第47話 憎悪の果てに
ファルの視界が階段を転げ落ちていくのをスクリーンの右半分で見守ったヴィクトリアは、爆発音を聞くなり関心を左半分の映像に移した。
上空八〇〇〇メートルからベヒモスを監視するガンシップ・ヴォルバドスからの映像。被写体であるベヒモスは獣のような唸り声を上げて進行を停止した。
「やったのか……?」
指令室のオペレーター達が沈黙し、スクリーンに注目する。
ベヒモスは先頭の右脚を前へ出して、前方に建つ高層ビルを蹴散らした。同じように左脚を前に出して、それに合わせて他の脚も進行しようと動き出した瞬間、胴体が滑り落ちた。
『――こちらヴォルバドス。ベヒモスは沈黙。繰り返す、ベヒモスは停止した!』
指令室にヴォルバドスからの報告が響き、オペレーター達が一斉に快哉の声を上げる。スクリーンに映し出されるベヒモスは、砂埃の中で鎮座し、残された八本の巨大な脚が一本ずつ市街地に倒れていく。
「やったぞ、アリッサ……!」
感極まるヴィクトリアが、顔を伏せる。残された瞳を手で拭い、そして顔を上げて声を張った。
「ファルネーゼと交信しろ!」
戦いはまだ終わっていない。敵の切り札は倒した。だがまだ数千のメタノイドやアトラクが残存している。
「まもなくファルネーゼとの通信を確立します。三、二、一……」
オペレーターがコンソールを叩き、スクリーンが暗転する。そして映し出されたのは、青地を背景に羽ばたく白い鳩。パトリア大陸を史上初めて統一し、大陸に安寧と平和をもたらす者を自認していた王朝。その象徴を描いた帝国の国旗だ。
国旗の先にいるのは、帝国の軍事・外交を司るモジュール。帝国革命を成し遂げた女帝の側近であり、自らの家族をその手にかけて軍を再編した、帝国発展の功労者、ベルナデッタ・ファルネーゼ。その人物に因んで、ファルネーゼと称される基幹機能だ。
「こちらは連邦遠征軍第三軍団総督、ヴィクトリア・ファルネーゼ。リヴァイアサンより通信中」
ヴィクトリアはスクリーンに向けて名乗る。この戦争でこの国旗を相手に名乗るのは三度目だ。
「貴国の戦略機動兵器の停止をこちらで確認した。そちらの残存戦力による継戦が困難であることは承知のことと思う」
国旗の向こうのファルネーゼは沈黙したまま。それを肯定の意味と受け取って、ヴィクトリアは提案する。
「我々もこれ以上の無用な戦闘は望まない。貴国が戦闘を停止し、全軍を撤退させるのであれば、我々は如何なる妨害もせず、貴国の領土侵犯も行わないと約束する」
相手は人間ではない。これだけでは交渉は成立しない。そこでヴィクトリアは、切り札を切る。
「貴国の戦略目標は我々第三軍団が責任を持って代行する。ただしそれには、貴国の持つ情報を提供してもらう必要がある。建設的かつ相互に利益のある結果を得るために、賢明な判断を求める」
沈黙が続く。拒否されれば戦闘継続。ここから先は殲滅戦。相手も本国から採算度外視で追加戦力を投入してくることになる。
最悪の結果がその場にいる全員の脳裏を過る中、ヴィクトリアは表情を変えずに応答を待つ。
そして、その時は来た。
「帝国から大容量データを受信! 動画及び画像データです!」
「スクリーンに映せ!」
将官が叫び、スクリーンが切り替わる。受信したデータを変換して、画面に映し出していく。
小窓で次々と表示される映像は、エレンが見せたものの焼き直しのようなものばかり。レムナリアの兵士に、大ソリスの難民。暴行、強姦、略奪、そして虐殺。それらが被写体の性別と年齢を変えて、或いは手段と場所を変えて繰り広げられている。
「何だ、これは……」
指令室の面々が言葉を失う中、ヴィクトリアが声を絞り出す。
軍による難民の虐殺。差別と迫害の末に起こる、連邦の禁忌。
そこにもう一つの映像データが再生される。映るのは一人の男性。白髪に碧眼は、大ソリスの難民の証。
『――この映像を誰かが見る時、おそらくレムナリア共和国は滅んでいるだろう。そうであることを心から願う』
画面に映るのは、髭を生やした初老の男。大ソリス出身者に多い白髪も薄れたその男は、まるで死を目前にしているかのように青ざめていて、それでいてその表情には明確な決意が表れていた。
『私達は、大ソリス王国からレムナリアへ逃れてきた。最初こそ暖かく迎えてくれたレムナリアの人々は、現在の政権に言われるがままに私達を迫害し、そして今日、私の家族を殺した。私の家族だけでなく、ノーマン海岸に住む者はほとんど、共和国の軍人に殺された。死体は教会の近くにまとめて埋められている。もしこの映像を見た者が、レムナリアの人間でなければ、どうか彼らを弔ってほしい。私達の最後の願いだ』
男はそう言ってから、カメラを手に立ち上がった。部屋を出ると、その先は船の甲板で、遥か遠くの夜空を滑空する青白い鉄の塊に、前方に立ち塞がるように青白く巨大な船が見える。
それがアトラクと帝国の駆逐艦で、被写体の彼らがどこにいて、何をするつもりなのか、そこにいる誰もがすぐに理解した。
『もしこの映像を見たのがレムナリアの人だったなら、先に謝っておこう。かつての恩をこのような形で裏切って、申し訳ない。だがこれは、あなた達の罪だ。甘んじて背負ってくれ』
男がそう言うと、甲板に彼の仲間が数人駆け出てきて、駆逐艦に向かって銃を撃ち始めた。レムナリア共和国の警察が使っている、豆鉄砲のような拳銃とライフル銃。それをレムナリア共和国の愛国者のような罵詈雑言を吐きながら乱射していると、上空のアトラクが彼らに向かってプラズマ榴弾を撃ち込んだ。
映像はけたたましい炸裂音とともに、そこで途絶えた。
「侵攻の理由はこれか」
全てを悟ったヴィクトリアが言った。共和国軍のふりをして領海に侵入し、攻撃を仕掛けることで、帝国の侵攻を引き起こす。虐殺に対する復讐としては、これ以上ない方法だ。
帝国は上陸の後にこの真意を知り、レムナリアへの攻勢を強めた。尤もそれは、義憤に駆られてのことではなく、今後同じようなとばっちりを受けないために、先手を打って病巣である政権を打倒しようと考えての侵攻だったのだろう。
あのエレンというメタノイドは、この復讐を引き継いだのだ。その憎悪の根源と帝国の思惑を知ったヴィクトリアが取る行動は決まっていた。
「第三軍団全軍に伝達。我々は現刻をもって、帝国との全ての戦闘行為を停止し、レムナリア共和国に対する軍事行動を開始する」
命令を告げると、指令室が動き出す。
「第二師団はリベルタを制圧し、避難待機中の政府首脳を全員拘束しろ。応援として第一〇武装偵察師団を派遣する。各軍緊急展開部隊は二〇分後に出動し、共和国主要都市の制圧と制空権・制海権を掌握。二四時間以内に全ての目標を遂行しろ!」
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