第36話 敗戦
目を開けると、そこが戦地の只中にある廃墟でも、セルの研究室でもないことは、クリーム色の天井と薬品の匂いですぐに分かった。
「……っ」
ファルは重たい上体を起こそうとして、そこで見知った顔を認めて固まった。
「おはよう、ファル。セルと二人で、随分と好き勝手やっていたみたいだね」
勲章を付けた軍服に、黒の眼帯。冷たい隻眼で見下ろす叔母のヴィクトリア・ファルネーゼ総督は、咎めるような声を投げかけた。
「あの難民の少年に情でも湧いたのかな? それで私に黙って、挙げ句の果てに嘘まで吐いて、逃がそうとしたと。あの母親の血を引いているだけはあるよ、お前は」
「叔母さん、カイトは……?」
起き上がろうとしたファルの襟を掴んで、ベッドに押さえ付ける。頭をぶつけて歪めたファルの顔を覗き込んで、叔母は歯を剥いた。
「お前軍人としての自覚がないのか? たかが新米軍曹の分際で、総督に反旗を翻すような真似をして、死刑でも文句は言えないよ」
叔母にはもう、全て知られている。恐らくはセルが二日目からサポートしていたことも、もうバレているだろう。
弁解の余地はない。それならどうすべきか、病み上がりの頭で必死に考え、そしてファルは打開策を講じる。
「報告を怠ったことは謝ります。この失態は、ネクロマンサー計画の成果で挽回します。だからどうか、チャンスをください」
擦れ声の懇願に、総督は襟を離す。
「ネクロマンサー計画は中止だよ。それどころじゃなくなった」
「え……?」
「二時間前にベヒモスが稼働した」
聞き咎めて、ファルは上体を起こす。
「そんな、稼働までまだ時間はあるはずです!」
「充電を途中で切り上げたんだろうね。それに、見たところ脚の本数も減らしている。あれなら五日は準備期間を短縮できるよ」
それほどに急いで稼働させたのは、エレンと関係があるのか。そんなファルの勘繰りなど気にも留めず、総督は踵を返す。
「お前はもう用なしだ。推薦状を書いてやるから、撤退したらそのまま本国で試験を受けると良い」
「待ってください、それはどういうことですか?」
「第三軍団はレムナリアから撤退する。本国から承認され次第、全軍を引き上げて、この戦争は終わりだ」
稼働したベヒモスを停止させることは困難。そう判断しての撤退。最初から分かっていたこと。
だが、そう易々と受け入れるわけにはいかない。
「それならカイトはどうなるんですか? 難民の人達は?」
「お前にはもう関係ない話だよ。レムナリアの馬鹿どもと一緒に、あの化け物に踏み潰されて終わりだ」
「そんなこと、承服できません! お願いです、総督。私にベヒモスの破壊命令をください! 必ず成し遂げて見せますから!」
ベッドを降りて、追い縋るファルを、総督は肘を薙いで殴り飛ばした。
「あうっ!」
こめかみを痛打されたファルが、ベッドに激突する。床に座り込む姪を見下ろしながら、総督は吐き捨てた。
「お前の任務遂行を補助するために兵士が死ぬことになる。そんなリスクを負うに値するほどの勝算はない。そんな馬鹿げた作戦を命令できるか、この間抜けが」
「それなら……それなら、私一人で遂行して見せます。だから、どうか!」
よろめきながら立ち上がったファル。総督は舌打ちをして、
「本当にお前はアリッサにそっくりだな。その独りよがりの正義感で私の忠告を無視して、足手纏いの子供を二人も抱え込み、挙げ句の果てに大隊を犠牲にしてベヒモスに轢き潰されたのがお前の母親だ」
「私はお母さんを誇りに思ってます! お母さん達が命を懸けて救おうとしたカイトを、今度こそ私が救って見せます!」
「何度も言わせるな! ネクロマンサー計画は終わったんだよ。お前はもう余計なことはするな。参謀総局に行きたいんだったら、大人しくしていろ。それがお前のためだ」
踵を返すと、総督は医務室を出ていった。ファルはベッドに手をかけて立ち上がると、コートスタンドに掛けられている軍服を取って、シャツの上に着る。
「このまま終わるわけにはいかない……」
ボタンを留めたファルは、決然としたその言葉とともに、医務室を駆け出ていった。
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