第33話 顕在する悪意

 いつも通り、午前二時に実験開始。カイトといつも通りのやり取りを交わして、それから市街地を進み、住宅街で小休止を挟んだタイミングで、ファルはカイトに切り出した。


(エレンさんを連邦軍に保護してもらったら、共同作戦はおしまいです。カイトも、逃げてください)


(いや、お前の任務が終わるまで、俺は付き合うよ。そういう約束だろ)


(良いんですよ。私はカイト達を守りたいんです)


 偽りのない本心だった。任務の内容はさすがに明かせないが、これだけは本心だ。カイトやエレン、それにこの国に生きる人々のためにも、ただ命を捨てるだけの無駄な徴兵なんて、従ってはいけない。


(この実験が終わって停戦協議に入ったら、私は上に掛け合って、共和国の方針を正して見せます。これ以上、カイトのような人を出したくない)


(前も言ったろ。そんなことしたって、意味はないんだ。お前の役目でもないだろ)


(でも第一歩にはなるはずです! それに、もうあなた達を見捨てることなんてできませんよ)


 以前の口論を蒸し返したカイトに、ファルは本心をぶつけた。カイトは呆気にとられたように目を丸くした後、


(お前、アリッサさんみたいだな)


(え? 母ですか?)


 呆れたような苦笑が返ってきて、ファルは当惑した。


(あの人は俺達のために命懸けで戦ってくれた。あの人の部隊の人達もな。今のお前は、あの時のアリッサさんそっくりだよ)


(そう……ですかね?)


(あぁ。親子二代で同じ奴の命の恩人になった軍人なんて、世界でお前達くらいじゃないか?)


(それは……名誉なことな気がするので、それで良いかもですね)


 ファルは笑って、カイトも表情に笑みをたたえた。


 現地の人達に感化されて、必要以上に入れ込んでしまうのは、連邦遠征軍では珍しくないことだ。そうなりたくないと願ったファルが、今はそれも悪いことではないのだと思っていた。


(ありがとう、ファル)


(お礼は自由の身になってからで良いですよ。そろそろ出発しましょう)


(あぁ)


「エレン、そろそろ行こうか」


「うん」


 地面に座り込んでいたエレンが立ち上がり、二人はまた歩き出す。


 小川が流れて、草木の緑が豊かな長閑な住宅街。榴弾を撃ち込まれて崩れた家屋や、戦車のキャタピラに轢き潰された乗用車が、ここにも散らばっていた。


 機関砲で壁を穴だらけにされた民家の庭を抜けて、通りに出たその時だった。


「おい、動くな!」


 フラッシュライトの明かりとともに、威圧的な声をかけられる。


「共和国軍……!」


 喋った言葉で相手を察して、カイトが焦慮の滲んだ声を漏らす。


 フラッシュライトを下ろして、駆け寄ってくる。人数は三人。暗がりでも共和国軍の迷彩服と突撃銃で武装しているのは分かる。


 連邦軍に保護してもらう手筈が、その前に厄介な連中に見つかってしまった。


「お前マイツだな。この女は?」


 尋問してくる男は、カイトの後ろに隠れたエレンを見咎めた。


(こいつら、レムナリア人だ)


 吐き捨てるようなカイトの物言いには、敵意が滲んでいた。


(私に任せてください)


 ファルはそう言うと、ゆっくりと両手を挙げて、落ち着いた物言いを紡ぐ。


「抵抗の意思はない。俺は共和国軍のカイト・リース。連邦軍のファルブリア・ファルネーゼ軍曹からの命令で、この女性を連邦軍に引き渡すためにここまで来た。連邦軍に照会してみてくれ」


 連邦軍の関係者なら、手荒なことはされない。そう考えて名乗ったファルに、兵士は拳銃を抜いて、引き金を引いた。


「カイト!」


 腹に撃ち込まれた銃弾。エレンの悲鳴は銃声に掻き消されて、カイトの身体はアスファルトの上に力なく崩れる。


「ダニ野郎が、連邦の名前出せば脅せるとでも思ったのか?」


 腹を抱えるカイトの頭を、督戦隊の兵士が踏みにじる。


「止めて、何てことするのよ!」


 エレンの悲痛な叫びに、督戦隊の三人組は卑しい笑みをたたえる。


「おい、この女どうする?」


「マイツの女なんてどうするか決まってんだろ。ここで殺しちまえばバレねぇよ」


 頭上で交わされるやり取りに、痛みと悪寒に支配されていた身体が熱を抱く。


「おら、こっちこいよ!」


「やだ、離して! 止めてよ!」


 髪を引っ張られ、押し倒されるエレンの姿を目の前で見せられた、その時だった。


「ふざけるなああああ!」


 叫んだのは、ファルだった。


「お前達は軍人のくせに、罪もない人を傷付けるのか! エレンさんも、カイトも、お前達が守るべき人じゃないのか!」


「あぁ? 何だこいつ?」


 頭を踏みつけていた兵士が、その足で腹の銃創を踏みつけた。激痛と噴き出る血に、ファルは悲鳴を漏らす。


「ダニのくせに偉そうに語ってんじゃねぇぞ。てめぇらは黙って死んどけば良いんだよ、この害虫が」


 頭に拳銃を押し当てられる。殺される。それが分かってなお、ファルの怒りは収まらない。


「お前達は絶対に許さない! 絶対に!」


 吼えるカイトを嘲りながら、拳銃の引き金を絞っていく。


 ――次の瞬間響いたのは、骨の砕ける音と、短く呆気ない悲鳴だった。

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