第44話 決別
視界が霞む。鼓動が速まり、呼吸が浅くなる。
(カイト、落ち着いてください!)
手放しかけた意識を、ファルが繋ぎ止める。呼吸を整えるように、深く息を吐ききり、ゆっくりと吸い込む。それを何度か繰り返して、過呼吸を緩和する。
「これが真相だよ、カイト」
何とか落ち着きを取り戻したカイトに、エレンが背後から告げる。
「私は町の人達の復讐を引き継ぐことにしたの。それができるのは、カイトが帝国に見つかってくれたおかげなんだけどね」
振り返って、エレンと向き合う。屈託のない笑みに、ファルはその言葉の意味を読み取った。再会する直前、スーパーからの脱出の時にカイトの顔を識別され、殺された人達の記憶から関わりの強い者を探し出し、メタノイドとして生き返らせたのがエレンだったのだろう。なりすましてカイトの前に現れたのは、連邦の企みを探るためか。
「ねぇ、カイト。一緒にみんなの無念を晴らそう。私達を苦しめて殺したあいつらを、一緒に踏み潰してやろう」
手を取らせようと、右手を伸ばして近付いてくる。まるで救いの手を差し伸べるかのような仕草に、優しい笑みを添え、ファルに対しても呼びかけてくる。
「ファルネーゼさんも、連邦の人達も、これで分かってくれたでしょ? この国にあなた達が守ってあげる価値なんてないんだよ。だからカイトを置いて、もう出ていって? これ以上犠牲を払っても、何にもならないよ」
連邦は人種に起因する如何なる差別も許さない。各大陸の敗北者が寄り集まってできた国家として堅持してきた鉄の意志。それを前に、レムナリアを守ってやる理由など最早ない。
「確かにこの国には、守る価値なんてないかもしれません」
カイトの口から、ファルが応じる。決然としたその目で、エレンをまっすぐに見据える。
「でも、私はあなたとカイトを救いたい」
「救う……?」
子供の戯言を一笑に伏すかのような、エレンのいびつな笑み。それでもファルは、屈しない。
「私はカイトを守ります。そしてあなたを、帝国の手から解放してみせます。母がやり残したことを、私が果たします」
「私はカイトと一緒に帝国に行くんだよ。部外者のくせに邪魔しないで!」
「カイトを殺して、ですか?」
咎めるような物言いに、ファルは続けた。
「あなたがカイトを殺そうとするはずがない。ずっと一緒にいて、あなたが守ってきたのに、そのカイトをあなたが殺すなんて、絶対にありえません」
流れ込んできたカイトの記憶の中で、エレンはずっと傍にいた。幼馴染として、か弱く心優しいカイトを守るために、エレンは大ソリスの軍人にも怯まず、立ち向かおうとした。
帝国は彼女の記憶と人格を再生し、その中に帝国の意志を混ぜ込んでいる。そうして彼女を取り込み、操っているのだ。
「勝手に決めつけて、勝手にかっこつけて、少佐さんの子供はほんとにわがままだね」
いびつな笑みで、エレンの愛らしい顔が歪む。まるで内心で葛藤を抱いているかのようなその笑みで、今度はカイトに呼びかける。
「ほら、カイト、こっちに来て。一緒にレムナリアのゴミどもを踏み潰してやろう。みんなの復讐をやり遂げたら、私達は帝国に住めるんだよ。さぁ、来てよ!」
怒気すら感じるその叫びに、カイトは首を振った。
「俺はそっちには行けない」
「は? 何で?」
「お前はエレンじゃない。エレンの心を真似してる、ただの人形だ」
いびつな笑みが歪みを増す。
(ファル、あいつを助けてやってくれ)
歯を剥くエレンを前に、カイトが心の中で告げる。
「分かってます。任せてください」
電磁小銃を向ける。鉄の床を蹴って迫るエレンに、引き金を引く。
静かな銃声。青く閃く銃口のその先に、エレンはいない。視界の隅に動く影を捉えて、ファルは銃身を寝かす。
「っ!」
エレンが繰り出した掌底を、横にした銃身で受け止める。電子機器と発射機構を詰め込んだ灰色の銃身が、真っ二つに割れて放電する。
ファルは両手から小銃の残骸を離すと、左の肘を薙いだ。エレンの顎を正確に捉え、振り抜いた勢いをそのまま使って身体を捻る。側頭部を狙った回し蹴り。踵を叩き込んで怯ませ、止めを刺す。そんな目論見の一撃を、怯んだはずのエレンは右手で受け止め、掴んだ足首を握り潰した。
「ぐあああああっ!」
骨が砕け、肉が潰されるのを痛覚が伝えてきて、悲鳴を上げる。軸足から力が抜けて崩れかかると、エレンが壁めがけて投げ飛ばす。
「がっ……!」
外壁が凹むほどの衝撃を、カイトの身体が受け止める。内臓が潰れ、肺が破れ、呼吸もままならず、酸素を求めて開けっ放しの口から血と唾液を垂れ流す。
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