第70話……ネト城攻略

「風の聖霊よ、我を遠くの地へ誘わん!」


 私は風の魔法の一つ、瞬間転移の秘法を使い、各地の敵方の地方領主を調略していた。


「……ど、どちら様で?」


 王都シャンプールで新調した一張羅で、私は恭しく地方領主を尋ねる。

 見た目を馬鹿にしてはいけない。

 所詮、人の眼は外見しか見えやしないのだから……。


「オーウェン連合王国で侯爵を拝しておりまする、リルバーンと申します」


「げぇ!? リルバーン侯爵ですと?」


 先日の戦いで剣の戦いは終わった。

 あと残るは、人の心としての戦いである。


 この戦いに明確な勝ち負けはない……。

 私は懇々と説いた。


「……では、所領をそのまま安堵して頂けると?」


「もちろん、我等はラル男爵と望んで事を構えるつもりはないのです。ぜひお味方頂きたい!」


 先の戦いで、相手に自領を守る力は既にない。

 だからこそ、不利な立場の相手は、私の話を真剣に聞いてくれた。

 やはり戦なき調略もまた、ないのである。


「有難き幸せ! 女王陛下によろしくお伝えくだされ、ラル男爵家は陛下ために火中に飛び込むことも厭わぬと!」


 ……調略は成功。

 私は耳障りの良い言葉を貰う。


 しかし、彼等も我等の力なしには、共和国本国には逆らえぬのも事実。

 きっと戦況が変われば、この言葉とて当てにはならぬであろうが……。


「たしかにお言葉承った。陛下もお喜びでござろう。次の戦地ではお味方同士ですな」


「左様、我が兵学の髄をご披露いたす!」


 その後、ラル男爵のお誘いを受け、小さな宴会となった。

 美しい村娘の踊り子が舞い、美味しい葡萄酒に珍しい豚の丸焼きが出た。


「……ささ、リルバーン殿。大いに飲まれよ」


「もう十分に頂いておりまする」


 正直、めちゃめちゃ美味しい酒であったが、昨日までの敵地であったことを考え、ほどほどに留める。

 実に残念なほど、料理も酒も旨い。

 イオに食べさせてあげたいくらいだ。


 ……宴もたけなわになると。

 男爵が実の娘を紹介してきた。

 まだ幼く、私の姿を見て怖がり、母親の背中の陰で怯えている。


「侯爵殿、よろしければ、是非我が娘を側室の末席に加えて頂けまえぬか?」


「……いや、今日は酔っておりますゆえ、その話は後日に」


 相手の尊厳を傷つけずに断るのも大変である。

 男爵としては、家が生き残るための必死の策なのであろうが……。


 私は男爵家に別れを告げ、瞬間転移の秘宝をつかって次の貴族家を目指した。

 この魔法のお陰で目を張るほどの時間を短縮できた。


 ……実はこの魔法。

 目的地を明確に意識せねば発動しない。


 つまり行った事のない場所へは原則としていけない。

 だが、私の念じる目的地はポコリナだった。


 実はポコリナにお願いして、夜を徹して目的貴族の領地まで走ってもらっていたのだ。

 そうして、私はポコリナが行く場所に瞬間移動できたのだった。




◇◇◇◇◇


 アタゴ大平原・中心地ネト城。

 この城の政庁で、トレイバー督戦将軍はイラついていた。


「……く、くそう! 忌々しい凶賊、シンカーの奴め!」


 この将軍、実は敵王国軍に捕らえられたが、コリンズ辺境伯が大金を支払うことによって、帰還できていたのだ。

 よって、以前のような地方領主たちを圧する貫禄は消え去っていた。


「しかし、督戦将軍殿。敵がこの城に攻めてきたらどういたしますか?」


 こう尋ねるコリンズ辺境伯は、このネト城の主である。


「もちろん徹底抗戦ですぞ! 辺境伯殿。この城は要害。敵が大軍で攻め寄せようとも簡単に落ちるものではありますまい」


「しかし、兵は逃げ散り、残る兵は三千に満たないのです」


「そこは辺境伯殿! 地方領主どもに兵を出させればよいではありませぬか!」


 そう話しているところに、伝令がやってきた。


「東方平原のラル男爵家ほか、新たに三家貴族家、敵に寝返ったとの事。さらに、北方のハチジ子爵家なども続々と敵に降っておりまする!」


「……ば、ばかな!」


 この報にはトレイバー督戦将軍だけでなく、コリンズ辺境伯も驚いた。

 敵の調略の手が早すぎるのだ。


 地方領主たちは敵のリルバーン侯爵家と面識はない。

 こんなに短い時間に、多くの貴族家が寝返るのは計算ができないことだったのだ、


「……ヤツは人ではなく魔物か!?」


 その時のコリンズ辺境伯はそう驚いたと、副官の日記に記されている。


 報告から七日後。

 ネト城はリルバーン侯爵が率いる軍に包囲された。

 その数、なんと三万五千。

 昨日までの味方であった各地の地方領主たちの軍が、ほぼ残らず敵軍に寝返った結果であったのだった。




◇◇◇◇◇


「御開門! 御開門!」


 包囲から僅か三日後。

 ネト城の大きな大手門の扉が開いた。

 城主であり、アタゴ平原の盟主といわれるコリンズ辺境伯が、攻撃側のリルバーン侯爵の軍門に戦わずに降ったのだ。


 ネト城は濠も深く、塀も石造りで強固であった。

 糧食の貯えも多く、武具も矢も豊富に用意されていた。

 三万ばかりの兵が包囲したとて、半年はゆうに持ち堪えられる造りであったのだ。


 だが、兵たちが、昨日までの味方であった地方領主たちの旗を見て、戦意喪失。

 次々に逃げ散り、籠城戦どころではなくなったのであった。


「顔を上げられよ」


「はっ」


 リルバーン侯爵は礼をもって敗将を遇した。

 彼はにこやかな様子で、コリンズ辺境伯と轡を並べて入城。


 それにより、城内の暗澹たる空気は一転。

 城壁内の街並みは、王国軍を歓迎ムード一色で迎えたのであった。

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