第92話……ファーガソン地域への逃避行

 城郭都市ラゲタの周辺で起こった戦いは、ガーランド商国軍が圧倒的優勢となり、追撃戦の様相を呈していた。


 古来より、秩序ある組織だった戦闘ではあまり死傷者は出ないと知られている。

 逆に、被害のほとんどを叩きだすのが、この追撃戦なのである。


 追撃戦こそが、敵を倒す唯一の好機なのである。

 それゆえ、戦巧者と呼ばれる者ほど追撃を徹底して行う。


 ガーランド商国の王、アドルフもそういった苛烈な名将であったと後に記されることになる。



 夜のとばりがおり、周囲は真っ暗になった。

 だが、敵の追撃は止む気配がない。


「逃がすなよ! 王国の貴族を捕えたら、恩賞は望むがままぞ!」

「「おう!」」


 こういう時――。

 周辺の住民は全て勝者の味方をするものだ。

 よって、逃げるべき相手は数倍の数に達するのだ。


 ……どうしたものか。


 私は焦っていた。

 瞬間魔法が使えるから、私だけは安易に逃げられると踏んでいたのだ。


 だが、その魔法が使えない。

 私は自分を落ち付かせる様、深呼吸をした。


「ポコ~♪」


 ポコリナが私の背負い袋を開け、遠見の水晶玉を取り出してきた。

 ……そうか、その手があったか。


 私は遠見の水晶玉を使い、遠くにいるバルトロメウス伯爵に現状の相談をしたのであった。


「……」


「うーむ、これは大きな結界が張られていますな!」


「結界ですか!?」


 伯爵の答えは意外であった。

 魔法が使えないようにする結界が、この広域に張られているとの答えだったのだ。


「……だが、どうやってこんな広さに結界を!?」


 結界を張るのは一定の儀式が必要。

 小さな範囲ならまだしも、この辺り一帯に張るのには膨大な時間がかかるはずだったのだ。


「あらかじめ、敵がそこに逃げると想定し、以前から用意していたのかもしれませんな」


「……ま、まさかな?」


 伯爵の言うことが正しいなら、敵は我等がここで戦うのを予期し、さらにここ一帯に逃げ込むことまで読んでいたということになる。


「殿! そんな詮索はあとですぞ! 見つかる前に早く逃げてくだされ!」


「わかった、善処する!」


 私は伯爵に礼を言い、遠見の水晶玉を背負い袋に仕舞った。

 そしてポコリナを抱き上げ、コメットに跨る。


 暗闇の中――。

 茂みを選んで疾駆、王国への最短ルートを避け、道なき南東の山岳地帯へと逃避したのであった。




◇◇◇◇◇


 四日後の朝――。


 荒れた天気は収まり、一転して頭上には青空が広がる。

 山の裾には、野鳥の群れが気持ちよさそうに飛び交う。


「……ふう」


 ファーガソン地域に入れば、もう王国領。

 山岳地の逃避行もひと段落といったところだ。


「……ふう」


 私は小さな小川を見つけ、コメットに水を飲ませる。

 食料を運ぶ輜重隊がいるわけでもないので、携行食料だけが頼りだ。


 焼しめた黒ずんだ小さなパンを割り、ポコリナと分け合った。


 もうこれが最後の食料だ。

 だが、悪天候の中、逃避行をしてきた私の空腹の足しにはならない。


 背負い袋から釣り道具を取り出し、そこら辺にいる虫を釣り針に刺した。

 釣り針を小川に落とすと、面白いように魚が釣れた。


「ポココ~♪」


 木の枝を集め、火の魔法で火をつけた。

 そこに魚を刺した枝を並べてくべ、じっくりと焼いていく。


 魚の脂が弾ける音がし、鱗と共に皮もこんがりと焼けていく。

 身に火が通った頃合いに、ポコリナと一緒に魚をほおばった。


「ポコ~♪」

「旨いな!」


 ポコリナと焼き魚の美味しさに絶叫。

 お互い泥まみれの顔を綻ばせたのだった。




◇◇◇◇◇


 ファーガソン領に入ってからは、私は小さな街道を選んで、自分の足で歩いた。

 コメットも逃避行の最中に足を怪我しており、歩調はよりゆっくりとしたものに成っていく。


 街道の周囲は拓け、のどかな田園地帯が広がる。

 たしかここはパン伯爵の領地のはず。

 私は道行く老人に尋ねた。


「ここはパン伯爵の御領地ですよね?」


「左様でございます。この先を行くとお屋敷ですよ」


「教えてくださってありがとう」


 私は老人に礼を言い、安心して道を進んだのだった。


 道をしばらく行くと、向こう側に集落が見えてきた。

 きっとパン伯爵家の城下町であろう。



「そこの汚い男、止まれ!」


 集落の手前までくると関所があり、そこで粗末な身なりの衛兵に呼び止められた。


「オーウェン連合王国が家臣、ライスター準男爵と申します!」


 私がそう名乗ると、衛兵は一段と険しい顔になった。


「貴様、ここを何処だと思っているのだ!?」


「え!? パン伯爵様のご領地では?」


「間違ってはおらんが、いまはガーランド商国のパン伯爵様だ! 敵国の者は去れ!」


「……は、はい」


 私はいそいそとその場から立ち去る。

 遠くから振り返ると、衛兵たちが集う場所には、確かにガーランド商国の旗が立っていたのだ。


 ……ひょっとして、パン伯爵は商国に寝返ったのだろうか。

 もしそうならば、パン伯爵の独断なのだろうか?


 ひょっとして、伯爵の寄り親的存在のチャド公爵も商国側についたのではないだろうか?

 そうならば、このファーガソン地域からも早く脱出せねば……。


「コメット、悪いがもう少し頑張ってくれ!」


 私は手負いのコメットを急かし、東への旅路を急いだのであった。

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