第5章 ファルブリア・ファルネーゼ

第40話 叔母として

 艦橋の一階から三階を吹き抜けにして設置されている指令室には、三〇〇人を超えるオペレーターが現地部隊と絶えず交信し、最新の戦況を把握している。


 ヴィクトリア・ファルネーゼ総督は三階に設けられたガラス張りの個室で、逼迫する戦況を前に眉間に皺を刻んでいた。モニターに映し出される衛星からの映像は、常時首都へ直進するベヒモスにフォーカスを当てている。その威容は市街地を進んでいるから、余計に際立っている。周囲の建物よりも幅も高さも優る八本の脚に、幹線道路を覆い隠してもまだ有り余る青白い胴体。銃創のように背中に浮き出たミサイルサイロからは、破壊の萌芽のように弾道ミサイルが顔を出している。


「化け物が……」


 忌々しい鋼鉄の怪物に吐き捨てる。そんなヴィクトリアの苛立ちを表すかのように、ミサイルがベヒモスに着弾する。海軍が発射したトマホークだ。建造物なら容易く破壊できるというのに、奴は着弾した弾頭が炸裂しても、傷一つ負わない。


『効果認められず。繰り返す、効果なし』


 オペレーターの声が聴覚に響く。見れば分かることを改めて報告され、デスクを殴った。


「――失礼します」


 俯いていると、陸軍中将がガラスのドアをノックして、部屋に入ってきた。神妙な顔をしたスキンヘッド大男に、ヴィクトリアは立ち上がって応じる。


「総督、アミモト准将より、特務大隊が出撃を志願しているとのことです」


「ふざけるな。こんな状況で許可できるか!」


 声を荒げると、中将が怯む。ベヒモス破壊のために三年前の総督就任を機に創設した専門部隊。本来ならファルの偵察の後に派遣し、稼働前に破壊することを狙っていたが、今となっては完全に機を逸してしまった。


「しかし総督、彼らは決死の覚悟で――」


「こんな勝機のない戦争のために精鋭を失って堪るか!」


「ベヒモスの破壊は、大ソリス戦争以来の第三軍団の悲願です。亡き武装偵察大隊の兵士達のためにも、どうか」


「私情のために三年かけて育てた部隊を犬死にさせろと? お前それでも将軍か!」


 総督の痛罵に、中将も押し黙る。


「もうこの戦争は負けだ。これ以上連邦軍の犠牲を増やすわけにはいかない。それが私の総督としての責務だ」


 馬鹿な姉とその部隊を喪ったあの日から、それがヴィクトリアの誓いだった。部下に無駄な犠牲を強いるような判断は絶対にしない。それをこの十年守り通したからこそ、総督として第三軍団を指揮する立場となり、大ソリスの戦争で喪った戦力を再建することができたのだ。


「分かったら下がれ。絶対に出撃は許可しない。出撃させたらお前達は銃殺刑だ」


 暴君と恐れられようが、それが正しいと信じるからこその恫喝。中将が屈した、その時だった。


『――こちらヴォルバドス。ネプチューンに連絡』


 ベヒモスを上空六〇〇〇メートルの位置から監視するガンシップから、司令部のコールサインを指名しての通信に、総督の関心が移る。


『ベヒモスの後方二〇キロの地点を味方の二輪車が走行している。ベヒモスに接近していると思われる。確認してくれ』


「何だと……?」


 ベヒモスの周囲一〇〇キロに味方の地上部隊はいない。全員撤退させたはずだ。


 ヴィクトリアは個室を出て、モニターを睨む。縮小した映像の端に、確かにベヒモスに近付いていく小さな影が見えた。


「確認できました。第七九高射砲連隊の二輪車です」


 オペレーターが告げると、すぐ心当たりに行き着いた。


「憲兵、シフォンの研究室へ向かえ!」


 カイト・リースという難民の身柄を拘束していた前線基地。そこを拠点として後方支援をしていたのが、第七九高射砲連隊だ。


 それならあのバイクに乗っているのが誰なのかは明白だ。


『総督、シフォンです。脅かさないでくださいよ』


 唐突にナノマシンを介して、聴覚に声が響く。ネクロマンサー計画の責任者であるセルベリア・シフォン大尉のそれだ。


『憲兵がドアをこじ開けようとしてます。邪魔だから下がらせてくれませんか?』


「お前、あのカイトとかいう難民にまたファルを入らせたね? 何がしたい?」


『ネクロマンサー計画の遂行……ていうのは建前で、ファルに頼まれたからやってるだけですよ』


 何を馬鹿げたことを。失笑を漏らすヴィクトリアは、セルを咎める。


「それだけの理由で温情をかけた私を裏切ったのか。馬鹿が過ぎるな」


『友達に頼まれたらこのくらいやるもんじゃないですか? まぁ、私はファル以外の友達はいないので、よく分かりませんけどね』


 自虐めいたことを言ってそう笑うと、


『まぁ、止めたいんだったらご自分で説得してみてください。今から繋ぎますから』


 そう言った直後、司令部のスピーカーがバイクのエンジン音と走行音を流し始める。オペレーター達がざわつく中、モニターが二分割され、右半分に地上を走る一人称視点の映像が映し出された。


『ファル、総督に繋いだよ。後はよろしく』


 事前に示しを合わせていたのか、セルが言った。ネクロマンサー計画は第三軍団でも上層部しか把握していない機密だ。それをこの場で公開することの意味を、二人は理解しているのか。


『こちらネクロマンサー。現在、ベヒモスの後方三キロの地点にいます』


 青年の声で喋っているのは、ファルだろう。とんでもない速度でバイクを走らせているというのに、その声は気味が悪いほどに落ち着いている。


『私はこれより、この身体の持ち主であるカイト・リースとともに、ベヒモスの破壊を試みます。それに当たって、ベヒモスを守っているイタクァとアトラクが障害となっているため、これらの排除を要請します』


 一方的な援護要請に、オペレーターが反応するより先に総督が噛みついた。


「ファル、何を考えている? これは私への背信行為だ。分かっているんだよね?」


『分かってます。それでも、私はこの任務をやり遂げたいんです』


 決然とした青年の声に、ファルの意志が宿る。


『破壊用の爆弾もあります。小型核です。これを作ったのは、叔母さんだよね?』


 私情を挟んだ物言いに、眉間の皺が深まる。それを知らないファルは、同じような調子で続けた。


『リジェネレータを作ったのも、帝国に対抗するためでしょ。ベヒモスを倒すために、叔母さんはずっと準備してきた。仇討ちのために軍を離脱して、ベヒモスに挑んだ大隊の人達の犠牲を無駄にしないために、ベヒモス破壊用の訓練課程を作って、専門部隊も作った。そうでしょ?』


「何を知ったような口を……」


『分かるよ。お母さんが死んだ時、叔母さんずっと泣いてたでしょ。すぐ分かったよ』


 形見の認識票を渡してやった時に見破ってきたのだと、すぐに理解できた。


『私がお母さんの仇を討つ。お母さんだけじゃない。一緒に戦ってきた第三軍団の人達のために、叔母さんのために、私がベヒモスを倒す。お母さんがやり残したことも、私がやり遂げる。だから、力を貸してください!』


 理路整然ともしない、冷静沈着でもない、情に訴えるだけの馬鹿な演説。参謀総局を志望する者にあるまじき浅慮。


 それらを吐き出したファルは、視線を左に向けた。ベヒモスに蹴散らされた建物の陰。その中を走り抜けて、バイクに伴走する人影が四つ。


『くそっ、メタノイドだ。捕捉された』


 吐き捨てたのはカイト・リースだろう。電磁小銃レールガンを提げたメタノイドの追走に焦って、息遣いの乱れがスピーカーから聞こえてくる。


「ヴォルバドス、二輪車の周辺にいるメタノイドは捕捉しているか?」


 ナノマシン越しの問いに、ガンシップから返事が来る。


『こちらヴォルバドス。全機捕捉しています』


「攻撃を許可する。援護してやれ」


『了解です、総督。総員、攻撃準備!』


 高揚した応答。それから間もなく、スピーカーから炸裂音が響き、カイト・リースが左に向けた視界の先で、メタノイドが上空からの攻撃に吹き飛ばされた。


「これより二輪車の乗員のコールサインをネクロマンサーとする。ヴォルバドスはネクロマンサーに近付こうとするアトラクとイタクァを排除しろ。海軍・空軍は東側のアトラクとイタクァを標的にミサイル発射。ネクロマンサーは西側から侵入しろ」


『了解!』


「レムナリア国内に展開中の地上部隊は第二師団を残して撤退を進めろ。第二師団には、四〇分後に改めて指示を出す。戦闘態勢を維持して待機」


 総督の命令をオペレーター達が伝達していく。モニターではガンシップからの援護を受けて、カイトとファルが快進撃を続けている。


「総督」


 白髪頭の参謀が足早にやってきて、ヴィクトリアに告げた。


「本国より撤退許可が出ました。レムナリアの政府首脳を保護するという条件付きですが……」


 亡命政権でも作らせるつもりだろう。同盟という名目で支配下に置く他国への、撤退を肯定させるためのアリバイ作りだ。


「四〇分後に最終判断を下す。それまでは、大統領以下要人を集めて、避難用のヘリにでも乗せておけ」


 命令を受けた参謀が去っていく。ベヒモスの進行速度から逆算して、首都到達までに全軍を撤退させられるだけの時間を確保するには、四〇分が限度だ。それまでにファル達がベヒモスを破壊できなければ、任務は失敗だ。


「やって見せな、ファル」


 撃墜されていくアトラクの間を縫って、バイクがベヒモスを追い越す。やがてカイトのバイクは、大通りに面した高層ビルの中に突っ込んでいった。

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