第35話 犠牲者

 目を開けたファルは、目の前に転がる無惨な死体を見て戦慄し、息を飲んだ。


 背中を貫く無数の銃創から血を滲ませ、真っ赤に染めたワイシャツ。目と口を半開きにした白髪の男の目は、とっくに光を失って、鈍く淀んでいた。


「その子供も始末しろ。国王陛下に逆らった罪人の子供だ。生かしておく必要はない」


 顔を上げたファルの前には、見慣れない軍服を着た兵士が三人に、灰色のワンピースを着た少女が一人。兵士の二人は無骨な短機関銃を提げていて、指揮官らしき男と一緒に、固い表情で見下ろし、少女はこちらに背を向け、兵士達を前に両手を広げて立ち塞がる。


「止めてください! 私達は何も悪いことなんてしてないのに!」


 悲痛な声を上げる少女に、兵士達は何も答えず、妙に高いところから銃口を向ける。


 その時、部屋の扉を蹴破って、女が飛び込んできた。連邦の迷彩戦闘服を着て、背丈と体格に恵まれた、大きな赤い瞳の女は、艶やかな茶髪をティアラのように編み込んでいる。


(お母さん……?)


 指揮官を殴り倒し、短機関銃を提げた二人の腹に掌底と前蹴りを叩き込み、倒れたところへ拳銃を抜いて頭を撃ち抜く。五秒とかからない一瞬の制圧。複数人を相手取った、流れるような近接戦闘。亡き母のアリッサだ。


「君達、大丈夫か?」


 三人の息の根を止めたところで、玄関から連邦軍の兵士が三人、電磁小銃を手に乗り込んでくる。部下達に後を任せて、母は少女とファルの前で屈んで、そう声をかけた。


「少佐、間違いありません。ティモシー・リースです」


 傍に転がる死体の身元を確認して、兵士が報告した。それを聞いた母は、重苦しいため息と ともに顔を伏せる。


「ということは、少年が息子のカイトだな? 私達の到着が遅くなったばかりに、すまない……」


(カイト……?)


 カイト・リース。ならばこれは、幼少期のカイトの記憶なのか。父を目の前で殺され、母に助け出されたという、あの時の記憶か。


 混乱するファルの目の前で、母は顔を上げると、少女の方へ関心を移した。


「それで、君は?」


「エレノアです。エレノア・バーンズ」


 名乗った少女の顔を、そこでファルはようやく認める。青い瞳に涙を溜めながら、それでも泣こうとはしない。必死に恐怖心を抑えて兵士と対峙していたエレンを称えるように、白い髪を優しく撫でてあげた。


「ネプチューン、こちらバロン。荷物は積み込み不可。但し小包は健在。回収地点へ向かう。……え? そうか、じゃあそこから南下して……何言ってるの、ヴィッキー? 子供だぞ、置いていけるか! ……あぁそうとも。君らには迷惑はかけないから安心したまえ、ネプチューン。バロン、アウト!」


 ナノマシンの無線でやり取りを交わした相手は、叔母のヴィクトリアだ。ファルにはすぐに分かった。


「中将閣下は何と?」


「ポイント・アルファは帝国に落とされたらしい。ここから南下して、ヴァルシまで行くことにすると言ったら、子供は置いていけだとさ」


「そりゃまた賢明な判断ですね。で、連れていくんでしょ?」


「当然だ。道中帝国軍と鉢合わせるかもしれんが、我々なら制圧できる。何か問題は?」


「いえ、ありません」


「よし。行くぞ、二人とも! 冒険の始まりだ!」


 母は力強く告げた。ファルがよく知る、明るい笑顔の母。戦場でも、カイト達に変わらず接していたのだと思うと、懐かしさが込み上げてきた。


「行こっ、カイト」


 エレンに手を引かれ、玄関を潜ると、懐かしい温かい手は消えて、薄暗くて寒い場所に一人立っていた。


 母も、母に付き従った部下達もいない。目の前にあるのは寒村。曇り空に覆われて、地面は雪に覆われ、横から吹き付ける潮風が刺々しい冷たさを孕んでいる。


「せっかくの出発の日なのに、微妙な天気だね」


 背後から聞こえた声に振り返る。カイトよりも背が低い、しかし大人びた雰囲気の女性が、白いセーターとジーンズを着て曇り空を見上げていた。


(エレンさん……)


 女性が誰なのか、すぐに分かった。エレンだ。華奢な身体に生糸のような白い髪、それにこの顔立ち。間違うはずがない。


「この辺の天気は年中こんなもんだろ。今さら気にすることないって」


 ファルが意識せず、カイトはエレンに応じる。


「ほんとに行っちゃうの?」


 エレンは寂しげな顔で訊いた。


「今さら止められないだろ。そんなことしたら、またレムナリアの連中から嫌がらせされるぞ」


「そうかもしれないけど、でもわざわざ出ていかなくても良いでしょ」


「ここに残っても生活は変わらないんだ。鉱山は悪い噂ばかり聞くけど、金にはなるからな。金があれば、お前を守ってやれるだろ」


 表情からして納得いっていない様子のエレンに、カイトは続ける。


「今までお前に守ってもらってばっかだったから、これからは俺がお前を守るんだ。だから安心してくれ」


 エレンは目を丸くして、そして次の瞬間頬を赤らめながら笑みを返した。


「いつの間にそんなかっこいいこと平気で言うようになったの? カイトらしくない」


「余計なお世話だ、馬鹿」


 カイトも照れたように笑って、頬に熱を帯びる。


「じゃあ、行ってくるから」


 ぶっきらぼうに手を振って、カイトは教会の門に向かって雪道を踏みしだいていく。


「カイト!」


 不意に呼び止められて、振り返る。


「ぶっ!」


 次の瞬間、顔面に冷たいものがぶつけられ、砕け散る。顔を拭ったカイトは、雪玉を投げつけて得意満面のエレンを見咎めると、


「やりやがったな!」


 荷物を投げ捨てて、雪を掴む。両手で適当に固めると、それをエレンの腰の辺りに向かって投げつけた。


「痛い! もう、手加減してよ!」


「不意打ちしといて何言ってんだ!」


 言い返すカイトに、エレンが雪玉を投げ返す。膝に当たってジーンズ越しに冷たい感触が広がり、カイトも雪玉を投げつける。


「分かった分かった、もう降参だから! 降参だってば!」


 雪原に尻もちをついたエレンが、両手を挙げる。それを認めたカイトは、右手に用意しておいた雪玉を投げ捨てて、エレンに右手を差し出した。


「もう……カイトも立派な大人ってわけだね」


 雪合戦の結果は押し負け。エレンは悔しそうな苦笑で言って、カイトの右手を掴んだ。


「そういうこと。だから心配しないでくれ」


 エレンを引き上げて、膝に付いた雪を払ってやる。


「分かったよ。じゃあ、カイトに守ってもらうから、頑張ってよね」


 今度はエレンの方から右手を差し出した。カイトは右手で握り返して、


「あぁ、任せとけ」


「たまには帰って来てよ?」


「分かってるよ」


 名残惜しげにエレンが手を離す。カイトは小さく手を振って、投げ捨てた荷物を拾うと、教会を後にした。


 町の出入り口へ向かう。三メートルのフェンスに囲まれて、検問所には武装した警察官。カイトは警察官に身分証と手荷物を差し出した。


「町を出るのか?」


 身分証を開いた小太りの警察官が、小馬鹿にしたような笑みで訊いた。


「はい。鉱山で働きます」


「そうか。税金に集ってたかと思ったら、今度は働き口まで食い潰すってわけだ」


 小太りの警察官は吐き捨てるように言った。手荷物検査を終えた長身のもう一人が、リュックを投げつけるようにカイトに渡す。


「鉱山は事故が多いからな。まぁ、生き埋めにならずに即死するのを祈ってるよ」


 敵意のようなものまで滲ませる長身の若い警官。カイトは何も答えず、検問を通り過ぎた。


(何なの、あれ……)


 ファルは警官に向けられた侮蔑の目と敵意に、困惑と憤りを覚えた。カイトは犯罪者ではない。町に住んでいる人も、何も悪いことはしていない。なのに何故、ゲットーのような場所に住まわされ、監視され、あんな酷いことを言われなければならないのか。


 町からしばらく歩いて、無人のバス停でバスを待ち、ちょうどやって来た便に乗り込むと、バスの運転手が警察官のような冷たい目を向けていた。


「座席は使うなよ。ダニに湧かれちゃ敵わないからな」


 運賃を払ったカイトを、運転手が罵る。乗客は疎ら。老人から若者まで全員レムナリア人で、カイトに向けるその目にはやはり侮蔑か敵意が滲んでいる。


(何で……)


 ただの難民。犯罪者でも、得体の知れない感染症に罹っているわけでもない。ただ戦争で国を失い、助けを求めただけの人達に、どうしてこんなに敵意を向けられる? どうしてここまで蔑める?


「邪魔だよダニ野郎、どけ!」


 バスが停まり、乗り込んできた客がカイトを突き飛ばした。不意打ちに受け身を取ることもできず、床に頭を打ち付けると、全身がヒリヒリと痛みを帯びた。


 また場面が変わった。今度は剥き出しの山肌が遠目に見える寂れた場所。ラバー質のバスの床は、茶色い土に変わっていて、口の中に血の味が広がる。


「これ以上この国に迷惑かけないでくれよ、ダニ野郎。これまで散々俺達が納めた税金食い潰して楽してきたんだろ? え?」


 頭を軍靴で踏みつけられる。苦痛と屈辱。降り注ぐ罵声に、カイトは歯を食い縛る。


「大人しく徴兵に応じろ。それで死んでこい。それ以上の恩返しはないだろ。なあ?」


 取り囲む兵士達が、嘲笑する。


(何でこんなことができるの?)


 カイトは迷惑なんかかけていない。楽な暮らしなんてしていない。学校にも行けず、せめて妹だけはと働いているのに、どうしてこんな酷いことができる?


 疑問と怒りに混乱するファルは、カイトの頭を掴んだ男の顔を、カイトと一緒に睨みつけた。スキンヘッドの大男。


「お前、ノーマンの出身なんだってな? だったらちょうど良い、お前をそっちの戦線に送ってやるよ。あんな死体しか転がってない町に乗り込んできて、機械は何考えてるのやらよく分からんな」


「どういう意味だ……お前ら、町の人に何しやがった。おい!」


「だがその前に口の聞き方から教えておいてやらないとな。軍の規律ってやつを叩き込んどいてやる!」


 カイトの髪を離すと、すかさず脇腹を踏みつけられる。鈍い痛みが奥底まで響いて、呻く間に爪先が腹に食い込む。揺らぐ視界が、兵士達を捉える。どれも一様に、同情や憐憫などなく、嘲りと蔑如を顔に浮き上がらせ、見下ろしている。そいつらを睨みながら、ファルは叫ぶ。声は出ない。抵抗もできない。何もしてあげられない。


 痛みに意識がぼやける。顔を踏みつけられると、意識は暗闇に落とされた。

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