第45話 起死回生

 ファルは震える手で胸ポケットからアンプルを取り出すと、心臓に突き立てた。流れ込んだナノマシンが臓器を修復し、潰れた足首を再生させ、痛覚を宥める。酸欠の身体を慰めるように深呼吸を繰り返しながら、悠然と近付いてくる足音に顔を上げると、首を掴まれて壁に叩きつけられた。


「うぐっ!」


「面白いもの持ってるんだね、カイト」


 握力で気道を塞ぎ、淡々と言葉を紡ぐ。


「これがあれば、イルマさんも死なずに済んだのかもね。惜しいなぁ」


 悔いを滲ませる言葉とともに、指を食い込ませる。喉を潰すつもりだ。そうはさせまいと、ファルは左手をエレンの顔に伸ばす。


「悪あがきは止めなって」


 左手を伸ばしてきて、カイトの手首を掴み、握り込む。骨を砕く鈍い音と拡散する鈍痛に、潰れた悲鳴が漏れる。


「はい、おしまい。さぁ、カイト。死んで帝国に行こう?」


 ようやくの宿願を前に、エレンは純真な笑みを湛え、止めを刺そうと力を込めていく。


 その表情を浮かべてくれるのを、ファルは待っていた。


「え?」


 右のホルスターから抜いた拳銃を、右目に突き付ける。反応したエレンの左手が、カイトの手首を離して拳銃を払おうとする。


 手が触れた瞬間、撃発。青いマズルフラッシュを焚いた銃口から、イリジウムの弾頭が放たれ、右目から機械の頭蓋を貫く。


 集積回路を打ち砕く、起死回生の一発。被弾の衝撃にエレンは弾き飛ばされ、解放されたカイトの身体は床に叩きつけられる。


(カイト、大丈夫ですか?)


 本体を咳き込みながら、任せてくれた本人の安否を確認する。


(死ぬかと思ったけどな)


 開いた気道から必死に呼吸を繰り返しつつ、カイトは疲れ切った声を返した。


 左手を犠牲にした作戦は何とか成功。拳銃に関心を向けさせずに両手を潰すための窮余の一策だったが、どうにかメタノイドの目を欺くことができた。


 ファルは床に落ちた拳銃を拾うと、起き上がる気配のないエレンのもとへ向かう。骨を砕かれた左手首は鈍い痛みが増すばかりで、絞められていた首にも指の感触がまだ残っているが、任務への思いだけで足を進める。


 右目を撃ち抜かれたエレンは、カイトが目の前に来ても、起き上がる気配はない。だが健在の左目の瞳孔の動きからして、まだメタノイドとしての命は尽きていない。発砲の瞬間に微かに銃口が逸れてしまったことで、集積回路がまだ生きているのだろう。


(俺がやる)


 カイトが申し出て、身体の主導権をファルから取り上げる。


(右目の辺りを撃ってください。それで停止するはずです)


(あぁ、分かってる)


 ファルのアドバイスを受け入れて、銃口を右目に向ける。空洞を作った眼窩。血液を溜め込んだ穴の底に眠る集積回路を、静かに見据え、銃爪に指をかける。


「……っ」


 銃把を握る手が震える。視界の先にあるエレンの表情が、カイトに呵責の念を抱かせている。


(カイト、やっぱり私が……)


 慮って申し出たファルは、不意に背中に感じた気配に、主導権を奪って振り返った。


「っあ!」


 高周波ナイフが、右の胸を突く。肋骨が焼き切られ、肺が溶かされ、そして横に薙がれた刃に引きずられて、床に倒される。


 金髪碧眼に白い肌。帝国の旧貴族の子弟とすぐ分かる外見のメタノイドは、無表情で高周波ナイフをしまうと、致命傷を負ったカイトから関心を移す。床に置かれた核爆弾。ベヒモス打倒の切り札へ、歩いていく。


(何をやっている! さっさとあの機械を止めろ!)


 メタノイドの企みに気付いた総督が怒号を飛ばす。それに応えようにも、肺がやられて呼吸も苦しく、胸を切り裂かれた激痛で身体が言うことを聞いてくれない。


(母親の仇を討つんだろうが! 起きろファル! 難民でも構わない、早く止めるんだ!)


 必死の声に、ファルは前を向く。床に転がった拳銃。それを拾おうと、右手を伸ばす。


 指先が触れた銃把が、不意に遠ざかる。拳銃が拾い上げられ、見開いた目で上を向く。


 メタノイドがそこにいた。帝国の青い軍服を着た、白髪のメタノイド。カイトには見向きもせず、爆弾を持ち上げたメタノイドの後頭部を、拳銃で撃ち抜いた。

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