第87話……チナナ婆の出汁

 エンケラ港の海岸線を東に歩く。

 夕日が海岸線を赤く染めた頃。

 私達は老婆の家に着いた。


「ここだよ、入りな」


「お邪魔します」


 私達は老婆に案内され、テーブルに着いた。

 そして、しばしば待った後に、何の変哲もない温かいスープが出てきた。


「これを飲んでみな」


「頂きます」

「ポコ~♪」


 ポコリナとスープを啜る。

 それは今まで味わってこなかった、アッサリとした、そしてとても美味しい味だった。


「とても美味しいですね。食べたことのない味です」


「そうじゃろう、そうじゃろう」


 そう言いながら老婆はわらった。


「出来れば作り方を教えてもらえませんか?」


「いいぞよ。そして我が名はチナナ。これからはチナナお師匠様と呼ぶのじゃ」


 老婆はそう言いニッっと笑った。

 その眼は人間のモノではなかった。


 ついでに、尻尾まである。

 このお婆さんは魔族であったのだ。


「わかりました。チナナ師匠! よろしくお願いします」


 こうして、私の料理修業が始まった。

 ……と言いたいところだが、私は一応忙しい。


 三日目の晩には、城勤めの料理人と代わってもらい。

 彼等に教えてもらうことにしたのであった。


 チナナ師匠の料理の秘術は出汁と呼ばれるもので、魚の干物や海藻の干物を作り、それを煮だしたものでスープを作るという技法であった。


 後日、この出汁の素となる魚の干物や海藻の干物を、ゲイル地方の特産品として作ることとなったのだった。




◇◇◇◇◇


 統一歴567年4月――。

 ゲイル地方においてもイシュタル小麦の種まきは終わる。

 村々においては副産品の野菜造りに精が出され、海には勢いよく漁船が漕ぎ出でていた。


「……やっと、見られるようになったな!」


「はい」


 我々は森を切り開き、水を導いて農地に変えた。

 それがようやくひと段落つき、その景色をアーデルハイトと感慨深く眺めたのであった。


「殿! ここにおられましたか!?」


「ん?」


 声がした方向に振り替えると、男でも惚れそうな凛々しさを漂わせるバルトロメウス伯爵がいた。


「今度は召喚の魔法を学びますぞ! 某についてきてくだされ」


「……ああ、頼む」


 この伯爵、私を気に入ってくれたのか、色々な魔族の秘術を教えてくれた。

 今日もまたエンケラの港町から、山深い森を抜けた先の地での特訓だった。


「まだまだ! 魔力が足りませんぞ!」


「……す、すまぬ」


 今回の術は、配下にしている魔物を呼び出す魔法だった。

 ゾンビやスケルトンは昼間に堂々と動けないため、転移魔法を発動させ、一斉に移動させる必要があったのだ。


「それ、もう一度ですぞ!」


「はい!」


 私はもう一度、魔力を込めて魔法陣を展開した。

 最近は、地面にとても大きな魔法陣を浮かび出させることに成功しつつあった。


「それそれ! もう一度!」


「……い、いや。休ませてくれ!」


 何しろこの伯爵。

 もうすでに死んだ不死の魔族であるために疲れ知らず。

 私は彼の激しいシゴキに堪えられず、しばしば休憩を申し出たのであった。




◇◇◇◇◇


 統一歴567年4月下旬――。

 若葉が生い茂り、山々に緑が映えてきた。


「整列!」

「前列前進!」


「よし!」


 アーデルハイトの方針により、ゲイル地方でも募兵を開始。

 正規兵を少数だが募り、毎日訓練を施していた。


 ゲイル地方は敵地に面しておらず、防衛力は最小で済むが、この地で募った余剰兵力をレーベの地に送ろうという魂胆だったのだ。


「ライスター卿。そろそろ我々もレーベに戻るとするか」


「はっ!」


 私はアーデルハイトに促され、エンケラ港で船に乗り、エウロパ港を目指したのであった。




◇◇◇◇◇


 リルバーン公爵家領東端エウロパ港。


「どけどけ! 道をあけろ!」

「兄ちゃんあぶねぇな! 前を見て歩けよ!」


 港町は人でごった返し、凄まじい喧騒。

 その賑やかさは、目を見張るばかりであった。


 私はゲイルの地の開発にかまけ、エウロパ港のことなど忘れていた。


 だが、エンケラ港に向かう船は、概ねエウロパ港を経由していたのだ。

 それゆえ、ゲイル地方の発展に比例して、エウロパ港も発展していた。


「ライスター卿、この港も発展したなぁ」


「そうですね、閣下!」


 私の表向きは、リルバーン公爵家の家宰であるアーデルハイトの護衛。

 彼女は、嬉々としてその役割を演じていた。


「もう今夜は遅い。近くの宿をとるぞ!」


「はっ」


 そうして、我々は一軒の宿に入った。

 一階部分は受付と食堂が設置されていた。


「親父! エールを二つくれ!」


「毎度あり!」


 腹が減っていた我々は、まず食堂の席に着いたのであった。


「お料理は何になさいますか?」


 小太りの親父が注文を聞いてきた。


「肉だ、肉! 肉を持ってこい!」


 アーデルハイトが大声で頼む。

 そう、我々はゲイル地方で、海産物ばかり食べていたのだ。


 ……よって、非常に肉に飢えていた。


「親父、お替わりだ!」


「……は、はい!」


 我々はよく食べ、よく飲んだ。

 ひょっとして、羊一頭食べたのではないかというくらいに……。



 その後――。


 我々は二階の宿泊室へ。

 私は、かなり酔ったアーデルハイトに部屋に連れ込まれる。


「……こい、ライスター卿! まずは一戦、交えようぞ!」


「ぇ!?」


 彼女はすぐに鎧を脱ぎ、艶めかしい下着姿になる。

 きっと事前に準備していたに違いない。


 ……この夜の戦い。

 私は散々に打ち負かされたのであった……。

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