつれで殺されてしまったというのもありましたが、つまりは……そういうことですか?」
こもった調子で聞こえてくる鼻息からでもA氏が震えていることがわかった。
何故だかこちらも背筋が薄ら寒くなる。
「はい、憑いてきていたのかもしれない。一年も、ずっと。それで怨霊トンネルに一緒に連れていかれちゃったのかも」
アスミに憑いていたと思うならばお前が除霊を受けたがっていた理由はなんだ。
恐らく取るに足らない返答だと予想して飲み込んだ。
代わりにA氏が続ける。
「アスミちゃんを連れて来た俺の友達に取材します?」
警察が介入するような事件になり得るならもう怪談どころではない気もするが一応承諾を得るよう頼んで電話を切った。
煙草に火をつけてやっと目覚めの一服をする。
女の霊が憑依した体を乗っ取りその人間を連れて行く、か。
オカルト誌の記事のネタとしては少し面白いかもしれないが、それで元ネタの女性が遺体で発見されたりしたら今度は以前のデタラメ怪談の比ではないくらいのバッシングを受けるはずだ。
もちろん個人情報は伏せて書くが、どこから情報が漏れるかわからないのがインターネット社会だ。
怨霊トンネルは諦めて尾川の言う通り新しい怪談を探した方が良いかもしれない。
飲み残した缶ビールに煙草を捨てベッドで目を閉じる。
プランを練るつもりがいつしか朝食のことを考えはじめ、しばらくすると意識がゆっくりと溶けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます